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ハンプリ ハンは恨みや憎悪の感情をだけでなく、希望につながるものとして解釈できる
歴史解釈学 歴史というものは「解釈」次第で、「良かったこと」とも書くことができるし、「悪かったこと」として書くこともできる
守ってあげたい あなたを苦しめるすべてのことから 'Cause I love you
Il postino 君の笑顔はバラの花 あふれでる水 あるいは突然襲う銀の波
夢を見れば あなたの夢を見れば いつか きっと 願いがかなう
ジョゼと虎 「帰らんといて。もう三十分でも居てて。テレビは売ったし、ラジオは壊れてしもたし、アタイ淋しかったんや・・・」
男の習性 「辛かったね」「最低!」とかいう、解決策に至らないただの愚痴やなぐさめ見たいなこと、なかなかしない
パンセ 時は悲しみを癒す
拒食症の原因 母親との関係のゆがみが原因
女性の涙 女性の涙に騙されるな
夢でもし逢えたら 素敵なことね
名作童話ベスト10 1位 てぶくろをかいに







a
朝、目覚めると泣いていた。

いつものことだ。悲しいのかさえ、もうわからない。
涙と一緒に感情はどこかへ流れていった。

しばらく布団の中でぼんやりしていると母がやってきて、「そろそろ起きなさい」と言った。

雪は降っていなかったが、道路は凍結して白くなっていた。

父が運転する車の助手席に、アキの父親が座った。アキの母親と僕は後部座席に乗り込んだ。


a車が動き出した。

運転席と助手席の男は雪の話ばかりしている。
搭乗時間までに空港にたどり着けるだろうか。後部座席の二人は、ほどんどしゃべらなかった。

僕は車の窓から通り過ぎていく車を、ぼんやり眺めていた。道の両端に広がる田畑は、見渡す限りの雪景色だった。

アキの母親は遺骨の入った壷を膝に抱えている。
美しい錦織の袋にくるまれた壷、その中にアキは本当にいるのだろうか。


a僕は夢を見た。

まだ元気だったころのアキの夢だ。夢の中で彼女は笑っている。

夢が現実で、現実が夢ならいいと思う。悲しいからではない。楽しい夢が叶い、そこから現実にもどってくる間に、跨ぎこさなければならない亀裂があり、涙を流さずにはそこを超えることができないからだ。








好きな日本の名作童話ベスト10



1.てぶくろをかいに

・悪い人もいるから注意してね>子ぎつねさん

2.ごんぎつね

・ごんちゃん、かわいそうすぎるぅ〜

3.ないた赤おに

・せつないぜ、あおおにたん・・・・


4.銀河鉄道の夜

5.赤い蝋燭と人魚

6.やまなし

7.注文の多い料理店

8.セロひきのゴーシュ

9.モテモテの木

10.むくどりのゆめ

10.よだかの星


「MOE」 200311月号



番外:100万回生きたギコ










夢でもし逢えたら  素敵なことね
あなたに逢えるまで 眠り続 けたい

あなたは
わたしから遠く離れているけど
逢いたくなったら まぶたをとじるの

夢でもし逢えたら 素敵なことね
あなたに逢えるまで 眠り続けたい

うすむらさき色した 深い眠りに落ち込み
わたしは駆け出して あなたを探してる

夢でもし逢えたら 素敵なことね
あなたに逢えるまで 眠り続けたい

春風そよそよ 右のほほをなで
あなたは私の もとへかけてくる

夢でもし逢えたら  素敵なことね
あなたに逢えるまで
眠り続 けたい








女性の涙について


 
わざわざ泣くためにビデオを借りている人は多い。その多くは女性である。

ある調査によると、女性が1ヶ月間で泣く回数は、約4回なのだそうだ。それに比して男性は約1回。

つまり、女は男の4倍泣く。

ただ、その約4回というのは、平均すると4回ということであり、1人の女性が1ヶ月で泣く回数で最も多いのは、2回である。

どういうことかというと、月20回とか29回とか毎日のように泣いている女性が結構いるのである。それに引っ張られて平均の回数が多くなっている。

それでも殆どの女性は男性の二倍は泣いているのだ。

女性は、涙で心のバランスを調節しているのである。


「めぐりあう時間たち」の感想より









拒食症の原因


 
拒食症の原因は、はっきりしています。ダイエットのしすぎという大義名分に隠れているその奥にあるのは母親の存在です。殆どの場合、親子関係のゆがみによって拒食症は起こるのです。

赤ちゃんのころから「食べる」行為は親の愛情と深く結びついています。それを拒絶するというのは、実は母への嫌悪が原因なのです。

拒食症になった多くの女性は、思春期に母からの過干渉などを受けて、嫌悪感がつのり、母親のようになりたくないという想いを持つようになります。そして痩せてダイエットすることによりその思いをとげようとします。

あげくのはてに女性になることさえも拒絶し、男の子のような中性的な体型を維持しようするようになります。そうした心理の中で拒食症になっていくのです。

また小さい頃もらえなかった母からの愛情を欲するために拒食症になっていく場合もあります。

拒食症の裏には母親との確執と複雑な心理的背景が隠されているのです。








 
時は、悲しみと諍いの傷を癒す

人はみな変わる

過去の自分はもはや現在の自分ではない

悩む者も悩ます者も、時が経てば別人になる


パンセ









 
「男の人って、相談されたら、解決策を考えて、それでデジタルに答えを出して満足してるような、単純な思考回路をもっているところ、あるじゃないですか。

女の人みたいに「辛かったね」「最低!」とかいう、解決策に至らないただの愚痴やなぐさめ見たいなこと、なかなか一緒に言ってくれない。

いたとしたら、結局は、身体目当てみたいな。それが済めばもう冷たくなっている。男って、考え方自体女と違うんだなって思う。

物事を論理的に考えいて、たしかにその通りかもしれないけど、わたしはもっと真剣に話をきいて欲しいの。別にばっさりと断定するような答えや解決策が欲しいわけじゃないの」







 
確かに自分は地獄を見た。大切にしたいもの、愛するものを全て失った。悔いることにも憎むことにも、そして逃げることにも疲れ果てた。生きる意味も、誇りも、何もかもなくなった。

「それでも生きていれば、また何かが始まります」


乃南アサ「涙」より





 
「めしはちゃんと食うとんのか、痩せてかわいそうに。顔、しなびとるやないか」

「あんた、アタイを哀れんでるのか、ご飯ぐらい食べとるわ。心配していらん!」

恒夫はなにげなく言ったのだが、プライドの高いジョゼの気に障ったらしい。ジョゼは胡粉を塗り重ねたようなすべすべした白い肌と、ちまちまと小さいがよくととのった自分の顔が気に入っていて、「しなびとる」といわれて、カッときたらしいのであった。

恒夫は叱られて所在無く、
「また、来るわ」
と立ち上がったら、
「来ていらん! もう来んといて!」
と激しくジョゼはどなった。

「・・・ほな、・・・・さいなら」
恒夫は腰を上げなくては、しかたがない。
ドアの前でスニーカーを履こうとしたら、
「なんで帰るのんや!アタイをこない怒らしたままで!」
ジョゼが息を切らして言う。

「どないせえ、ちゅうねん」
「知らん!」
「・・・帰るわ。僕」
すると、かんじきの杖(つえ)が背に飛んできた。ふりかえると、ジョゼの大きい眼に涙がたまっていた。

「クミちゃん」
と恒夫がいうと、
「早う帰り。早よ帰りんかいな・・・。二度と来ていらん!」
興奮してまた息を忙(せわ)しげに、もつらせるので恒夫は出られなくなってしまう。

大丈夫かなあ、と恐る恐る寄っていったら、
「帰ったら、いやや」
とすがりつかれてしまった。

「帰らんといて。もう三十分でも居てて。テレビは売ったし、ラジオは壊れてしもたし、アタイ淋しかったんや・・・」
「何や。僕、テレビやラジオ代わりかいな」
「せや。このラジオは返事するだけマシや」
ジョゼは泣き笑いしていい、恒夫はにわかにジョゼが可愛かった。

恒夫はジョゼの信じられぬほど小さく、まことに恰好のいい美しい唇を目の前に観ていると、急にそうしてみたくなって、接吻した。







 
夢を見れば
あなたの夢を見れば
いつかきっと
わたしの願いがかなう

夢を見れば
あなたの夢を見れば
いつか本当に
あなたに逢える・・・




 
電話のむこうから、ミョンヒョンの涙声が聞こえてきた。

ジュンウォンさん、わたし、ミョンヒョン。いま競技場のまえ。

・・・CTXはロイヤルボックスの上のドームライトの中にあるわ。・・・地下の変電室からライトをつけることになっているの。

そしてわたしは・・・・競技場の西側、観客席の中央にいるわ・・・・



遥かな沖合いで、カモメが自殺でもするように急降下するのが目に映った。ジュンウォンの濡れた胸が彼女の名を呼びつづける。


お願いがあるの。・・ジュンウォンさん、わたしの前に現われないで。他の人を送って・・。

ジュンウォンさんと一緒に過ごしたこの一年、それがわたしの人生のすべてだった・・・。

その瞬間だけは、・・・・イバンヒでもイミョンヒョンでもなく・・・・わたし自身だった。わかって欲しいだなんていわない。

ジュンウォンさん。会いたい、、本当に会いたいの・・・・


ジュンウォンが膝から崩れ落ちた。膝に顔をうずめた肩が震える。うめきのような泣き声が静かに聞こえてきた。

本当に・・・・会いたい・・・。

ジュンウォンの震える声が、彼の胸をこじあけ、その中でこだました。







 
君の笑顔はバラの花
あふれでる水
あるいは突然襲う銀の波


裸の君は
君の手のように素朴で

なめらかで
地上的で
小さく丸々とし、透明だ

君の中には真月の模様がある
林檎の並木道もある

裸の君は
むき出しの麦のように繊細
裸の君は
キューバの蒼い夜

君の髪には蔓がある
星もある

裸の君は
金の聖堂の夏のように
壮大で明るい黄色に輝いている



イルポスティーノ







このごろ沈んで見えるけれど
こっちまでブルーになる
会えないときにもあなたのこと
胸に抱いて歩いている

日暮れまで土手にすわり
レンゲを編んだ
もう一度あんな気持ちで
夢を形にして

So, you don't have to worry worry

守ってあげたい
他には 何ひとつできなくてもいい

So, you don't have to worry worry

守ってあげたい 
すべてのことから

'Cause I love you








ハンプリ


「ハンプリ」。私には今までずっと理解できなかったのです。例えば大田(でしたっけ)での地下鉄事故。韓国の人々は、凄まじい嘆きようなのです。

家族を失ったのだからある意味で当然ですが、日本人はあそこまで泣き叫びはしない。何故だろうか、とずっと思っていたのです。

様々な局面における、朝鮮半島の人々の感情表現が、全体的に我々日本人の想像を絶するストレートなのは、何故だろうなと。

EZ!TVに出て、韓国語使用・日本語字幕の映画ホテル・ビーナスを作った草g剛さんの話しを聞きながら、早とちりかもしれないが、「あ、これか」と。

彼は言うのです。韓国に行ってもっと自分の感情を露わにしていいんだと思った、その切っ掛けとなった言葉が「恨解」(ハンプリ)だと。

この言葉をしげしげと見ると、「恨みを解く」と書く。彼がスタジオで用意したこの単語の解説はこうでした。

内面にある感情(喜怒哀楽)を激しく発散させること。韓国では日常的に使われる言葉だと。そうすることが彼らの美意識に叶っているから、彼らはそうしている。ああいう行動(泣き叫ぶ、激しく起こるなど)を取ることによって、恨みを解除している、解き放っているのだと。

 ネットでこの単語を調べると、もっと歴史的な記述がいろいろ出てくる。

ハンは長い歴史(個人や集団の)の中で埃のように積み重なり生み出されてしまう情緒で、それから容易に解き放されることは難しいため、逆説的に希望の物語を生む。

人々は希望としてのそのハンプリ(ハンを解き放すこと)の物語から、苦難を耐え抜く力を得て慰められる。だからハンは恨みや憎悪の感情を含まないわけではないが、希望につながるものであり、生きるエネルギーとなっていく。それが、朝鮮民族の普遍的情緒なのだと。

それにしても、草g君自身の「ハンプリ」体験はもっとどのようなものだったのか知りたい気もした。VTRの中で彼を称して「受信する人」という表現が使われていた。彼の言葉を借りれば「何をしても誤解される。それなら黙っていればいいやと思った」と。

受ける印象も、人のことを良く聞く青年に見えた。彼自身「スタッフに恵まれているので、スタッフの言うことを良く聞く」と。ま、そういう自分に不満、不安だったのでしょうな。で、一方で「ハンプリで行こう」という彼がいる。「起こると怖い」という表現があったのが、それを裏付けているのかもしれない。一見、怒ることなんか知らない若者に見えましたが。



伊藤 洋一のサイト「daybyday」より








歴史というものは、、と語り始めたら、
永遠に時が必要になるだろう。

なんでかというと、歴史というものは「解釈」次第で、「良かったこと」とも書くことができるし、「悪かったこと」として書くこともできる。

問題は、歴史という「事実であるはずのもの」が「解釈」によって、
「(以上の説明で分かるように)あれはこのように最悪の事だったのである」
ということもできるし、
「(以上の説明で分かるように)あれは最高の出来事であったのである」
ということもできる。

世界史においては、これは、途方も無い量の、「良かった派」と「悪かった派」の言論戦争のようなことがずっと続いていて、いわゆる本物のサイエンスと違って、いわば、これは、「好み」もしくは「利権」または「自分にとってどっちの解釈が心地良いか?」というような非常に切なる問題があるので、必然的に、
「自分は○○氏の解釈が正しいと思う」
と言わざるを得ないようになってくるんだと思える。


歴史解釈の中で、もっとも難しいのが西洋におけるユダヤ人問題である。ユダヤ人をどうやって解釈するか?というのは、恐ろしく難しいことで、この世界では、常にアラブ社会も含めて、恐ろしいほどの膨大な研究がなされ、どう解釈すればいいのか?西洋社会は悩み続けていると言っていいと思う。

近代(過去2百年のことをいうことにする)アジアについていえば、アヘン戦争や、日清戦争、日露戦争や、大東亜戦争もしくは太平洋戦争に関して、どうやって解釈すべきか?ということが超大問題になってきている。

かつてはそんなに問題にならなかったのだが、そろそろ何か「統一理論」のようなものが求められはじめていて、この展開によっては、ある特定の人物が永遠に「悪人であった」という汚名を着せられる可能性もある。場合によっては、「逆に聖人のようであった」など、色々な説も出てきたりもするし、正しく百家争鳴となっているのではないか?

このように歴史解釈というのは、大変労力を必要とし、また、ここが重要な点であるが、前の時代の歴史解釈を元にして現代の歴史が動くことが多々あるので、特に政治家などは、前の時代の歴史社会によって「現実に動かされる事が多々ある」のだ。だから歴史解釈ほど重要なことはないはずなのである。


しかし、歴史解釈は個人の成立過程などにも大きくかかわるもので、場合によっては、ある歴史解釈Aを受け入れることは、その人にとって人格的な死もしくは精神的な死を意味するとかいうような現実的な問題がおこる。そういう命がけの心情などが合い重なって、次なる悲劇や、あらゆることが起こりえるのは、イスラエル(パレスチナ)が我々の土地であると言っている人達を見ればわかるだろう。

歴史解釈一つであのように(中東のように)なってしまうのである。
サダムフセインの歴史解釈は、クエートはイラク領であるということであったと思う。また、サダムフセインはアラブの盟主になりたいとも思っていたと思えるし、ネブカドネザルII世だったか!?昔のイラク周辺大国の大王の再来だとかも言っていたと思う。

昔、ムッソリーニはローマ帝国の再来を唱え、場合によっては旧ローマ領はイタリアに属すとも考えたらしい。また、ドゴール将軍はナポレオンの時のフランス領はフランスに属すとの極論を唱えたこともあったらしい!

226事件の決起将校達は、大正バブルなどで浮かれていた日本に対し、天皇こそは日本の中心であるという、幕末の尊皇攘夷運動が正しいとの歴史解釈に基づいて本当に行動を起こしてしまった。

今、小泉首相がやっているようなあらゆることは、恐らく小泉首相による独特の歴史解釈によって成り立っているんじゃないかと思うし、ブッシュ父親、ブッシュ息子がイラクに攻め入るときは、それなりの歴史解釈があったんだろうと思える。


このように、
「歴史は歴史解釈によって動く」
のである。よって、
「人間はどうやって歴史を解釈するのか?」
という歴史解釈「学」が必要なんじゃないか?と思うようになった。



某掲示板から







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