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良寛・辞世の句 | 良寛様は、色の生っちょろい女好きのするやさ男だった・・・ |
ニーチェの幸福論 | 幸福であると一瞬でも思ったことがあれば、生きている価値がある |
キリスト教と同性愛 | 歴史をたどってみると、人は異性を愛するように同性を愛してきた。 |
私の嫌いな10の言葉 | お前のためを思って言ってるんだぞ! |
不倫の教訓 | "妻とうまくいってない" こんな台詞を言う男性は信用してはなりません |
ちょっと違うかも知れませんが | 親しみを持ってもらえる言い回し |
日本の祖先 | 日本人は中国人の一変種であり、華僑が日本を建国した・・・ |
祖父の死 | 私の祖父の話しをさせてください。(2CH泣ける話) |
大山増達 | ブラジルは地下資源がいっぱいのになぜ貧乏なのか? |
エイリアン | 第一作目で主人公リプリーの口に突っ込まれる雑誌は・・・ |
死にたいと思った時あるか? | 思ったことがある奴は、死んでいった者に優しい。思わない奴は・・・ |
嘘も方便 | 親が簡単に子供の嘘に騙されて、"ああ人間って皆、いい人なんだな"と安心して素直な子に育つ(古館) |
ボヘミアンラプソディ | 母さん たった今 人を殺してしまった |
田中清玄 | アジア民族が団結しないと、これは大変だ |
わたしが棄てた女 | 「わたしが・棄てた・女」という小説を読んで泣かなかった人は、景品をあげます。 |
十勝沖地震でのアナの発言 | 「ちいさなお子様がいるご家庭の方は・・・ |
インドの乞食 | 「お前も乞食にならなければいけない」と言って、小さい時に親が腕を・・・ |
円周率を覚えよう | 産医師、異国に向かう、産後 |
あなたバカですかいい意味で | 効果的なヨイショの仕方を見つけることが出来た。それは・・・(古館) |
指の動きで心が読める | 口元に指をもってくるクセのある人は、人一倍欲が深く、・・・ |
指の動きで心の内側がわかる
女性に多いしぐさだが、口元に指をもってくるクセのある人は、人一倍欲が深く、とくに人が持っているものが欲しくてたまらない、という傾向がある。 友達に彼氏を紹介したら、彼をとられてしまったことがある人は、彼女のクセを思い出して欲しい。口元に指を当てたり、指先を噛むクセはなかっただろうか。 また、顔に手をやるクセがある人は、「その部分が自分の欠点だ」と思い込んでいる場合が多い。物事を否定的な面からとらえ、その考えにこだわってしまう性格であるといえる。そうした人は概してマイナス思考に走りやすい。 顔の一部に手を当てるクセの中で、もっとも注意したいのは、あごに手をやるクセである。とくに親指と一指し指であごをつかむクセの持ち主にであったら要注意だ。 こういう人は、人一倍お金に対する関心が強く、人間関係においても打算が先にたつので、なかなか信頼関係が築けない。人におごる場合も、どんな見返りがあるか、モトがとれるか、その確証がなければ、絶対おごろうとしないタイプである。 |
エイリアン
★SF映画「エイリアン」第一作目で主人公リプリーの口に突っ込まれる雑誌は平凡パンチ。 ★リドリー・スコット監督が世界中の下らない雑誌を集め、その中でもっとも下らない「口に突っ込みたくなるようなクズ雑誌」として選ばれた、名誉ある雑誌が平凡パンチである。 ★そんな事を知らない平凡パンチ編集部は宣伝のために来日したリドリー・スコット監督の元へ意気揚々とインタビューに行った為、監督は大爆笑をした。 ★ちなみに平凡パンチは1988年廃刊となっている。エイリアンの時代設定はいつなのか不明だが、宇宙船の中に随分と古い雑誌があった物だ。 ★ちなみに口に突っ込まれたのは1978年3月20日号。表紙は現・竹中直人夫人の木之内みどり。 (豆知泉より) |
円周率を覚えよう
3.141592653589793238462643383279 502884197169399375105820974944 592307816406286208998628034825 3421170679(100桁まで) |
産医師、異国に向かう、産後 314、159265、35 産婦人科の産医師ヒロシは、海外に移住した弟から、「兄さん!助けてくれ!僕の彼女が陣痛を起こしてるんだ!」と連絡を受け、異国に向かう事になった。 しかし、海外旅行の経験がない彼は空港で右往左往。ようやく目的地に着くが、時すでに遅し、もう妊婦は自力分娩した後(産後)だった。 爆竹ゾーン、兄さん走る 89793、23846 怒ってる弟に「兄さん、来るのが遅いよ!もういいから、とっとと帰ってくれ!」と罵倒された彼は、とぼとぼ帰る。だが、その国は内戦の絶えない危険地帯。 ゲリラが地中に大量の爆竹を仕掛けた爆竹ゾーンに足を踏み入れてしまった兄さん(ヒロシ)は、パンパンと爆竹が破裂する中、必死の思いで空港までの道を走る。 二浪し、さんざん破産に泣く 264、3383279 命からがら空港までたどり着いたものの、あまりのショックでアタマがパーになってしまう。医師免許を剥奪され、再び試験を受けなければならなくなったヒロシ。 アタマ悪いので 二浪してもなお合格せず、受験費用だけがかさみ、さんざんな生活を送る。貯金も尽き果て、破産に泣く事に これには芭蕉、一句ない 502884、1971 あまりにミジメなその彼の姿を、たまたま現代にタイムスリップしていた俳人・松尾芭蕉が見て、嘆いた。 「なんと哀れな男じゃ…。これにはさすがの芭蕉も、一句も思い浮かばないわい。」 リュックサック、キミんち、強盗 6939、937、510 そんな彼に、さらに不運が続いた。貴重品を全て入れておいたリュックサックが、何者かに盗まれてしまうのだ。 目撃者に「キミんち、強盗が忍びこんでたよ!」と知らされ、急いで帰宅するも、すでに犯人は逃亡、もぬけの殻だった。 コンパニオン、グッチ、支給しよ 5820、97、4944 「…ない!盗まれた!」彼はショックだった。先月、合コンで知り合ったコンパニオンのマキちゃんに、今度の日曜にグッチのショルダーバッグをプレゼント(支給)しようと思っていたのに、それさえも盗まれてしまったのだ。 号泣、兄さん、女は居留守 59、23、078164 救われようのない絶望感に打ちひしがれ、号泣するヒロシ。「…ああ、オレは弟にも馬鹿にされてしまう、ダメな兄さんだ…」 傷ついたハートをなぐさめてもらおうと、マキちゃん(女)のアパートに行くが、「げっ!あのしつこい男だ!」と彼女は居留守を使って無視。何回ベルを鳴らしても出てこない。 オムツ野郎にアッパー!キック! 062862、08、99 あまりにしつこいので、キレたマキちゃんはドアをいきなり開け、「うるさいわね!あんた、赤ちゃん言葉を使うからキモチワルイのよ!」と罵倒し、さらに 「このオムツ野郎!もう来ないで!」と捨てゼリフを吐き、彼にアッパー!キック!の応酬を食らわせた。 野郎!ツッパれ!差し歯抜こう! 86、280、34825 マキちゃんに歯が折れるまでボコボコにされた彼は、「女に負けるなんて…オレもケンカ強くなりたい!」と決心し、町のヤンキーにケンカ指南してもらう事にした。 ヤンキーは彼を見るやいなや、「野郎!なんだ、その弱々しいツラは!もっとツッパれ!折れた歯はケンカした男の勲章だ!いちいち差し歯なんかしてんじゃねえ!今すぐ抜こう!」と喝を入れた。 三時に時報(117)、オウム鳴く 342117、0679 ケンカに自信をつけた彼は、復讐のために、「明日の午前三時に、河川敷で待つ」とマキちゃんに果たし状を送りつけた。そして決戦の時。彼女はペットのオウムを肩に乗せ、身軽なバニーガールの格好でやって来た。 「いい度胸してるわね、あんた。こう見えても、あたしは“オウム使いのマキ”と恐れられた女よ。覚悟しなさい!」 そのとき三時を告げる時報が鳴り響き、戦闘開始。いきなりマキの肩のオウムが「ゴシュジンサマニ、サカラウヤツハ、ユルセナイ!」と鳴く。 そして、牙をむいて飛んでくる!果たして、彼の運命は……。【第1話 完】 (ゲームデザイナー後藤さんのHPより) |
おい、お前は死にたいと思ったことがあるか? 思ったことがある奴は、死んでいった者に優しい。 思わない奴は、残された者に優しい。 そのくらい生きるって事は壮絶だと、俺は思う。 これから生きる道がどこにあるのか。 行き先がまったく見えなくなった時、人は自ら死を選ぶんじゃないのか。そんなことを、ふと思う。 行く先がはっきり見えるなんて俺はまやかしだと思う。 いくら目を凝らしても先が見えなくなったら、隣を観てみろ。見えないでうろうろしてる奴がたくさんいるはずだ。 だからな、そんな焦ることないんだよ。 |
十勝沖地震
つい先程、北海道で震度6の地震が起こったようで テレビをつけてみると、日本テレビのアナウンサーが こう言ってました。 「小さなお子さまがいるご家庭のかたは、 どうぞお子さまを抱きしめてください」 こういう表現は初めて聞きました。 なんかぐっと来ました。 投稿日: 9月26日(金)05時20分27秒 |
「わたしが・棄てた・女」
今から30年くらい前に私は、ある人物をモデルにして小説を書こうと思いました。これは映画になったこともあったりしたんですが、知らない人は読んでください。 「わたしが・棄てた・女」という小説です。これを読んで泣かなかった人は、男は別ですよ、女の人で泣かなかった人には、景品をあげます。 これにはモデルがいました。京都の裕福の所のお嬢さんで、ある時、手に1円大のものが出来た。それで病院で皮膚科に診てもらったところ、なんとハンセン氏病だった。ハンセン氏病というのは昔の言葉で、らい病といいました。 らい病というのは、今のエイズよりも恐れられていたかもしれない。まず治らない、しかも顔や体がぐーと崩れていきます。その病気は非常に移りにくいんだけれど、伝染病です。今はもう特効薬ができて治りますが、その頃の話ですから、親、兄弟と別れ、つまり家族とまったく永遠に訣別して、遠いところに行って一生を終えなくてはならない。薬がないから、苦しみながら一生を終えなくてはならない。 そのお嬢さんは、それまで幸せな生活をしてたでしょう。家族に愛され友達もたくさんいた。しかし、その病気にかかったために御殿場の復生病院という病院に行ったんです。 そこでです。病院に入って検査を受けた結果は、なんとハンセン氏病じゃない、と言うんです。嬉しかったでしょう。地獄から本当に帰って来たように。それで、お嬢さんは、また家族の所へ帰ることができる、前の生活に戻ることができる。 カバンを持って御殿場の駅まで行って、汽車が入ってきて、それに乗ろうとしたときです。お嬢さんの頭を横切るものがあった。 彼女は、汽車に乗らないで、またカバンをさげて病院に戻っていきました。一生を、このハンセン病の患者の看護にあたって、生涯を終わられたんです。 私は、この女性をモデルにして小説を書きたいと思いました。 (遠藤周作) |
不倫
「結婚している人を好きになったことがあります。 その人は奥さんも子供もとても大切にしている人でした。そんなところも好きでした。そしてそれでも私のことも好きという人でした。勝手だなと思ったけど、正直な人だなと思いました。 既婚者はよくも 悪くも絶対奥さんの影響を受けています。素敵に見える既婚者は、奥さんが素敵に育てたものだと私は思っています。過去の自分の誤った苦い経験から、私が得たものは、不倫は他人が一生懸命素敵に育てた男性をおいしいところだけ横取りする行為だという教訓です。 "妻とうまくいってない" こんな台詞を言う男性は信用してはなりません。それはあくまで自分に注意をひきつけようという魂胆に他ならないのです。多くの男達は、その言葉を発して口説こうとしますが、あまりにも自分勝手でずるい人達です。 考えて見れば、分かることです。彼が絞めてるネクタイは奥さんが選んで買って来たもの。彼が汗を拭く綺麗にプレスされたハンカチは奥さんが洗って アイロンかけたもの。彼がベッドの中で脱ぐかもしれないパンツだって、奥さんが 毎日洗濯して干してるもの。 既婚者の男性はセーターやシャツの首の所についてるタグの ように、どこを切っても「奥様印」が刻まれてるからこそ、 素敵に見えるもんなんです」 |
これは現実なのだろうか それとも ただの空想なのか まるで地すべりに巻き込まれたように この現実から逃れることは出来ない さあ その目を開けて 空をあおぎ見るがいい 母さん たった今 人を殺してしまった 奴の頭に銃口を向けて 引き金をグイと引いた 奴は死んだ 母さん やっと始まったばかりの人生を 僕はこんなに簡単に捨ててしまった 母さん … 泣かせようと思ってやったわけじゃない だから 明日になって僕が戻らなくとも 一人でちゃんと生きていってね 何事もなかったように もう なにもかもが遅い 僕の人生は終わった 恐ろしくて 体中の骨が震えている 体中のいたるところ 苦痛にさいなまれる さようなら みんな 僕はもういかなければならない きみたちみんなに別れを告げて 僕は厳然たる事実に立ち向かうんだ 母さん … 死にたくないよ 僕は 時々 こう思う いっそのこと 生まれてこなければよかったと… |
「嘘」
たとえば子供が「このおもちゃ買って!」と泣きわめいても、そんなときは親は買ってくれない。「この前同じようなものを買ってやったでしょ!」と言われて終わりである。ところが、同じ状況でも、子供がもの欲しそうな顔をして、やせ我慢してだまっていると親も対応が違ってくる。「欲しいのか、お前」「ううん、いらない」そういう言葉を欲しくてたまらなそうな顔をして言うと、親は"なんていい子だろう"と感動して、無理してでも買ってやりたくなる。そう言うことってよくあるはず。 古館伊知郎「喋らなければ負けだよ」から |
アメリカの覇権主義
【大山】 私は十四、五年前、ブラジルに行ったんです。ブラジルは地下資源がいっぱいあるし、大きな国だし、日本の二十何倍に近い大きな国なのに、どうして貧乏しますか、そう言ったら、ヘーグレという将軍が日く。 だから、中南米におけるところの小さい国の、たとえばパナマのノリエガ、こういう人間は自分の民族を愛しているんだよ。だからアメリカの言うことを聞かないわけです。聞かないから、結局麻薬の罪にして、軍隊をパナマに出してそこの国の大統領を逮捕したりする。 中国へ一番初めに行って、中国と仲良くしなくちゃいけないと言ったのは、田中角栄だよ。アメリカが行く前に、中国の毛沢東と会ったり、周恩来と会ったり。私たちアジア民族はアジア民族で団結しなくちゃいけないと言って、やった。面白くないんだよ。それで関係のないロッキード問題で、火の手が上がったのはアメリカからじゃないですか、日本からじゃないよ。そして、田中角栄という偉大なる政治家を失脚させて、今、半分狂い死にさせてしまったんじゃないか。 フィリピンもそうだ。マルコス大統領の対抗馬にアメリカ亡命中のアキノを送りこんで、アキノさんが暗殺されると未亡人を立てて、選挙監視団を送りこんで、ついにフィリピンにある空軍と海軍の基地から圧力をかけた。 大山増達『武道論』より |
アジア民族の団結を説いた田中清玄
【大山】 ブラジルから日本に帰って、私が親しくする先生が一人いたんです。田中清玄という人です。私と家内の仲人なのよ。 だから、奴隷化しようといった場合、我らが力がないと奴隷になってしまう。彼らは全部兵器を持っているから、早く私たちも、同じ力を持たなくちゃいけないよということを、田中清玄が言った。「師範、イソップ物語知ってますね?」と、こう言うんです。 だから、それと同じく、アメリカに対抗する力を持たなくちゃいけない。それは日本と中国しかないという意味だよ。そして韓国だよ。「師範、これを忘れないでくれ」と、こうあの人は言っておったよ。 【平岡】 何年ぐらい前ですか。 【大山】 二十年近くなったかな。「師範、それを忘れたら、今に、私たちの孫の時代は、全部ユダヤ系統の奴隷になってしまうよ。今に見てくれ」と。米ソが間もなく手を握る、と、彼らは争わない。争う恰好はしてても、彼らは争わない。なぜならば、同一民族の系統だから。だから、今はいいんだけれども、手を握った時が怖いよ、と。だがね、ソ連が崩壊した。崩壊した今日どうなっている? |
インドの乞食
【大山】 ああ、インドの貧民窟を見たいと言ったらね、連れていってくれたんだが、乞食の多いこと。それが鼻がなかったり、目が潰れたり、耳がなかったり、腕がなかったりするんだね、小さい子供達が。そして日本人を見たら全部ね、手を開いて「くれ」という。「どうしてこんなに多いんですか」と言ったら、説明する人が、日本で戦争中教育を受けたので日本語が少しできる人だよ、その通訳が言うんだ。 乞食は、乞食にも隊長があるの。乞食村というのがあって、そして稼いで持ってきてその隊長に上げなけりやいけないのよ、親分に。 大山増達『武道論』より |
私の祖父の話しをさせてください。 ある日、祖父の足がパンパンに膨れ上がり病院へ行きました。 それまでも痛みやダルさがあったようなのですが、 年のせいなどとあまり気にしていなかったみたいです。 診断の結果はリンパ線のガン。 既に手の施し様が無い状態でした。 腫れが引けばすぐに退院できると思っていた祖父は 連日繰り返される検査にうんざりしていた頃、 ようやく退院が決まりました。 最期は家で。。。と。 でも祖父は『治って退院』と信じていました。 『おまえが嫁に行くまではがんばらなきゃ!』といいながら。 私は『そうだよー、がんばってよー、あと10年ぐらい かかるからね』と笑いながら話し、泣きました。 退院後もしばらくは普通に生活ができ、医者から宣告された 余命よりもうんと長く頑張ってくれたのですが、 私の花嫁姿を見ることなく、母の誕生日を祝った翌日、 静かに息を引き取りました。 親族が集まり、葬儀の準備をしていると、祖父が使っていたタンスの奥から、重要書類がきちんと 整理された箱が出てきました。 病名を知らされてはいなかったけれど、自分の体調の変化に 気がついていたのだと思います。自分がいなくなった後、周りで手間取らなくていいように 準備していたのだと思います。 その書類の中に写真が1枚混ざっていました。遺影にするための写真です。 きちんとスーツを着て、お気に入りのネクタイをしめた写真でした。 退院してから撮ったと思われるもので、頬が少しこけていまし た。祖母も知らなかったその写真は、誰にも知られないように 1人こっそりと用意したものでした。 一体どんな気持ちで写真屋へ行き、どんな気持ちで撮ったのだ ろうと考えると、息が詰まる思いでした・・・ 某掲示板より |
先日、友達と居酒屋で飲んでいると、そこへ外人さんが乱入。イタリア系オーストラリア人で、NOVAで英語を教えているという31歳の男前。3年も日本にいるらしく、日本の恥部も良く知っていた。お互い、いい感じに酔っ払ってきたので、私は次のような事を質問してみた。 私「日本人は中国人の一変種であり、華僑が日本を建国したと私は考えているが、あなたはどう思うか」 豪州人「そうだね。そして、日本列島にもともと住んでいたアイヌを殺したのだろう」 私「中国から高度な文化や制度を輸入した華僑が、日本列島に住んでいた土着民を支配したのが真実だと私は思うが」 豪州人「イエス」 私「でもこういう話は、学校でも習わないし、日本人でもそう考える人は、非常に少ないよ」 豪州人「それがナショナリズムだよ。紀伊国屋書店で売っている英語のガイドブックにも書いてないよ。オーストラリアにいるときは知らなかった。日本に来てから知ったことだ」 私「では質問するが、オーストラリアだって、元々はアボリジニーという先住民族の土地であり、それをイギリスの流刑地として、白人が移植してできた国だろう。アボリジニーを殺したわけだろう。日本と状況が似ていると思うが、どうか」 豪州人「まったくそのとおりだ。同じことだね」 私「子供の頃にそういうことを学校で習うのか?」 豪州人「習うよ」 私「それを知ったとき、ショックを受けないのか?」 豪州人「人によって反応は違う。俺はとてもショックだった。でも真実だから、しょうがないことだ」 某掲示板より |
ちょっと違うかも知れませんが・・・
■ちょっと違うかも知れませんが・・・ トーク番組のゲストは皆タレントだから、当然自意識も強いし、自己愛も強烈である。 だから、仮にゲストがゴルフでの失敗談を話したとき、ボクが「ゴルフの失敗談なら同じようなのがありますよ、実はね・・」、なんて話をすると、間違いなくゲストは、不機嫌になる。せっかく自分が一生懸命話した体験なのに、そのぐらいのネタだったら珍しくないよと、司会のボクに一刀両断されてしまった気分になるのだ。 そこで開発したのが、「ちょっと違うかも知れませんが・・・・」という断わり文句。まずゲストが面白い話がある。そこで大笑いしたあとも、しばらく余韻を引きずる感じで、「へぇーそんな話あったんですか」と少し間を置いてから、「今の話とは、ちょっと違うかもしれませんが、ゴルフというとボクも失敗したことがあって・・・」と切り出せば、話している内容は同じなのにゲストは快く反応してくれる。 この「ちょっと違うんですが・・・」は日常の様々な場面でも役立つはず。たとえば会議などで有力な意見を誰かが言った場合、その直後に「ちょっと違うかも知れませんが・・・」と一応言った上で、中身は流れに沿った無難な話をする。 違う話をしますよと牽制された相手は、一瞬"なんだこいつ。俺の意見を否定する気か"と身構えたあとで、自分の意見を肯定してもらうわけだから、大変親しみを持ってくれる。「今の意見に賛成の立場から話をします」なんて言ってしまったら、"度胸もないくせに、人の尻馬に乗りやがって”と逆に軽んじられてしまうから、この一言は重要だ。 ■中継的口説き術 自分の喋っていることばをあたかも第三者が見ているような客観的な形で釈明するという中継法は、日常会話でも、応急処置に結構役立つ。 たとえば女の子に「今度飲みにいこうよ」なんて誘うとちょっと野暮ったいけど、「今度飲みに行かない?なんて今時、こんな野暮ったい誘い方する奴なんていないよね」と言っておいてから、また「飲みに行かない?」と聞き直すと、かなり違った印象になる。 あるいは、「ねぇ、君って一人のときは、いつも何してるの?って、大きなお世話ですか?」と笑いを取って相手をほぐした後で、改めて、「で、一人のときは何してるの?」と聞く。そうやってダサい自分を自ら中継することで、そのダサさを帳消しにすることができる。 言わば中継法というのは、ドラマの台本におけるト書きと同じで、「あの・・・と思わず口ごもる博之。しかし、その態度は真剣である」というふうに、相手に向かって上手く伝えられない気持ちとか言葉を、代わりに自分に関するト書きのような調子でしゃべることで、別アングルから伝えるといいう手段なのだ。 「ごめん、なんでこんな簡単なことが言い出せないのか、自分で自分が情けなくなる。そんな勇気もないのかと思う。・・・つまり・・ええい、ままよって気持ちで告白しちゃうと・・・好きなんだ、キミが」 中継法というのは、相手に自分の弱点を察知させる前に、先に自分から弱みをさらけ出してし、潔く審判を待つと言う殊勝な態度にもつながる。いずれにしても、中継法が話をスムーズに進める上での重要な武器であることに変わりがない、とボクは断言する。 古館伊知郎「喋らなければ負けだよ」から |
いい意味であなたバカですか?
人を誉めるのは想像以上に難しくて、「○○さん、とてもすばらしかったです」とか「課長の仕事ぶりは素晴らしいです」とストレートに誉めてもじつはあまり効果がない。 僕は、トーク番組を通じて、効果的なヨイショの仕方を見つけることが出来た。それは相手を誉める前に、 「あななたがここにいるから言うんじゃないんです」 「本人を前にして言うのも何ですが」 「今、こうして会ってるから言うんじゃないんです、本当に・・・」 とクドクド注釈をつけること。すると相手が思った以上に喜んでくれるのだ。 ヨイショの内容は変わらないのに、こういう一言を添えるだけで相手の反応は変わってくる。素直に感激してくれるのだ。これはストレートに相手を誉めることが、あまりに白々しいとき、逆にわざと白々しい前置きをすることによって中身のセリフを際立たせる手法である。ためしに使ってみると案外おいしいテクニックである。 これとは対照的でヨイショではなく、悪口を吐くことによって、相手をなだめる手法もある。僕のお気に入りのスレーズで、TVでもしょっちゅう使っている「いい意味で」という一言。この一言を添えると悪口が悪口にならなくなるから不思議である。 「すると、あなたはバカだったのですね、いい意味で」 「イイ意味で、生意気な小娘だったんですね」 「君も世間知らずなやつだな、いい意味で」 野球の江夏豊がゲストのときに、彼が学生時代に先輩の仕打ちに対して爆発させてしまったエピソードを話していた。 江夏「・・それでこっちも冗談じゃない。コノヤローとムカッときて・・・」 古館「殴ったんですか」 江夏「いや、殴ったちゅうか、相手があまりにむちゃなことをするから・・」 古館「いい意味で、殴ったんですね」 江夏「はい」 こういう場合にも使えるのである。 古館伊知郎「喋らなければ負けだよ」から |
「私の嫌いな10の言葉」
1.相手の気持ちを考えろよ! 2.みんな一人で生きてるんじゃないんだ! 3.お前のためを思って言ってるんだぞ! 4.もっと素直になれよ! 5.一度頭を下げれば済むことじゃないか! 6.謝れよ! 7.弁解するな! 8.胸に手を当ててよーく考えてみろ! 9.みんなが嫌な気分になるじゃないか! 10.自分の好きなことが必ず何かあるはずだ! 中島義道「私の嫌いな10の言葉」から |
同性愛
たとえばニューギニアではいまでも少年と成年との性交を行う部族があります。精液を注入することにより一人前の戦士になるという信仰があるのです。少年が成人したとみなされるまで何度でもそうした儀式が行われます。 では日本を見てみましょう。井原西鶴の「好色一代男」の世之助は千人斬りどころか四千四百六十七人斬りを達成しますが、そのうちの七百二十五人は少年でした。その当時は成人と稚児(付き人の少年)との交わりは普通でした。 織田信長と稚児である森蘭丸の関係は有名ですが、戦国時代、正妻は戦略結婚で嫁いできます。気を許せる相手ではありません。それに対し、身近に仕えていった稚児たちとは、戦場で生死を供にするわけです。身も心もひとつになっていくのは、自然な流れでしょう。そしてこの少年愛は、西洋のキリスト教的価値観が流入してくる明治中頃まで続いていきます。 ところが、大正期に「同性愛」という言葉が生まれ変態扱いされ始めると、地下に潜伏。しかし戦後、アメリカのゲイパワーの復権にともない、日本でも再び地上に顔を出すようになりました。 このように眺めると、同性愛を弾圧したのは、キリスト教であることがわかります。キリスト教が成立する前の古代ギリシャでは、少年愛は崇高なもので、ギリシャ軍最強の精鋭部隊は300人全員、同性愛者でしたし、プラトンの説いたプラトニックラブも、少年愛をより高めていこうとするものでした。 つまり人は異性を愛するように同性を愛してきたのです。ゲイを目の敵にする人ほど、実は自分のなかに潜んでいる同性愛の欲望を否定しようと躍起になっているのかもしれません。 |
幸福であると思ったことが
一瞬でもあれば人生は価値がある
■ニーチェが言う。「神は死んだ」。 キリスト教は、現世は罪の世界であり、来世に天国へ行って幸せになるという世界観を持っている。したがって、この世では信仰を守り、やりたいことを我慢して天国にいけるようにしなければならない、と考える。 プロテスタントでは、とくにこの傾向が強く、厳しい戒律で人間の欲望を押さえつけようとするのである。 ニーチェはこうした考えに素朴にこう問い掛けた。 「人間が、いまこの世界で、喜びを求めてはいけないのだろうか?」 彼は二十五歳でバーゼル大学の教授になったほどの神童だったが、芸術的な才能にも恵まれ、ピアノは即興演奏できるほど上手だった。作曲もお手の物だった。 そんなニーチェだったから、音楽が人を感動させる圧倒的な力をよく理解していた。そうした人間が作る芸術が、歓喜や幸福の瞬間を生み出すことは素晴らしいことではないか、と疑問に思っていたのである。 ■ニーチェの幸福論。 ニーチェは、一度でもしあわせの瞬間があれば、人間は永遠の愛に結ばれ、何度でも自分の人生をやってもかまわないと思えるはずだ、と言った。 彼はこれを「永遠回帰」と呼んだ。 ニーチェが「永遠回帰」というものを考え、それを『ツァラトゥストラはかく語りき』に書き記そうとしていたとき、彼は激しい恋の渦中にあった。 ニーチェは哲学者パウルの紹介で、当時二十一歳で知性と美貌の持ち主ルーサロメに会い、恋に陥る。実はパウルもルーサロメに恋をして、結婚を申し込むが断わられている。 ルーサロメは、普通の結婚を望んでおらず、パウルに「ニーチェと私たち三人で調和を保ちながら共同生活で暮らし、共同生活するのが夢・・」と語る。しかし、こんなことが実現することもなく、ニーチェは失恋し、パウルは自殺するのである。 しかし、短いながらルーサロメと過ごしたニーチェの姿は彼女の日記にこう語られている。 「ニーチェとおしゃべりすることは、とてもすばらしい。自分とよく似た思想や観念に出会うことは、本当に魅力的なのです。私たちはお互いに完全に理解し合いました。或るときニーチェがこんなことを言うのでビックリしました。<ぼくたちの違いは、年齢の違いだけだ。生き方も考え方もそっくりだ>」 ニーチェはルーサロメを愛した。このルーサロメとの恋愛が、『ツァラトゥストラはかく語りき』に見られる「永遠回避」の思想、<一度でもすばらしいと思えれば人生と言うのは幾度でも繰り返す価値がある>、という考えを書かせる原動力になったとも言われている。 ニーチェにとって、ルーサロメとの恋愛は、失恋したけれども、幸福と思える素晴らしい瞬間をもった恋愛だったのだろう。 |
■良寛さま 「良寛さまは、今じゃ、まるで生仏みたいに崇められているけどな、若い時はお前さん、名主の昼行燈(ひるあんどん)って、みんなにこけにされて、かげ口きかれたもんよ。その上、色の生っちょろい女好きのするやさ男だった上、近在一の金持ちときてるもんだから、宿場の女郎たちに大もてだったそうだ。結構女好きで遊女屋に入りびたってたって話だよ。子供心にも覚えてるのは、大人たちが、 『ほれほれ、橘屋の太郎坊が来た。村の娘ら気をつけれ』 ってはやしてたことよ。今の良寛さまからは思いもつかない」 私はまさかといって声に出して笑ってしまう。托鉢の途中で、子供たちと遊びたわむれ、おはじきや手毬つきに打ち興じ、鉢の子の中は空っぽのまま、帰っていくようなこの頃の良寛さまは、放蕩息子の俤など思いやりようもないのだった。 |
■歌よみの歌、書家の書、料理人の料理 「歌は万葉からのものがいい。古今集はまだしも、新古今以後は手本にしない方がよい。万葉集をとにかく読んで読んで読みつづけることだな。わしの一番きらいなものはな」 良寛さまはちょっと激したようにつづけられた言葉をどこできって、ふっと口許を歪めて笑いを殺すような表情をなさった。 「おきらいなものは」 私は思わず膝を乗りだしていた。 「歌よみの歌、書家の書、料理人の料理かな」 私は膝を打って笑ってしまった。何という小気味のいいことをすぱっとおっしゃるお方なのだろう。これはもう、深い強い自信の裏打ちがなければ、気障(きざ)で聞けない言葉だけれど、良寛さまが飄々とした表情でさらりといってのけられると、これ以上の真理があるものかと思われるから不思議である。 「何事もその道の専門家は、手先だけの器用で、事を片づけてしまう。下手でもいい、心がこもったものが人をうつようじゃな、えてして子供の書く字や絵に、わしらはよく、目を叩かれたように思うことがあるものよのう」 |
■道元禅師 夏の炎天の下、仏殿の前庭で、汗まみれになりながら椎茸を干している老典座の作務を見て、二十三歳の若い留学生の道元が訊く。老典座は年を訊かれて六十八歳だとそっけなく答えた。 「この暑い日照りの中で、どうして年とったあなたがそんなことをひとりなさるのですか、人足をお使いになればいいのに」 老典座がじろりと外国の若留学生を見ていう、 「他はこれ我にあらず」 「それじゃもう少し日がかげってからなされば」 「さらにいずれの時をか待たん」 他人は自分じゃない。自分はこの仕事をしたいのだといいきる強い意志と、今やらないで何時椎茸を干す時があるのかという老典座の返事は、道元に強い感動を与えている。 道元は貴族階級の出で、台所仕事などは軽蔑する習慣が身についていたのだろう。禅宗では作務を如何に大切にするか、台所仕事が坐禅や看経(かんきん)に比べて対等であることを道元はこの時知らされたのだ。 |
■仏法とは 「仏法とは一口にいって何なんでしょうか、良寛さまに今度聞いておいてくれませんか」佐吉が私の背後から声をかけてきた。山径は登りより下りが神経を使う。 「そんなことはもうとっくに尋ねています。良寛さまはおっしゃったわ。人ひとりひとりの心が自由になることだって」 「心が自由?」 「こだわりを持つなってことでしょうね」 「心を自由にしていいなら、あっしが貞心さんにいくら惚れてもいいわけだ」 「また、すぐそうやって茶化すんですもの。佐吉さんとはまじめなお話が出来ないわ」 「だってそうでしょう。こだわりを持たないなら、三十の貞心さんが良寛さまに惚れたっていいわけだ」 「惚れたなんて、失礼よ」 「じゃ、どういう御関係なんで」 佐吉は私をからかう時は、言葉に弾みがついてくる。 「帰依してるんですわ。仏法の師弟の清い間柄だわ」 佐吉はいっそうはしゃいだ心になっていう。 「ほらほら、そもそも帰依っていうやつが、身も心も仏に捧げますっていう言葉なんだから、やっぱり惚れこむって意味ですよ。身も心もあなたさまに捧げますって・・・・・・ずいぶん際どい口説き文句だ」 |
■「散る桜、残る桜も散る桜」 煙を目にしみこませながら、火を吹いていると、少なくとも今、まだ良寛さまは生きていらっしゃるのだという喜びが湧いてきた。 二千四百年前の印度の釈尊の最後の旅のお姿が思われる。あの尊いお方でさえ、最後の病いは良寛さまと同じようなものであった。激しい下痢に悩まされながら、クシナガラへ旅をつづけられた釈尊の苦しみを思うと、釈尊も良寛さまも、人はこうして病み、苦しみ、糞尿にまみれながら、汚わいにまみれて逝くものだということを、教えられているような気がした。 人の世の人の苦しみを一身に代わり受けてくださっているような尊さと有難さが湧いてきた。そだを折る音が愕くほど静かな空気をきりさいた。 由之さまと交代でお伽(とぎ)をしている時、私はさりげなく、 「お心にかかることはございませんか、御気持は如何でしょうか」 と申しあげた。良寛さまは薄目をあけて、まっ直私の目を捕え、 「死にとうない」 とつぶやかれた。聞きちがいかと、一瞬目を大きくしたが、その私の表情をごらんになって、うっすらと微笑され、 「死にとうない」 ともっとはっきりいわれた。 「こんなにやさしい人たちに囲まれているのだもの、もっとこの娑婆にながらえたい気がする」 もはや薬も食事も自ら断れているようなので、私も覚悟を決めた。 「御辞世は」 良寛さまは半分眠ったようなうつらうつらとした音声で、 「散る桜、残る桜も散る桜」 とつぶやかれ、そのままひきこまれるようにすとんと眠りに入られた。 理につきすぎて良寛さまらしくないお歌だった。やはり辞世というのはまだ神経のしっかりしている時につくっておくのがいいのだろうか。 「手鞠」瀬戸内寂聴から |
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