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贖罪 その子のことは全然吹っ切れない。いまだに背負っている。
2ちゃん家族 母「おい、おまいら!!夕食ができますた。リビングに集合しる!」
男と女の友情 男と女の間で友情は成立するか。
AIの感想 愛は一方的に与えたり、与えられたりするのでなく、偶然の出会いの中で生まれ育くむもの。
ウサギとカメのその後 私達は一人ひとり、持っているものが違うの。それを同じ舞台で戦うのっておかしい
マザーテレサの祈り 憎しみのあるところに愛を 愛されるよりも愛すること
生きること 生きることとは出逢うことです。それを怖れて一体何が始まるのでしょう
恋を生み出す要因 人は何かを失ったときにはじめて、自分の心の動きを知る

 





恋を生み出す要因とは何か?

それは他の人よりも気に入っている必要もなく、他の人と同じほどに気に入っている必要さえもない。

その人が自分の近くからいなくなった瞬間、自身を不安にする欲求がもたげてきた時、それが、恋の始まりである。

人は何かを失ったときにはじめて、自分の心の動きを知る。

そしてその人を占有しようとするきちがいじみた苦しい欲求を感じた時、恋が生まれるのだ。



失われたときを求めてから




 





生きることは『出会う』ことです。それを恐れて一体何が始まるというのでしょう。

旅をしてみる、新しい歌を覚える、ちょっと風変わりな服を着てみる、気に入った男の子とキスをしてみる、寝てみる、失恋もしてみる、詩を書いてみる...
 
一つ一つを大げさに考えず、しかし、一つ一つを粗末にしすぎないことです。



寺山修二





 


マザーテレサの祈り




憎しみのあるところに愛を

罪のあるところにゆるしを

争いのあるところに一致を

誤りのあるところに真理を

疑いのあるところに信仰を

絶望のあるところに希望を

闇のあるところに光を

悲しみのあるところに喜びを

慰められるより慰めることを

理解されるよりも理解することを

愛されることより愛することを













その笑顔は神様も味方するよ





 

ウサギとカメのその後の話




ぼくはウサギのピーター。
僕の自慢は、真っ赤なかわいい目と誰よりも遠くに飛べるジャンプ力さ。この辺りじゃ野山を走らせたら、僕に勝てるやつは誰もいないんだ。

そんな僕の友達はカメのごん太。ごん太はいつも、とてもゆっくりゆっくり歩くんだ。僕とは大違い。そんな僕らは、今では大の仲良し。今ではって、そう、昔はね、そうじゃなかったんだ。

いつものろのろ歩いているごん太と僕は、ある日、山の頂上までどちらが先に行けるか、競争する事になった。僕は〈のろま〉が嫌い。だからごん太のことを良く〈のろま〉ってからかってたんだ。

そうしたらさ、『それなら競争しよう』ってごん太が言ってきたんだよ。そんなのやる前から僕が勝つに決まってる。よーいドン。僕は風を切って走り出した。もうすぐ頂上というところで、僕はちょっと昼寝をした。どうせごん太は、まだまだ来やしないんだ。

どのくらいたっただろうか。ふと目が覚め、上を見上げたら、そこにはVサインをしたごん太が立っていた。

僕は家に帰り、悔しくて悔しくてママにこう言った。
『本当は僕が勝つはずだったんだ。うっかり昼寝なんかしてしまったけど、ちゃんと走れば僕の方が速いんだ。あんなのろまに負けるはずない。』
『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』
『明日、もう一度、ごん太と勝負する。』

僕はごん太ともう一度、勝負した。今度はもちろん僕が勝った。『どうだい。僕の速さが分かったかい。』僕はそう言って、ごん太にむかってVサインをした。ごん太はきっと悔しがるにちがいない。

そうしたらどうだろう。ごん太はにこっと笑って、同じように僕にVサインを返してきたんだ。僕は悔しさと驚きで家に飛んで帰った。僕はママにこの事を話した。

『ママ、僕、ごん太が許せない。、あいつ、Vサインするんだ。僕が勝ったのに・・』
『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』
『明日、もう一度、ごん太と勝負する。それで、今日よりもっと速く走って、ごん太に僕の速さ見せつけて  やるんだ。』

次の日、もう一度勝負を挑んだ。
『やあ、ピーター君。えっ、また競争するの。うん、いいよ。でもさ、山でばかりじゃつまらないから、今度は  海で競争しない。』
『えっ、海で。(海じゃ僕が不利だなぁ)』
『大丈夫だよ。ピーター君は海が苦手でしょ。だからさ、僕の背中に乗ったらいいよ。』
『・・・・・』
僕は驚いた。そして、
『ごん太・・おまえさ、二回目に競争した時、負けたのにVサインしただろう。あれはどうしてなんだ。』
『ああ、あれね。一回目の時よりも速く走れたからさ。』


僕は家に帰った。ママはこう言った。

『ごん太君は誰とも戦っていないよ。いつも自分のベストを目指しているだけじゃないかしら。
私達は一人ひとり、持っているものが違うの。それを、同じ舞台で同じように戦うのっておかしくない。今までは確かにそうだったかもしれないわ。
でもね、これからは一人ひとりの力を発揮する場が違う事を、お互いに思いやり、認め合い、評価合い、助け合う。そんな世の中になるんじゃないかしらね。
ごん太君はそれが分かっているから、自分の得意な海では苦手なあなたを背中に乗せるという、ゆとりの気持ちがあったのではないかしらね。』

  その日から、僕はごん太が大好きになった。そして、人と競争する事をやめたんだ。
                      (阿部千夏さん)

出典(「感動と癒しの最前線」



 


映画「AI」の感想から



「3歳と1歳の子供を持つママです。

感動しました。子供を持つ前だったらきっと全く違う感想を持ったかもしれません。
ただ「ママ」と呼ばれるだけで、こんなにもわたしを愛してくれるという存在を感じ、それまで味わったことのない幸福を知りました。

そうは言っても、日常の煩多と育児の狭間で心の余裕を失い、いけないとわかってても子供にあたってしまうことがあるんです。

子供って心が広いなぁと思うんですが、どんなに感情で叱ってしまっても、すぐに許してくれるんです。オトナ同士だったら喧嘩したりしたら、なかなか心を開けなくなるでしょう。子供はあっという間に許してまた100パーセントの心で求めてくるんです。

ディビッドがお母さんに大好きなコーヒーを煎れてあげる場面がありました。その姿が我が子に重なって涙が溢れて仕方ありませんでした。

子供はママの喜ぶ顔がみたいんです。愛しているから。

うちの3歳のチビちゃんも、ママゴトで食べ物を作ったり、絵を描いてくれたりします。それをわたしは相手にしないときがあるんです。そのときの我が子の純真で一途な姿が、ディビッドに重なって胸がいっぱいになって涙が止まりませんでした。


プログラムされたロボットですら、あんなに愛情を示せます。我が子がわたしを求めてくる姿は紛れもない愛情です。わたしに愛し愛されたいと思っている。

日常の忙しさの中で見失いかけてた大切なものと再び向き合いました。子供の愛をしっかり感じ、接することを思い出しました。

わたしにとっては、白眉の映画。
きっとこれからも幾度となく思い出すことでしょう」

レス

わたしも3歳になる女の子を持つママです。 なので、どうしてもお聞きしたかったのでレスします。

私が聞きたいのは母が(すいません名前忘れました)ディビッドを棄てたことです。あのシーンを見たとき、最初信じられず、そして怒りが湧いてきました!!

あれが自分の事を母だと呼んだものに対しての仕打ちでしょうか。人間の行為として許される感覚なのでしょうか。

確かに相手はロボットです(アンドロイド?)。 世の中には平気で 犬や猫を捨てる方がいますから、身勝手な人間の行為として正しいのかもしれません。 全ての映画が道徳を基準にして制作され 皆がそれらを求めいているとも思いません。

ですがあのシーン以降、あの人が許せなくて、上映中怒りで震えていた記憶しかないんです。
 
今思い出しても腹がたつ!!

いくら奇麗事を並べて理屈を並べて、、、 己を納得させていても、何の事はない、自分だけが癒されるためだけのもの。ディビッドは玩具でしかなかった。

棄てられた玩具の悲哀より、棄てた人間に怒っていて感動どころじゃないです!


■本当の愛は、相手が側にいなくとも、存在する?


■・・・恋は盲目でもよいが、愛は違うのだ。


■愛とは、救済なのか。愛とは絶望なのか。



■愛そのものが人間が勝手に想像した偶像物だ。


■愛というのは一方的に与えたり、与えられたりするものでなく、
偶然の出会いの中で生まれ育くむもの。


■愛とは誰かを大切に思うこと。だからデイヴィッドの愛はたしかに
本物なのである。本物だから彼は不幸になってしまった。


■"この日はディビッドにとってもっとも幸せな一日だった”
幸せな理由が「父も兄もいない」からっていうのは、
愛とはまさに独占欲。





 

男と女の友情



男と女の間で友情は成立するか。

友情が成立するとしたら、それは互いに魅力がなくなっただけだと思う。

男と女が別れ話をする。
「これからは、友達でいよう」
それは、どちらかが一方で相手に迷惑をかけたと思っていて、その懺悔の気持ちが言わせているじゃないか。どちらにも非がない、五分五分で「友達でいよう」って言ったとしたら、いったいどんな関係だったんだ?

俺にも女ともだちはいるけど、その女とは最初から男女関係が成り立たない間柄だ。70歳のおばあちゃんとかね。

でもたまに二人で酒を飲んでるとき、
「ねえ、たけちゃん」
なんていわれると、あれ、このばあさんあれだな、まだそんな気あるのかなって色っぽいときがあるんだ。

そんなときゾクッとするもの。ゾクっとして、色っぽいと思ってしまった自分に別の意味でゾクっとする。ヤバイよ。危ないよ。


ビートたけしのエッセイから




 


2ちゃんねる家族



母「おい、おまいら!!夕食ができますた。
リビングに集合しる!」
父「詳細キボンヌ」
母「今日はカレーですが、何か?」
兄「カレーキターーーーーーーーー」
妹「>1乙カレキターーーーーーーーーー」
姉「カレーごときで騒ぐ奴は逝ってヨシ」
母「オマエモナー」
父 --------終了-------
兄 --------再開-------
妹「再開すなDQNが!それより肉うpおながいします」
母「ジャガイモうp」
姉「↑誤爆?」
兄「タマネギage」
父「ほらよ肉>家族」
妹「神降臨!!」
兄「タマネギage」
母「糞タマネギageんな!sageろ」
兄「タマネギage」
姉「タマネギage厨uzeeeeeeeeeeee!!」
母「ageって言ってればあがると思ってるヤシはDQN」
セールスマン「イタイ家族がいるのはこの家ですか?」
母「氏ね」
父「むしろゐ`」
兄「タマネギage」
妹「兄 、 必 死 だ な ( 藁 」




 


贖 罪



かみさんと付き合う前、彼女がいた。俺はそのおねえちゃんと一緒になるはずだった。でも一緒にならなかったのは勘が働いてしまったのだと思う。彼女は申し分のないいい子だった。だから俺はお互いがダメになると思ったんだ。

俺がフランス座であくせくしていた頃で、収入は全然ない。でもその子が「私、働くからいいわよ」って言うんだ。俺からすれば居心地はすごくいい。だけど、これはだめになるという感じがした。ほんとうにだめになったわけでもない。自然に別れていったのだけれど、その子は泣いて、怒った。

今考えれば、一緒になっていたら俺は一生うだつのあがらない奴だったろうとは思う。この年になって運命的な考え方もするようになり、別れるべくして別れたんだと思う。

それでもやっぱり、ひきずるんだ。ずうっと、そのおねえちゃんのこと、まずかったかなぁ・・って。別れた後、かみさんと出会って、そのまま今に至っているけど、その子のことが影のようにある。

たまにかみさんとレストランにいく。そこで俺は思った。こんなことしてていいのだろうか。俺はこうして旨い飯食ってる。酒飲んで、楽しんで、幸せだ、そうやって笑いもしたら俺は鬼だと思った。

だからその子のことは全然吹っ切れない。いまだに背負っている。そいつが現われて、どうしてくれるのと言ったら、もう謝るしかない。


ビートたけしのエッセイより

(参)







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