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君はともだち 僕の声が君のこころを癒すなら ただあいづちを打つだけでもいいかい?
冬ソナ 日本語訳 「目がうすうす 今晩こ」  「根がお越しプーでマダム」
こんなに近くいるのに あなたが遠くにいる  変わらない青空が それだけが真実
襲われやすい女性とは 「歩幅が極端に広いか狭い女性ほど、男性に襲われやすい」
愛と恋の違い 恋とは自分本位、愛とは相手本位。恋は消えていくもの、愛は残るもの。
Life is... 自分を強く見せたり 自分を巧く見せたり どうして僕らはこんなに 息苦しい生き方選ぶの?
ジャングル大帝の結末 レオは、ヒゲオヤジをわざと襲うと見せかけて、彼のナイフを自分の胸につきたてて、死ぬのである
恋愛は割にあわない 「私が死ぬ方が楽なのか、彼に死んでもらう方が楽なのか」
校長先生 学校の卒業式で 校長先生が大きな声で「着陸!!」って言いました。
岡嶋二人 おかしな二人の最後の物語
アメリカの戦略 アメリカは日本と中国と対立させるつもりである。日中を分断して、いがみ合わせ、漁夫の利を得ようとしている
マッキ−詩 大切な人を傷つけたいと 思うわけなどないと誰もが言う  傷つけたくないと ただ思うだけでは 守れない
恋はめんどくさい 誰かが 言っていたよ 僕らは生まれてからずっと 半分誰かの為に あけてあるんだって





君が笑った 僕もつられて笑った
映し鏡みたいだ 君はぼくのともだち

君が怒った 僕も負けずに怒った
子供のけんかみたいだ 君はぼくのともだち

僕がさびしいときは あとすこしつきあって
うまく話を聞いてくれないか

君の声だけが こころを軽くする
ただあいづちを打ってくれるだけで
はなれていてもずっと
胸の中にいるよ


君が泣いてた 僕も泣きそうになった
だけどこらえて笑った 元気出せよと笑った

君がさびしいときは いつだって飛んでくよ
うまくことばがみつからないけれど

僕の声が君のこころを癒すなら
ただあいづちを打つだけでもいいかい?
さびしいときは あとすこしつきあって
うまく話を聞いてくれないか

君の声だけが こころを軽くする
ただあいづちを打ってくれるだけで

君がいないと 僕は本当に困る
つまりそういうことだ きみはぼくのともだち






 

目がうすうす 今晩こ

ひじゅん 久留須を ターボ

商売 熊なら こんな状態でし

しょんまい りしょんぼり ぽしこ

たしんブスは たんにょ

なりちゃこりに ノーイェー もう伝言


根が お越しプーでマダム ナリ

裏貼り ゲ マンデリが

金が 棚田なー イェンって言ってんの

のナイス OK万田ァ伝言 

ニーが− お越しプーでマダム 色気

無駄シャバ イブマニか

羽振り 異種ダコ エルサド

ヒジョンソ OK兄か



暗記して唄おう

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/2070/huyusona.swf




こんなに近くいるのに
あなたが遠くにいる

変わらない青空が
それだけが真実

あんなに好きだと想っていたのに
こんなにもよそよそしく

「お体だけは、お大事に」

親身なった問いかけに
人ごとのような返事、それはなに?

だから最後振り向いてよ

まだやり直せる
だから教えてよ
なんでそんな他人行儀なの

一緒にいて
こんなにも寂しくなるのって

あなたの美しい素顔が
こんなにも冷たいのって

もう終わりなの
もうダメなの

やさしい言葉をかけても
あなたは上の空






男が襲いたくなる女性


ニューヨークのホフストラ大学、コミニュケーション学のグレイソン教授は、どのような女性が襲われやすいかを実験・調査し、それにはある一定のタイプがあることを突き止めた。

このセンセイはマンハッタンの服飾商店街で、平日の日中、3日間かけて、歩行者の女性の隠し撮りビデオを撮影し、そのビデオを暴行、強盗など性犯罪者などで入監している重犯罪者・男性60名にみせ、「どの女性を襲いたくなるか」を採点させたのです。

この調査から、襲いやすいと判断した女性、襲いにくいと判断した女性を選び出し、専門的に統計分析したところ、

「歩幅が極端に広いか狭い女性ほど、男性に襲われやすい」
ということがわかったのです。

つまり、「ちょこちょこ歩いている」女性、逆に「大またでドンドン歩いている」女性が、暴漢に狙われやすいというのです。

歩幅の狭い女性は「簡単に襲えそうだ、捕まえやすい」と思われ、歩幅の大きい女性は「魅力を振り撒いて見え、是非とも自分のものにしたい、屈服させたい」と思わせてしまうのです。

だから暴漢や痴漢に会いたくなければ、ごく平均的な歩調で歩くのがコツなのです。

逆にいえば、これは男をひきつけるテクニックに応用できます。普段は平均的な歩調で歩くのだとしても、彼と出かけるときだけは、わざと歩幅を大きくしたり、小さくしたりするわけです。

さらにこれをお尻を左右に揺れるように歩くモンローウォークと組み合わせれば、男性はあなたが歩くだけでゾクゾクするかもしれません。


 
内藤宣人「男と女の心理戦」より







愛と恋の違い


「恋愛」という言葉があります。見て分かるとおり、「恋」と「愛」が一緒になった言葉です。恋も愛も同じと思っている人は多いけど、この二つはまったく違うもの。恋という文字が先にくるにはわけがあります。

恋をすると、会いたい、寝たい、相手を自分のものにしたいと思うでしょう。その気持ちは好きになればなるほどエスカレートしていきます。

たとえば相手が待ち合わせに遅れてくると「私をこんなに待たせるなんてひどい!」「なんのつもりなの!」と怒ります。そして相手が現れると文句をいうのです。

相手になにかあったと心配もせず、自分のプライドが傷つけられたことが許せない。
もし相手が「好きな人ができた」なんて言い出したらもう大変。チクチョー、絶対許せない、と言うことになってしまいます。

なのに自分は相手のスープの吸い方が下品だとか、靴下が臭いとか、些細なことでスーと気持ちが冷めてしまう。

つまり恋とは自分本位なものです。自分の欲望を満足させるために相手が必要なだけなのです。




愛は恋から始まります。しかし恋と違うのは、物事すべてが自分本位から相手本位になれることです。

待ち合わせに相手が遅れたら「何があったのかしら」「忙しいのに無理をさせて悪かったな」と気遣う。相手にほかに好きな人が出来たと打ち明けられても、カッとするし悲しいけれど、相手が幸せそうにしているのを見て身を引ける。常に相手のことを思って行動できるのです。


だから恋には裏切りがあっても、愛には裏切りはないのです。
裏切りもまた許せるのですから。




よく、「恋が続かない」という言い方を聞きます。しかしこれは当たり前のことなのです。

なぜ人間は、毎日ご飯を食べるのでしょう。それは使い切っちゃうからでしょ。その日働くために必要なエネルギーがなくなったら、また入れなければならない。生きていくためのガソリン。それが恋の正体です。
 
そして食べたもののほとんどが、排泄される。骨になり、血になり、その人を維持していく栄養となって体内に残るほんの僅かなもの、これが愛です。

恋は消えていくもの、愛は残るもの。

いくら直感でピピッときた恋も最初だけ。
セックスして、一緒に暮らすようになれば、やがてなくなってしまう。

しかし愛はそこから始まるから、恋愛という言葉は「恋」の次に「愛」がくるのです。




恋の世界の女王さまでいるのは、刺激的で楽しいものです。それが好きなら、そのままでかまいません。

でも自分本位だったり、相手本位になったり、その間をゆらゆらと揺れながら、恋がだんだん影を薄めていって、愛だけになればしめたもの。相手が嘘をつこうが、靴下が臭かろうが、すべてを許し、すべてを受け入れようと思えるのです。


つまり、恋は愛に変質する可能性があるのです。恋から抜け出て愛の国まで掛け橋を渡ってごらんなさい。とっても楽になりますよ。そういう自分もまた好きになり、愛せるようにもなるのです。
 
美輪明宏「愛の話」より


関連→愛についてどう思いますか





自分を強く見せたり
自分を巧く見せたり

どうして僕らはこんなに
息苦しい生き方選ぶの?


life is...




『ジャングル大帝』の結末


 
"ジャングル大帝レオ"は、ジャングルの王、 パンジャ の血を引く白ライオンである。

パンジャは、人間に捕らえられた母ライオン・エライザを救い出そうとして射殺された。そのときエライザは、パンジャの子であるレオを身籠っていた。レオは、ロンドンに向かう船上の檻の中で生まれるが、エライザは、レオにジャングルに帰れと命じる。

「おとうさまのように強く勇ましいジャングルの王さまになるのよ」と、エライザは息子を海へ追いやるのだ。

その後、レオは人間に助けられ「人間化」していく。レオは、人間の言葉を解し、話すこともできるようになる。

レオは、さまざまな経験を経て、人間の横暴を食い止め、動物達の仲間割れを防ぎ、いくつもの試練を経て、やがて父パンジャの王位を継承する「大帝」になるのである。



さて、『ジャングル大帝』の結末である。

ジャングルの王になったレオは動物達に蔓延した死斑病という病気を治すため人間の手を借りねばならなかった。

我が子ルッキオの命を救ってもらったレオは、他の動物達を救ってもらう変わりに、山を探検する人たちにガイドとしてつきそうことを約束する。

レオのお陰で、人間たちは月光石の採取に成功、「大陸移動説」を裏付ける貴重な記録や資料を蓄積できた。

だが、猛吹雪に襲われて、隊員たちは次々に倒れ、最後にはレオとヒゲオヤジだけになってしまった。そのとき、レオは瀕死のヒゲオヤジにこういうのである。

「あなたは肉をもって、毛皮を着てなんとかふもとまで行くのです。それからはドンガ川の流れがあなたを自然に運んでくれます」

レオは、ヒゲオヤジをわざと襲うと見せかけて、彼のナイフを自分の胸につきたてて、死ぬのである。

レオの言葉どうりに、たったひとり生き残ったヒゲオヤジは、レオの肉を食らい、皮をかぶって生き延び、貴重な記録と資料を持ち帰ったのであった。

レオの死







「幸せは他人から与えて貰うものじゃない。

自分で掴むものだ。」

っていうのをよく聞くけど

私の場合は

他人から幸せを与えて貰ってます。


貴方が此処にいることが

私の幸せだから。






世の中には女がいて、当然、男がいる。

ふたつの性は、出会い、惹かれ合い、すったもんだがあって、集結する。人はこれを懲りずに、ほとんど進化もなく繰り返している。

もしかしたら、人生に恋愛などなくても少しも困らない人もいるだろう。それはそれで構わないし、正直言えば羨ましいくらいだ。

恋愛が始まったころの、あの高揚感に包まれた至福の時間に比べて、その後に延々と続く、じれったさややるせなさに費やすエネルギーの膨大さときたら。

まったくもって恋愛は割に合わない。

割に合わないと知っていながら、どういうわけか人はまた、性懲りもなく恋愛に足を踏み入れてしまう。

時折、男は呟く。

「付き合っていた彼女、うまくいっていた頃は天使かと思うくらい優しかったのに、別れ話を持ち出したとたん、悪魔のように恐ろしい女になった」

それに驚いているのは、男ばかりじゃなく、女の方も、そんな自分に驚いているはずだ。

時折、女は呟く。

「私が死ぬ方が楽なのか、彼に死んでもらう方が楽なのか」


****


生まれて初めて読んだ恋愛小説は、たぶん『人魚姫』ではなかったかと思う。

恋した男のためにすべてを捨て、最後は、その思いさえ伝えられぬまま海の泡となって消えてゆく。

考えてみれば、その時に、恋愛とは割に合わないものだと知ったように思う。

かつては、人魚姫の無垢で一途な想いに心打たれた。少し物事を斜めから見るようになってからは、何の手も打てずに終わった人魚姫の愚かさを嘲いたくなった。

いつか年を重ね、人魚姫をどうにかして思い留まらせようとした姉たちの必死な説得に頷く自分がいて、やがて、「馬鹿な子だね」と、人魚姫に魔薬を手渡す、海の底に暮らす魔女が本当は何を言いたかったのか、思いを馳せるようになっていた。

私の中には、人形姫もいれば、魔女もいる。
その矛盾に、私は少しも不都合も不便も感じない。


(唯川恵)






校長先生


学校の卒業式で

校長先生が、大きな声で

「着陸!!」

って言いました。

生徒は全員うつむいて

笑いをこらえてました。

いつもは真面目な先生が

その日かわいく見えました・・・


おかしな話







おわりに

書き落としたことが随分ある。すべてを書いてしまおうと思ったが、八百枚以上費やしても書ききれなかったことが山ほどある。

これを書き進めながら、僕は、残されているたくさんの資料に目を通した。作品のメモ、原稿、写真、そして大量の往復書簡。それらは、今、僕の大切な財産になっている。

それらのものを、できるかぎり、この原稿に押し込もうと試みた。だが、溢れたもののほうが、あまりにも多かった。その溢れたものの中で、最後に書いておきたいことがある。

それは徳山諄一のことだ。

僕は、彼から多くのものを受け取った。ミステリーも、賞も、小説の読み方も、書き方も、そして人生も。徳山は、僕に新しい生き方を与えてくれた。彼がいなければ、僕は小説を書くことすらしていない。

今、僕は一人で小説を書いている。新しい作品に取りかかろうとするとき、いまでもふと、徳山の「たとえば」という言葉を聞いてみたくなることがある。岡嶋作品のほとんどは、徳山のその言葉からはじまった。人差し指を立て、もっともらしい顔をして、僕を見る。

「たとえば―」

僕はニヤニヤしながら彼の言葉を聞く。徳山は器用さと不器用さを半分ずつもっている男だった。器用な半分で僕をコントロールし、不器用な半分で僕をもてあましていた。わがままで、短期で、強情っぱりな僕を、彼は辛抱強く支え続けた。


コンビを解消した数ヶ月後、僕は徳山と新潮社で顔を合わせた。岡嶋二人として約束していた週刊新潮の連載を、どう処理するかを決めるためだった。編集部は独立したどちらかが書いてくれればいいと言ってくれた。

僕は徳さんに目をやった。
「徳さんは、書きたい?」
「うん。やってみたいね」
「じゃあ、フェアにいこう」
僕は、目の前のテーブルからマッチ棒をテーブルにあけ、適当につかんで徳山を見返した。徳山はうなずき「偶数」と言った。

ひろげてみると、僕の掴んだマッチ棒の数は、「奇数」だった。それで連載は僕が引き受けることになった。編集者たちはあきれた顔をして僕たちをみていた。

新潮社のビルを出て、僕たちは地下鉄の駅まで一緒に歩いた。
「僕が書くことになっちゃったけど」
言うと、徳山は笑ってうなずいた。
「よかったよ。それが1番いい結果だったと思うよ」
僕はなんとなく照れくさかった。
徳山も照れくさそうに僕を見た。
「じゃあな」
「またね」
改札の前で、僕と徳山は、右と左に別れた。


井上夢人「おかしな二人」から







この10年間、日本はアメリカの金融支配層とその意を受けたアメリカ政府が仕掛ける対日金融戦争で散々な目に会って、完敗した。

そして、今度は、まったく別の方角から、日本に戦略的攻勢を仕掛けはじめた。「アメリカはこれだけ日本を金融、経済で痛めつけたのだから、もうそろそろ、攻撃の手を緩めてくれるだろう」などという考えは甘い。

アメリカは、次は、経済の分野からではなく、安全保障(軍事)・外交・政治の分野から攻勢をかけてくる。それは、ただ、一点、「日本は、集団的自衛権の行使に踏み切るべきか、否か」の問題にかかってきている。

日本国民よ、騙されるな。集団的自衛権を「行使する」とは、日本軍(自衛隊)がアメリカ軍と共同軍事行動に出ることを意味するのだ。

このことは、いよいよ自衛隊が日本領土外で動き出す、ということである。アメリカ軍と実践行動をとるということだ。それこそ、まさにアメリカの思うツボである。日本の自衛隊が特定の外国と戦う、すなわち外国との戦争に突入することを覚悟して、アメリカ軍と一緒に行動する、ということだ。

もっとはっきり書こう。アメリカは日本と中国と対立させ、中国にぶつけるつもりである。日中を分断して、いがみ合わせる。それで、「漁夫の利」を得ようとしているのである。これが、二十一世紀初頭のアメリカの対日戦略である。

「分断して、支配せよ!」という戦略である。ローマ帝国が築き上げた属国同士をお互いに反目させ「分断」することで、帝国の秩序を保とうとする世界支配戦略である。

2000年10月、アメリカで新たな対日戦略報告書が作成された。日本の「憲法改正と自衛権の行使を支持する」という趣旨の内容である。

その本当の隠された意図は、ただ一つ、日本を中国にぶつけろという一点にある。その先には、日本国内に反中感動を高めて反米感情を巧妙にそらす策略がある。その一方で、中国も次第に強引な反日になりつつある。アメリカが裏からけしかけているからだ。

日本は過去6兆円以上の対中援助を行っている。それなのに中国は、「ありがとう」とも言わず「評価する」と言う、そういう連中である。しかし、それでもなお、日本は中国と真剣に話し合いを続けて、協力してアジア地域全体を率いていかねばならない。


2001年3月刊 副島隆彦「悪賢いアメリカ、騙し返せ日本」









ただ彼女は何となく目の前にいた
ひどく汚れている子供を見て
そんなにあなたは私を困らせたいのと
思いがけず激しい口調で言った

悲しそうな顔が後ろを向いて
駆け出したその手から落ちたのは
何枚も何枚も書き直してやっと
出来た彼女の似顔絵

全てのものをおいても
受け止めるべきものは何かを
彼女は知っているはずなのに

取り返しの付かない悲しみが
ただ床に落ちていた

This is not a meterphor talk.
これはただの例え話じゃない
自分が思いも寄らないような
行動をとってしまう僕ら人間の話

大切な人を傷つけたいと
思うわけなどないと誰もが言う
傷つけたくないとただ思うだけでは
守れないという事を思い知るその時までは

This is not a meterphor talk.
これはただの例え話じゃない
自分が思いも寄らないような
行動をとってしまう僕ら人間の話



槙原 敬之「これはただの例え話じゃない








独りぼっちにもなれて うまくやっていたのに
流れ星のように君は 僕の前におっこちてきた

さぁ どうする?
この想いは世界を変えそうな勢い
友達はかんたんに
“いいんじゃないの”というけど

幸せになることに 妙に慎重になるのは
数々の苦い思い出が こわがらせるから


だれかが 言っていたよ
僕らは生まれてからずっと 半分誰かのために
あけてあるんだって 

そういえば
僕の見ているものと 君が見ているものが
同じかどうか気になる

想い出してごらん
試験でいい点とるのも 部活がんばったりしたのも
大好きなあの娘のため

愛する人を思って
働いたり悩んだり 自分をみがいたりするのも悪くない

ひいては 僕らが愛しあえば
未来だってかわるかも

僕の見ているものと 君が見ているものが
同じかどうか確かめよう

それから全てが始まる



槙原 敬之「恋はめんどくさい?」








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