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| たそがれ清兵衛 | 藤沢周平の娘さんが、映画「たそがれ清兵衛」を見た感想として、「これって、父のことだ」と話しています |
| 依存しあう関係 | 依存と愛とは違う。依存しあう関係には希望がない。 |
| 昔の恋人に逢いたい? | 年はとってしまったけど、こんな私を彼はどう思うかな?どんな言葉をくれるかな? |
| 愛について | 時間がたてば愛は冷めるのでしょうか? |
| 妖星伝 | どれだけ自分が無力で、はかない存在であるのだとしても・・・ |
| サウダージ | 涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら その滴ももう一度 飲みほしてしまいたい |
| 「千と千尋」は援交映画 | カオナシが千尋にお金をあげる、女の子にお金をあげるってどういう行為なの?あれって援助交際、売春でしょ? |
| ネコたちの通り道 | ベッドから垂れ下がっている手に何かが触れた。 |
| いじめの構図 | いじめられやすいタイプの生徒というのはいるのか?実は・・・ |
| 子犬の気持ち | 「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達が欲しいと思うんだ。」 |
| 利己的遺伝子 | 愛は、意味を持たない概念に過ぎない |
| 時間はやさしい | いやなことがあると「最初の日曜日より、次の日曜日は少しラクになる、その次はもっとラクになる・・」 |
| 『アタック25』 | 児玉清の博学が冴える。提供が、某インテリア材メーカー。その理由とは? |
| 男と女の違い | 男は追い詰められると、酒をあおり外に逃げ出す。女は、チョコレートをむさぼり買い物に奔走する。 |
| 浜辺の足跡 | 神よ。どうして私が一番あなたを必要としているとき、私を見放されたのですか |
| 世界で一つだけの花 | ずっと迷ってる人がいる やっと店から出てきた うれしそうな横顔 名も知らぬ人が 笑顔をくれた |
| 泣ける歌詞、泣ける歌 | 生きるために 計算高くなれと言うが まっすぐ 人を愛すること それしかできなかった |
| 人生の分かれ道の選択法 | 宗教戦争も「キリスト教が正しい」とか「回教徒が正しい」とか言っているから起こるのです。 |
「たそがれ清兵衛」の掲示板に次のような投書がありましたので紹介します。 "藤沢周平の娘さんが、映画「たそがれ清兵衛」を見た感想として、「これって、父のことだ」と話しています(1/20読売新聞都民版)。 その記事を私は目からウロコが落ちる思いで読みました。身内だから自分のことのように思えた、といえばそれまでですが、でも、これまで誰がこのことに気付いたでしょうか。 奥さんと死に別れ、小さな娘と祖母を抱え、ほそぼそと夜、ペンでアルバイトをしていた会社員、藤沢周平。直木賞を受賞し、認められても決して奢らなかった作家、藤沢周平。 それは、ペンを剣に置き換えれば「たそがれ清兵衛」そのものです。藤沢周平ファンであればとっくに気付かなければならないことだったでしょう。 ・山田監督はなぜ、あれほどまでに庄内弁にこだわったのか ・なぜ、ストーリーが原作とは違うのか ・なぜ、蛇足とも思えるラストシーンを挿入したのか。 いま、私の心の中ではすべての謎が解けたように思います。 山田監督が原作にもない庄内弁にこだわり、あえてストーリーを変えたのは、実は小説「たそがれ清兵衛」の映画を作ろうとしたのではなく、藤沢周平の小説を借りて、藤沢周平自身を描きたかった、監督の藤沢周平に対する敬意のあらわれであり、故藤沢周平に捧げる鎮魂歌だったのではなかったでしょうか。 ラストシーンで娘が語る父への想いは、藤沢周平の遺書『書き遺すこと』を思い起こさせます。これは藤沢周平の想いであり、藤沢周平の娘さんの想いでもあったのです。藤沢周平を語る時、あのシーンはなくてはならなかったのです。" |
前作で描いた愛が「I love you」だとしたら、今回は「I need you」。
じゃあその二つがどう違うのかということがテーマになっている。一言で言ってしまうと、「依存」ということである。
依存しあう関係性というのは、一見もの凄く愛し合っているように見える。
二人だけの世界になるという意味で、その様相は深く愛し合っている状態に非常に似ている。この物語が問いかけているのは、それを本当の愛と呼ぶのか?ということだ。
依存と愛とは違う。依存しあう関係には希望がない。
それはそれでひとつの答えではあるだろう。だが、物語の後半を執筆している現在、書いていて自分でもよくわからなくなりつつある。
依存しあう関係の何がいけないのか?と。
たとえば、依存しあう二人のあいだにあるセックスは、快楽に根ざしているわけではなく、孤独を恐れることの延長線上にある。
快楽と別次元の結びつきあいという意味においては、むしろそっちのほうが真実の愛に近いのではないかという気さえしてくる。
このテーマがどのような結論に向かって進んでいくのか、現時点ではまだ答えが出ていない。
| 昔の恋人に逢いたいですか? YES NO |
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愛についてどう思いますか?
| 〜教えて!〜 私は現在ネットでしりあった旦那と一年半の遠距離を大恋愛で一緒になりました。 旦那はこれからも気持ちは変わらないと言ってくれますが実際に時間がたてば冷めるのでしょうか? 今まだ新婚状態なのでわかりませんが、みなさんは結婚後何かかわりましたか? 愛ってどう感じてますか? 今は幸せ過ぎて不安な時もあるのですけど? (大阪府・くまさん さん) |
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〜教えてあげる!〜
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14■ある男性と七年付き合った後知り合った今の主人とは1年3ヶ月の交際を得て結婚しました。
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●今幸せで十分だと思う |
半村良がね、『妖星伝』っていう小説の中で、こんなことを言ってるんです。
どれだけ自分が無力で、はかない存在であるのだとしても、
それでも、自分が世界の中心なのだと。
世の中の片隅でひっそりと生きてるつもりでも、
めいめいが宇宙のまんなかにいるんだ、ってね。
嘘をつくぐらいなら 何も話してくれなくていい
あなたは去っていくの それだけはわかっているから
涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら
その滴ももう一度 飲みほしてしまいたい
凛とした痛み 胸に留まり続ける限り
あなたを忘れずにいられるでしょう
想いを紡いだ言葉まで 影を背負わすのならば
海の底で 物言わぬ貝になりたい
誰にも邪魔をされずに 海に帰れたらいいのに
あなたをひっそりと思い出させて
出逢いと別れ 泣くも笑うも好きも嫌いも
あなたのそばでは 永遠を確かに感じたわ
青い期待は 私を切り裂くだけ
あの人に伝えて 寂しい…大丈夫…寂しい…
「千と千尋の神隠し」(01年)もすごく持ち上げられてるけど、まず10歳の少女に向けて作ったって意味では「不思議の国のアリス」と動機は同じでしょ。
カオナシが千尋にお金をあげるじゃない、女の子にお金をあげるってどういう行為なの?あのシーンてみんな何も言わないけど考えてみないのかな。
あれって援助交際、売春でしょ?
新聞やテレビでは「すばらしい」「国民的映画」とか絶賛だけど、少女にお金をあげようとする映画のどこがすばらしいの?「千と千尋−」ってあれだけ各メディアで論じられたけど誰も"カオナシの行為の意味"について論じてない。日本の映画評論ってでたらめなんだよ。
この映画は「もし、お父さんとお母さんがバブルなんかで投資に失敗して破産したら、子供が一生懸命働くんだよ」っていう話。
豚になってしまったお父さんの世代が経済的に失敗したために、日本が現在のような社会状態になってしまった。その中で女の子たちは売春するしかなくなってしまった、ということを描いてる映画なんだよ。
バブル崩壊後の社会を背負わなきゃならない少女たちへのメッセージであるんだ。それ自体はすごく評価してるんだよ俺は。でも誰もそんなこと気がついてない。
なぜ飯を食って豚になるのか。
今10歳の少女の親になってる世代は、将来のビジョンもないままバブルを楽しむだけ楽しんだ。その結果、日本の経済はぐちゃぐちゃになっちゃって子供たち、とくに女の子は就職さえも困難な世界になってしまった。
そんな中でも一生懸命がんばってねって映画ですよ。
“千”って源氏名だし、「回春」なんて看板もあったしめちゃめちゃストレートに描いてるんだけど…。あと、千尋がおなか痛くなったりしてたし。なんで誰も触れないのか。
(ZAKZAK町山智弘インタビュー)
ベッドから垂れ下がっている手に何かが触れた。 よしよし。 しばらく撫でてやると、ふいっと手ごたえがなくなる。 そして、気配も消えていく。 自分が住んでいる部屋の窓をあけると、すぐ隣の家の壁になっていて、その間に、ブロック塀がある。人が通れないせいか、ネコたちの通り道になっていて、窓に影が映ることが多い。 ときどき、今日みたいに窓を開けていると、部屋のなかに入ってくるネコもいる。たいていは寝ているときだ。 警戒しているんだろう。 起き上がって相手をしてやろうとすると、逃げてしまう。 そのくせ、眠っていると寄ってくる。 そして、撫でてやると、安心したように出ていく。 気まぐれなのだ。 とても。 さいしょは、姿を見てやろう、と思っていた。 だいたい、いつも来るネコは同じなのか、何匹かのネコが入れ替わり立ち替わりで入ってくるのか、それさえもわからない。ろくに姿を見たこともないのだから。 けれど、この頃は、もう、気にならなくなってきた。 この部屋はただの通過点なのだ。 ときどき、一休みするため、あるいは、気まぐれで道草を食うために、ただ寄っていくだけなのだ。そんなものだ。 そう思うようになった。 ときどき、胸の上に何かが乗っているように、妙に息苦しくなることもある。なにかが首に巻きついているような感じがすることも。身体が動かなくなることもある。 たぶん寝ぼけているからだろう。 でも、わかっている。 ふざけているだけなのだ。 そのくせ、臆病だ。 とても。 だから、眠っているときにしか近づいてこない。 よしよし。 ぼくは、すり寄ってくる「何か」を撫でてやる。 手応えがあるのかないのか、半分眠っているから、よくわからない。 「何か」は、しばらくの間、気持ちよさそうに撫でられているけれど、そのうち、ふいっ、と気配が消える。 |
| -選評- 他愛のない猫話だと思って読みすすめた読者は、末段にいたってそれが、猫ならぬ「何か」の妖異談である可能性に卒然と気づき、あらためて冒頭の一行から読み返しては……随所にヒヤリとしたものを感じるに違いありません。 ミニマムなスタイルにふさわしい、鮮やかな技巧と申せましょう。 (雑誌「ダヴィンチ」のサイト創作教室から) |
ここ五年余り、中学生を対象に「いじめ」を自分の研究テーマの一つにして、調査を続けている。 いきおい現実のトラブルに、介入することも少なくない。そうした際、問題の解決の大きな支障となるのが「いじめられやすい人間というのが世間には存在する」という固定観念である。 例えば、いわゆる「優等生」。 勉強はできるし、弁も立つ。けれども運動は、超苦手というタイプ。「肥満児」もそれと並ぶ存在で、「いじめは、する方が悪いのは当然としても、いじめられる方にも相応の理由があるのでは」という声が挙がるたび、話がややこしくなってしまう。 だが、実際に中学生たちを調べてみたところ、被害者になりやすい属性など、ないことがわかった。 加害者の立場を正当化する方便にすぎず、どんな人間でもいつ何時、攻撃の的になるか予測がつかないのが実態なのだ。こう考えてくると、田中氏と県議会との間の“いじめの構図”も、関係がこじれたのはお互いに非があるはずなのに、争点をぼかしているだけに過ぎないようにも思えてくる。 動物界では、けんかのパターンが「タカ型」と「ハト型」に二分することが知られている。 前者は普段から争いが絶えないので、一回ごとの勝ち負けが、すぐ決まり後をひかない。闘争にもルールが確立している。 他方、一見すると平和主義者の後者は日ごろ、闘い慣れしていないものだから、いったん始まると手段を選ばずエスカレートする。結果として、双方とも回復不能になるまで傷つくことも珍しくない。あげくのはてに、漁夫の利を狙う第三者が出現し、事態はますます泥沼化する。 (京都大学霊長類研究所 助教授・行動学 正高 信男) |
あるペットショップの店頭に「子犬セール中!」の札が掛けられました。 子犬と聞くと子供はたいそう心をそそられるものです。 しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。 「おじさん、子犬っていくらするの?」 「そうだな、30ドルから50ドルってところだね。」 男の子はポケットから小銭を取り出していいました。 「僕、2ドルと37セントしかないんだ。でも見せてくれる?」 店のオーナーは思わず微笑むと、奥に向かってピィーと口笛を吹きました。 すると、毛がふかふかで丸々と太った子犬が5匹、店員の奥から転がるように出てきたのです。 ところが1匹だけ足を引きずりながら一生懸命ついてくる子犬がいるではありませんか。 「おじさん、あの子犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。 「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、多分一生治らないって言われたんだよ。」と店のオーナーは答えました。 ところがそれを聞いた男の子の顔が輝き始めました。 「僕、この子犬がいい。おじさん、この子犬を売って!」 「坊や、よした方がいいよ。そりゃあ、もしどうしてもっていうのなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから。」 と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったように睨み付けました。 「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬の何処が他の犬と違うっていうの?他の犬と同じ値段で買うよ。今2ドル50セント払って、残りは毎月50セントづつ払うから。」 その言葉をさえぎるように店のオーナーは言いました。 「だって、この子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたり出来ないから、坊やと一緒に遊べないんだよ。」 これを聞くと男の子は黙ってズボンのすそをまくり上げました。 ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギブスがはめられていました。 男の子はオーナーを見上げて優しい声で言いました。 「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達が欲しいと思うんだ。」 |
愛は、意味を持たない概念に過ぎない、か… 普遍的な愛なんてものは、進化の過程においては何の意味も持たないと言われているんだよ。生物学者は、ある意味で皆そう思ってる。 全ての遺伝子が利己的であるという説が正しければ、生き物はみな本質的に孤独なんだ。こうして集う水鳥たちも、人間だって、一人ぼっちなんだ。 生まれてくる時も、死ぬ時も… 知ってるかい? カマキリの共食いの話。 交尾のとき、メスは隙あらばオスを食べようとする。 メスがオスを食べるのは交尾の後で、じゃない。 まず頭を噛み切って、それから食べ始める。 頭がなくても、オスの性行為は止まらない。 昆虫の頭は抑制中枢神経の座にあるんで、頭を食べることで性行為を活発化させることができるんだ。 知ってるかい? 南極の皇帝ペンギンの話。 無数のペンギンが岸壁で、こうパタパタとやってるのは、彼らを食料にするアザラシがその海の下にいるかいないか、判断つきかねて飛び込めずにいるからなんだ。 しかしそのうち、仲間の中で、後ろから押したりする者が出てくる。 一羽が海の中に落ちれば、そこにアザラシがいるかどうかわかるわけ。 まぁその一羽は当然食べられてしまうんだけど… そうした卑怯な行動というのが、自然界で非常に多い。 生物には他者の生命を犠牲にしても、自分は生き延びようとする欲求がある。そこがリチャード・ドーキンスのいう”利己的な遺伝子”というわけなんだ… 野島伸司 「高校教師」より |
ー悩みー 「失恋しました。 彼とは共通の趣味や旅行を楽しんだり、仕事のことで悩んでいた私を支えてもらったりしていましたが、もう私の事を支えるのに疲れた、と言われました。 私はもともと精神的に弱い方なのですが、彼と出会って 考え方がポジティブになり、行動的になって来たと思います。 周りからも、明るくなったと言われます。 この2年間を無駄にしないためにも、強い人間にならなくてはならない、ということは十分分かっているつもりですが・・・ また年齢を考えると、今後、彼以上に好きで、趣味が合い、尊敬できる男性と出会えるのか、という心配もあります。 励まし、アドバイスをお願いします。」 |
ーレスー 「森遥子さんがこんなことを書いてました。私はけっこうコレ好きなんです。 彼のいない最初の日曜日が来て、泣いていると月曜日がきて、苦しい苦しいといいながら火曜日が来て、食事ものどを通らないまま水曜日が来て、木曜日がきて・・・ 次の日曜日は、彼のいない2度目の日曜日。 2度目は苦しさにちょっとなれて、そのうち3度目の日曜日がきて、その積み重ねで1ヶ月たち、2ヶ月たち、・・・1年・・・2年・・・ 寂しさや苦しさは残っているかもしれないけど、彼のいない最初の日曜日のときよりは和らいでいるはず・・・ 時間は、やさしい・・・というような話の内容でした。 わたしはいやなことがあると「あのことがあっても最初の日曜日より、次の日曜日は少しラクになる、その次はもっとラクになる・・」と考るようになりました。 大丈夫。きっとあなたにふさわしい人が現れるよ! 「彼以上」「彼以下」なんて比較するのを忘れるような人が絶対いるはず。 だけど、そういう人がいつ現れるか分からないから不安になるんですよね。 でも現れるからさ、ダイジョブ。 今は気休めにしか聞こえないだろうけど、ダイジョブなのだ!」 (某掲示板より) |
男に惚れて、たとえ騙されたとしても
自分が好きになった男と共有した時間や過程を、
どきどきわくわくしながら生きたとすれば
結果は問題ではない。
森瑶子

間違えると回答者が立たされてしまう
クイズ番組『アタック25』(笑)
司会者の児玉清の不正解者へのなにげない嫌味、
小馬鹿にしたようなツッコミは、結構笑えます。
そんなわけで児玉清語録!!
アタッァ〜ク、チャアンスッ!!
緑が消えて赤が入ったぁー!!
20番に赤が飛び込んで、19番の緑が赤に変わる!
あー、そこに入れてしまわれましたか!
なぜ、カドを取らない!!
立ってしまわれた〜!
ご存知ない?
お分かりにならない?
顔もご存じない?
代表作とか映ってたのに?
ここまでやってきた今までの戦いは、
一体何だったのか!!
なぜっ!そこを取る!!
ルールをよく、分かってらっしゃらない!!
というように、児玉清はもの凄い勢いで突っ込んできます(笑)
彼の方が回答者より博学というか、
もうナンビトも言い返せない雰囲気なのだ。
まさに児玉清アワー。さらに、この番組は、インテリア材メーカーの『東リ』が提供してるので、
以下の言葉を 毎回20回位連発しています。
この言葉連発
(クリック)
多分ほんとでし(^_^;)
エルフィーのことを、はなします。
エルフィーは、せかいでいちばん、すばらしい犬です。
ぼくたちはいっしょに大きくなりました。でもエルフィーのほうが、ずっとはやく、大きくなったよ。
ぼくはエルフィーのあったかいおなかを、いつもまくらにするのが、すきだった。そして、いっしょにゆめを見た。おにいさんやいもうとも、エルフィーのことがだいすきだった。でも、エルフィーはぼくの犬だったんだ。
エルフィーとぼくは、まいにちいっしょにあそんだ。
ときどき、エルフィーがわるさをすると、うちのかぞくは、すごくおこった。でもエルフィーをしかっていながら みんなはエルフィーのことだいすきだった。
すきなら、すきと いってやればよかったのに だれも、いってやらなかった。
いわなくっても、わかるとおもっていたんだね。
いつしか、ときがたっていき ぼくのせが、ぐんぐんのびるあいだに、エルフィーは どんどん、ふとっていった。エルフィーはとしをとって、ねていることがおおくなり、さんぽをいやがるようになった。
ぼくは、とてもしんぱいした!
ぼくたちは、エルフィーを、じゅういさんに、つれていった。
でも、じゅういさんにも、できることは、なにもなかった。「エルフィーは、としをとったんだよ」じゅういさんは、そういった。
まもなく、エルフィーはかいだんも、のぼれなくなった。
ぼくは、エルフィーに、やわらかいまくらをやって、 ねるまえには、かならず「エルフィー、ずーっとだいすきだよ」っていってやった。
エルフィーは、きっとわかってくれたよね。
あるあさ、目をさますとエルフィーが、しんでいた。
よるのあいだに、しんだんだ。
ぼくたちは、エルフィーを、にわにうめた。
ないてかたを、だきあった。
にいさんやいもうともエルフィーがすきだった。
でもすきっていってやらなかったんだ。
ぼくだって かなしくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだった。
だってまいばんエルフィーに、「ずーっと、だいすきだよ」っていってやったからね。
となりの子が、子犬をくれるといった。
もらってもエルフィーは気にしないって、わかっていたけど、ぼくはいらないっていった。
かわりに、ぼくが、エルフィーのバスケットをあげた。
ぼくより、その子のほうが、バスケット、いるもんね。
いつかぼくも、ほかの犬をかうだろうし、子ネコやキンギョも、かうだろう。
なにをかっても、まいばん きっと、いってやるんだ。
「ずーっと、ずーっと、だいすきだよ」って。
『男と女の違い』
男は追い詰められると、酒をあおり外に逃げ出す。
女は追い詰められると、チョコレートをむさぼり買い物に奔走する。
女のアドバイスは、たいていが的外れである。
だが話を聞いてやらねばならない。
なぜなら、結びつきを強めたいだけなのだから。
女は気が動転すると、感情のおもむくまましゃべりつづける。
男は気が動転すると、自動車の修理や機械いじりを始める。
男の脳は役割区分がはっきりしている。
一度に一つのことしかできない。
女の脳は脳漿の太さが男性より1割太い。
だから歩きながらおしゃべりをして、なおかつ口紅をぬることもできる。
男は言葉を使うことが得意でない。
『パーティどうだった?』と男の子に聞くと、
『ああ・・・よかったよ』で終わり。
女は他の人たちの服装やおしゃべりの内容まで全部報告してくれるのに。
女の沈黙は男へのあてつけである。
だが男は鈍感である。
女性の沈黙に気がつかないどころか『静かでいい』と喜ぶ。
言い争いのとき、女は心にもないことを口走る。
だから、女性の言葉尻を捕らえたり、いちいち定義したりしてはいけない。
年収が多いか少ないかは問題ではない。
女が男に愛想を尽かすのは、欲しいものを買ってくれないのではなく、心が満たされないからだ。
恋の9割は男から始まり、
8割は女性が終止符を打つ。
男は嘘が下手。
女は嘘が上手。
『話を聞かない男、地図を読めない女』から
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浜辺の足跡
ある日、私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を
海の向こうの大空に、
私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも浜辺を歩いている、
神と私の二組の足跡がありました
最後の光景まで来たときに振り返ってみると
所どころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて
悲しみに打ちひしがれているときでした
私は、あえて神に尋ねました
私があなたについていくと言ったとき
いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
どうして私が一番あなたを必要としているとき、
私を見放されたのですか
神は答えておっしゃいました
私の大切な愛しい子よ
私は決してあなたのそばを離れたことはない
あなたが見た一つの足跡
それは苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだと
ある日、私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を
マーガレット・パワーズ
僕が触れた指先にそっと やわかいトゲが刺さる 君が見せたささやかなサイン 見落としてしまっていたよ 今ごろ・・・・痛い (ポルノグラフィティ サボテン)
(ブルーハーツ 人にやさしく)
(ミスチル
Everything(It's you))
(原田知世 day byday)
(浜田省吾「愛しい人へ」)
(浜田省吾「陽の当たる場所」)
(浜田省吾「片想い」)
(小泉今日子 木枯らしに抱かれて)
(椎名林檎 ここでキスして)
(RCサクセション スローバラード)
(夜空ノムコウ SMAP)
(宇多田ヒカル「First Love」)
(槇原敬之「ASNSWER」)
(月とナイフ スガシカオ)
(荒井由美 卒業写真)
(Mr.Children「手紙」)
(幸福論 椎名林檎)
(サザン「松田の子守歌」)
(Mr.Children「Over」)
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これも超泣ける歌ですね→さだまさし「償い」
Life is...
M、雪の華、エンジェル
スガシカオ「夜空ノムコウ」秘話
(泣ける歌詞・ヤフー検索)
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人生にはいくつもの分かれ道が出てきます。そのときは、どちらが正しいか、
ということを絶対に考えないでください。
どちらが楽しいか、を、判断基準にしてください。
宗教戦争も「キリスト教が正しい」とか「回教徒が正しい」とか言っているから起こるのです。
でも、「キリスト教が楽しい」とか、「回教徒が楽しい」と言っていたら「じゃあ、楽しいことが二つもあって、良かったね」ということになって、ケンカにはなりません。楽しいを判断基準にするというのは、楽なほうを選ぶという意味ではありません。
会社をサボって寝ていると、クビになって、ホームレスになってしまいます。「これじゃ楽しくない」。だったら、会社に行く。そして、会社に行ったらブスっとしているよりも、笑顔でやったほうがいいはずです。
そうすれば上司からも、同僚からも、お客さんからも好かれて、敵もいなくなります。仕事も楽しく楽にできます。
楽しいほうを極めていくと、楽になります。すると、人は自然と苦労の扉を開けなくなっていくのです。極楽とは楽しいを極めることです。楽しいを極めれば、この世は天国なのです。 −
斉藤一人