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聖なる残酷さ 進化生物学者にとっての謎は、なぜ死ぬのかではない。人間の女性が、なぜ閉経後も長く行きつづけるかが問題になる
ゴスフォードパーク(映画 監督・ロバートアルトマンをテレビ番組の演出に抜擢したのは、ほかならぬヒッチコックだった
辛い恋愛 辛い恋愛って、繰り返すと だんだん負けが込んだギャンブラーみたいな気持ちになってくる
凶気の桜(映画 お互いに譲れなくてグーで殴り合っているうちはいいと思う。でも、それがミサイルになると違うだろうって。
DOLLS(映画) 「ドールズ」は人形が考えた、人間劇という設定である
ベニスの商人 ユダヤ人の高利貸しシャイロックは、ヴェニスの商人アントニオに、3000ダァカットの金を貸した。
禅とは何か? 「禅とは・・・・途上にあること・・・だと思う」
人間は水である 健康で幸せな人生を送るには、一言でいえば、体の70%を占めている水をきれいにすればよい
青い春(映画) 九條「先生、咲かない花もあるんじゃないですか?」先生「花は咲くものです。枯れるもんじゃない
イヨンエの好きな本 『あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離をおくこと』
もし死がなかったら もしも死がなかったら、生まれたばかりの赤ん坊をあんなに優しく大切に抱こうとするだろうか
マトリックスとトトロ 例えば「モンスターズインク」のもとネタは「となりのトトロ」
泣きたい 泣くだけ泣いたら、また笑えばいいじゃない
ねじまき鳥 ねじまきトリさん、正直に、正直にいっちゃうと、私はときどきものすごく怖くなります

(Nov2002)


11-1


聖なる残酷さ



一人の男が、生まれたばかりの子を抱いて、ある聖者のもとを訪れた。
「この子をどうしたらいいでしょうか。貧弱で不具で、死ぬに値する命すらないのです」

聖者は恐ろしい大声を上げた。
「殺せ。そして三日三晩、ずっと腕に抱いてなさい。自分でもこのことを忘れないように。
そうすれば二度と、子を作るべきでない時に子を作ろうとしないであろう」

男は肩を落として帰っていった。
残酷な忠告をした、といって多くの人たちが聖者に詰め寄った。子供を殺せといったからだ。「しかし、生かしておくほうが、よっぽど残酷なことではないか?」聖者は言った。


                            フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」


                        *****


人がなぜ老い、なぜ死んでいくかという問題には、今日も一致する見解はない。

この中で、進化生物学の考えに基づくある考え方がある。生物体が死ぬのは、生殖年齢を過ぎたら、その固体は自然淘汰の理屈から言って、生存しにくくなるからだというのである。多くの遺伝子は生殖能力を高めるが、老後は機能しなくなる。

進化生物学者にとっての謎は、なぜ死ぬのかではない。たとえば、人間の女性が、なぜ閉経後も長く行きつづけるかが問題になる。


                        *****


バイオテクノロジーを用い、長寿化すれば社会の内部構造にも劇的な影響が及ぶだろう。

人間はもともとステイタスを意識する動物である。早いうちから、呆れるほどの支配階層に自分を位置付けようとする。

生命がさらに延びると、年功序列による既存の階層に大混乱を引き起こすだろう。根本的な問題は、社会階層のトップが一般にはステイタスや権力を失いたくないと思い、しばしば、相当の影響力をもって地位を守ろうとすることだ。

高齢の人々が社会的地位を降りなければ、社会を分裂させる闘いとして、階級闘争と民族間衝突に、世代間闘争が加わることになるはずだ。


バイオテクノロジーによってもたらされる究極の問題とは、こういうことだ。
実際に肉体労働させられる人と、させる人を産み分け出来るようになったら、政治的権利はどうなるのだろうか・・



フランシスフクシマ「人間の終わり」



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11-2



ゴスフォードパーク


本作に実在の俳優、そして作曲家でもあったアイボア・ノヴェロ(1893-1951)を登場させるというアイディアは、アルトマン監督によるとのことだが"ノヴェロが250もの歌曲と8本のミュージカルを作曲し、その音楽が1930年代のソープオペラを髣髴とさせた"というだけで、この役柄を配したわけではない。
 
むしろ、ノヴェロが、アルフレッドヒッチコックの「下宿人」(1926)に出演した事実のほうがはるかに重要な意味を持つだろう。
 
なぜなら、この映画の監督・ロバートアルトマンをテレビ番組の演出に抜擢したのは、ほかならぬヒッチコックだったからである。
 
 
この映画において、オープニングに流れる1.ワルツ・オブ・マイハートをはじめノヴェロの楽曲が披露されるが、なによりも曲のタイトルに注目して欲しい。
 
6.アンド・ハー・マザー・ケイム・トゥ(=そして彼女の母親もやってきた)、
10.アイ・キャント・ギブ・ユー・ザ・スターライト(=あなたに星明りをあげよう)、
11.ホワット・ア・デューク・シュド・ビー(=公爵のすべきことは)、
19.ホワイ・イズント・イット・ユー(=なぜあなたじゃなかったの)、
24.ザ・ランド・オブ・マイト・ハヴ・ビーン(=あるいはそうなったかもしれない土地)等など。
 
実はこれらは本作のミステリーの謎を解く鍵が隠されているのである。


GOSFORD PARK SOUNDTRACK〜ライナーノーツより


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11-3



女は、
男に好かれなければ、価値のないと思っている若い人は多いですよね。
女の人生はどれほどいい男に好かれるかどうかで決まる、って。だから相手に気に入られようと努力する。一人で家事やって尽くして、私はあなたのために仕事をやめたのよ、って。

「愛」を持ち出せば女性にどれだけの犠牲を払わせることができるか、ちょっと考えてみてください。それで誰が得をしているのか。

そう考えると恋愛って罠なんですよね。

男の人は、そういう考え方しないでしょう?女に好かれるよりまず成功。成功すれば女はついてくる。だから、仮に恋愛が巧くいかなくても自分がやったことは残る。でも、すべてをかけた恋に裏切られたら、女性には何が残るの?

女性の幸福って、相手次第の幸福なのよね。

それを見ないで突っ走ると、自分では何もコントロールできずに相手に期待ばかりして、後は恨みだけが残る。



辛い恋愛って、繰り返すと だんだん負けが込んだギャンブラーみたいな気持ちになってくるのね。

この人が大事というより、今まで負けた分を取り返さなきゃとか、別れると後が大変だとかで、適切なところでおりることが出来なくなってくる。嫉妬とかも、そうだけれど、意地になったりしてね。

そうなってくると、不幸です。やめたほうがいい。

だから、ときどき恋愛の棚卸をして、自分がその恋を続ける理由を考えてみる。自分にとってのその関係の価値を把握しておくことは案外大事なことです。

いづれにせよ、「私の何がいけないの?」とかって、あまり思わないほうがいい。あぁ、この恋は本物じゃなかったんだ。私じゃダメだったんだ、と無意識に自分を責めがちだけど、運命の恋でもダメなときはダメ。それは巡り合わせのようなもの。

そうやって辛い恋愛が、人生の肥やしになって、あとの人生がラクで楽しくなるのよ。


藤本由香里さん
「恋愛について考える」から


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11-4


「凶気の桜」

 (在日韓国人に扮した)『GO』をきっかけに、自分とか社会について考えるようになったんですよ。自分は国や社会と関係なく生きているつもりでいた。「自分らしく」「オレは飛んでいくわ」って。でも歴史の本とか読んでいろいろ知っていくうちに、関係ないと思っていたことが実はすごく関係があったってわかった。

見えない牢獄の中で、自由だ、自由だといってた自分に腹が立ってきて。「飛んでいくぞ」と言っていた片方の翼が、メイドインアメリカじゃったという、影響されすぎの国で育った。たとえば、街を歩いていも、日の丸より星条旗のほうが多いんじゃないかと。

だからといって僕はアメリカ嫌いじゃないし、ナイキは好きだし、エアフォースワンの形は絶品だと思う。ウマイもんは、ウマイ。でも日本の国旗は星条旗じゃないよなって。そういうこというと、右だとか言われて素直に言えないのが腹立たしい。


 この映画では暴力シーンは多いけど、暴力は本当の意味で無力だっていうことの落とし前はつけました。

僕はお互いに譲れなくてグーで殴り合っているうちはいいと思う。でも、それがミサイルになると違うだろうって。

ミサイルを握りしめたまま、「正義だ、正義だ」というのは正義じゃない。


窪塚 洋介



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11-5



Dolls(ドールズ)


 最初はリアルに撮ろうと思っていたんだけど、山本耀司さんが作った衣装を見て、急遽設定とか撮り方全部変えたんだ。

耀司さんに撮影場所の紅葉とか桜並木の写真を渡したら、最初に「秋の服が出来ました」って。

驚いたね。ホームレスの服に春夏秋冬はないだろう(笑)。衣装がそうだからリアルにやるとおかしいんでね。シーンが変わると、衣装もパッと変わる。それ、どこで手に入れたんだ?ってことになるから。

それで、文楽人形が考えた人間の文楽劇だってことにして、無体のような感覚で撮ったんだよ。


 なぜ文楽かというと、オレんち文楽だもん。ばあさんが娘義太夫でべンベンうるさくってしょうがなかった(笑)


 ホームレスの男女がつながっているのは、あれは、実際浅草にいたんだよ。ひもでつながっている、おじさんとおばさんのホームレスが。

ひもの色を赤くしたのは、赤というのは人間が最初に意識する色で、それは血の色らしい。赤く太いというのは凄く意識したね。しかも、それが、死の原因でもあるという。


 どんなに幸せであろうが最後は死んじゃう。今回のも、一応それぞれが気になることがあって、それを現実に行動した瞬間に死ぬことになる。

それはシャケが産卵で死ぬのと同じだね。

産むというのは凄い衝動で、なおかつ死んでもいと思うぐらいの異常な快感じゃないかと思うときがある。そういう絶頂の瞬間があって、くたばるんだから、いいんじゃないか。

そう簡単にハッピーエンドにしてたまるかって(笑)


 映画の中では雪のシーン場面が好きだね。

夜中に二人がタッタッって道をあがってくると、ヘンな形の木があって、その横に二人が立ったシーンをみて、われながらいい絵だとおもった。ダリとかマグリットが描きそうな木だけど作ったわけじゃなくて、自然だからね。


 3つの話は、もとは全部繋がっていたんだ。アパートでヤクザを待つ女が、アイドルの追っかけ男の隣の部屋に住んでる場面があるけど、あんな感じでつながっていた。

ヤクザの親分を殺した奴が芸能プロの社長だったりと。ぐるぐると。それでひもなんだけど、ひもで全部つながっているという話。それをばらばらに並べ替えて見せるのをやりたかった。

でも、改めてストーリーを追いかけても、やっぱりよくわからないんじゃないの(笑)。

人間に文楽芝居やらせたふりをして、実は四季の絵を撮りたかっただけってこともあるし。


むしろそっちが主で、ドラマは二番かな。
そのドラマも普通の話だと背景の自然がつぶれてしまうので、残酷なものにしてみた。

たとえば海を描くのに魚が食われてしまう血なまぐさい場面があると、自然の美しさがより強く感じられる。それと同じようなことだね。


北野武



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11-6


ベニスの商人


ユダヤ人の高利貸しシャイロックは、ヴェニスの商人アントニオに、3000ダァカットの金を貸した。

しかし当てにしていた貿易船が帰港しないため、アントニオはそれを返済することができなくなってしまう。

とんでもないことに、アントニオがシャイロックと結んでいた契約書には

「期日までに返済が出来なければ、胸の肉1ポンド(500g)を与える」
という文書が入っていた。

アントニオを日頃から憎んでいたシャイロックは、ここぞとばかりに裁判所に訴え、契約の実行を迫った。

そもそも、アントニオがシャイロックから金を借りたのは、親友のバサーニオが、貴族の娘ポーシャと結婚するために必要な金だった。

アントニオの窮地を知ったバサーニオは、直ちにアントニオに代わって金を返済しようとするのだが、シャイロックは、「すでに契約の期日は過ぎている」というばかりで、金を受け取ろうとしない。

そこで一計を案じたポーシャが裁判官に変装して、法廷に乗り込みシャイロックに懇々と道理を説く。しかし、それでもシャイロックは契約の履行、つまりアントニオの肉を要求して止まない。

ヴェニスも法治国家であるから、判決として法廷も証文どうり肉を切り取ることを許可することになった。ユダヤ人のシャイロックは「これこそ名裁判官!今ダニエル様(旧約聖書の名裁判官)だ」と裁判官(実はポーシャ)を称えた。

いよいよ、シャイロックがナイフを研いで、アントニオから肉を切り取ろうと立ち上がったとき、ポーシャはそれを制止し、こう宣告した。


証文には1ポンドの肉とはあるが、血の事は書いていないぞ。もし、一滴の血でも流そうものなら、所有地も財産も没収する。また、肉が1ポンドよりも、ほんの僅かにでも、多くても少なくても相成らぬ!


するとそれまで「“契約書どうり”に履行すべし!」を連呼し、繰り返していたシャイロックは直ちに主張を撤退せざるを得なくなったのでした。


(空欄は、 反転、ドラッグさせてみてね)


ウィリアム・シェークスピア「ベニスの商人」



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11-7


二ヶ月前にドイツを出てきたその若者たちは日本までいくつもりなのだと言う。

「どうして?」
「ゼンを学びたいんだ」

めがねの若者が言った。
禅のことか、と私は聞き返した。

「そうだ、禅だ。禅を知っているか」

「まぁ・・・」
なんとなくそう答えてしまった。

「禅とは何なのだ?」

単刀直入な質問に私は戸惑った。実を言えば禅についてなど、ほとんど知らなかった。しかし、知っているかと問われて、まあと答えてしまった以上、何とか辻褄の合った説明をしなければならない。

「禅はダルマという坊さんがインドから中国に伝えた仏教の一派に過ぎない」
私の説明に二人は頷いている。

「それが日本に伝わると、中世にはサムライ階級に支持されたこともあって、文化的に強い影響力をもつこととなった」

喋りながら、私は自分に訊ねていた。おいおい。そりゃ、ほんとのことかね。

「日本においては禅宗の主要なセクトは二つあって、ひとつは道元という人が開祖となった曹洞宗、もうひとつは栄西という人が広めた・・・」

私がそこで立ち往生すると、めがねの若者が口を開いた。

「リンザイ」

私は恥ずかしくなってきた。彼らは私の喋ったことくらい先刻招致だったのだ。

「そう、臨済宗」

そこで、私が黙ってしまうと、長髪の若者がまたさっきと同じ質問をしてきた。

「禅とは何なのだ」

私は黙って考え始めた。曖昧な歴史的事実ではなく、日本人の私が禅とはどんなものと感じているか、それを正直に伝えればいいのだ。

どれくらい考えたろう。ふと、私の脳裏にこれまでのバスの旅で通過してきた道が浮かんできた。道。しかし、それが禅だという気がしない。

だとすると・・・・。

私は不思議な気分になりながら言った。

「禅とは・・・・途上にあること・・・だと思う」

私が言うと、長髪の若者がゆっくりとその言葉を繰り返した。

「ビーイング・オン・ザ・ロード・・・・」

私は彼の言う英語の響きを聞いて、その答えも存外悪くなかったかも知れないなと思った。



沢木耕太郎 「深夜特急〜第三便 トルコ」より



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 11-8


「人間は水である」


宇宙をめぐる長い長い旅を続けている水のことを考えるとき、人間はいったいどこから来て、どこへ行くのかという思いが私の心をとらえます。

人間が水であると考えたとき、いくつかの疑問が解けます。人体の70%を占めている水。そこに記憶されている情報は、私たちの人格を形づくっているにちがいありません。

人間は、そもそもこの世に誕生する前、受精卵のときは99%が水です。そして、生まれたときは体の90%が、成人になると70%が水で、おそらく死ぬときになってやっと50%を切るのでしょう。

すなわち、人間は一生を通じてほとんど水の状態で生きているといってもいいのです。

物質的にみると、人間とは水です。そして、そういう前提で考えたとき、私にはいろいろなことが、冷静にみえてくるのです。

まず、どの人種をとってみても、この前提は変わりません。したがって、これから述べることは、全世界、どんな人にも共通しているのです。 さらに、人間はどのように生きるべきか、その答えもわかってきます。


健康で幸せな人生を送るには、どうしたらよいのでしょうか。一言でいえば、体の70%を占めている水をきれいにすればよいのです


こんな話を聞いたことがあリます。交通事故にあって輸血をしたとたんに、見たことのない風景や記憶が頭の中にあらわれた。あるいは、それまでの性格ががらりと変わってしまった…。

私たちが人生で体験した出来事は、水の記憶となって体内に残っているのではないでしょうか。それが、魂と呼ばれているものなのではないでしょうか。

魂のこと、生まれ変わりのこと、霊の存在。まだ証明されていない問題がたくさんあります。水の研究を進めていくうちに、そういった問題が科学的に解明される日が来るように思います。

魂はどこから来たのでしょう。宇宙の果てから水にのってやってきたことは、いままでみてきたとおりです。

それでは、これから私たちはどこへ行くのでしょうか。

私たちは水そのものです。

いつの日か地球上で学んださまざまな体験の記憶をもって、宇宙へと旅立っていくのでしょう。私たちに課せられた仕事とは、飛び立つ前にこの地球上できれいな水になることなのです



―江本勝 『水は答えを知っている』から



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 11-9



「青い春」

先生「青木くんは君の友達?それとも元友達?

   人間、変われば、変わるもんです。」

九條「・・・・はい。」

先生「持って生まれたもんだからしょうがないか。」

九條「花、枯れてますよ。」

先生「枯れても、また、咲く。」

九條「でも、枯れない花は無いでしょう?

   ・・・学校、辞めようと思ってます。」

先生「毎日水は、やってますか?」


九條「先生、咲かない花もあるんじゃないですか?


先生「花は咲くものです。枯れるもんじゃない。

   私はそう思うことにしてます。

   それは、大切なことです。



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 11-10


「ノルウェイの森」


森の中に立つ一本の木のように、人は多くの人たちに囲まれて存在している。
しかし本来、人は孤独で個として存在するしかない。

憂鬱なときや腹立たしいとき、私は村上春樹の「ノルウェイの森」を何回も繰り返して読む。特に自分を見失って心が揺れ動くとき、私はいつもこの小説のこんな一説を思い浮かべる。

 
『あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離をおくこと』
(村上春樹「ノルウェイの森」から)

 
それは人と人の間に存在する愛、虚無、孤独、これらすべてのことに対する著者の思いやりのあるアドバイスだと思う。「ノルウェイの森」を読みながら、若さとは不安に怯え傷つくことではないかと思うこともあった。また孤独を知るのは若さゆえのことだと私も強く感じている。

でも孤独を乗り越えて、有意義で楽しい人生を生きることが、もっとも価値ある人生だと信じる限り私は孤独ではない。
 
この小説は、人が人を愛するということの本当に意味を伝えながら、読み終えた後で胸の奥からにじみ出てくる悲しみを克服する勇気を与えてくれる。


 
イヨンエ「とても大切な愛」から



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 11-11



昨年NHKスペシャル「遺伝子」を見た。

その中で、生命の設計図である遺伝子の中には死というものがあらかじめプログラムされているということが述べられたところは圧巻だった。

はるか遠い昔、生命の進化の課程で、遺伝子の新しい組み合わせの可能性と引換えに、細胞分裂の回数が限定されることとなった、つまり

生命が進化するため、生物は限られた寿命というものを選び取ったのだ、という説明には、驚きを禁じ得なかった。


それは、「生きているということはとりもなおさず、老いることであり、病むことであり、そして必然的に死に導かれるものなのだ」ということ。

これは2500年前にお釈迦様が言われた事である。同じことが最先端の生命科学の言葉によって語られたのであった。

日本列島という陸地の輪郭は、陸地自身ではなく、海によって決定される。

同様に、生の姿は生自体ではなくて、死によって初めてくっきりとその輪郭を描き出されるものなのではないか、そんなことが思われる。

もしも死がなかったら、生まれたばかりの赤ん坊をあんなに優しく大切に抱こうとするだろうか。

我々のいのちが死を前提にしているからこそ、やさしさや慈悲というものが、心の奥底から湧きだしてくるものであるに違いない。





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 11-12

マトリックスとトトロ



今の批評家はみんな映画観ても全然元ねたに気付かない。

例えば「モンスターズ・インク」のネタは「となりのトトロ」

あの映画の製作者はずっとジブリに行ってるんだから。女の子が泣くところとか体にしがみ付くところなんてそっくりなのに誰も「トトロですね」とは言わない。批評家って何を見てるのか。

「ロード・トゥ・パーディション」「子連れ狼」

この映画の原作はアメリカの漫画なんだけど、その漫画の冒頭に小池一夫(「子連れ狼」の原作者)の言葉が引用されてる。「冥府魔道」を直訳したのが「ロード・トゥ・バーディション」なんだけど。

「マトリックス」(99年米)だって、そもそも「マトリックス」ってどういう意味なのって誰も考えないの?

あれはボードリヤール(フランスの社会学者)の『シュミラークルとシュミレーション』って本をそのまま引用してる。

映画の中でキアヌ・リーブスがZIPディスクかなんかを隠すシーンでこの本が使われてるんだよ。だから「マトリックス」論じるときにはボードリヤールから論じなければならないのに日本もアメリカの映画批評家一人もやってない。


(ZAKZAK町山智弘インタビュー)



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 11-13

「泣きたい」

泣きたいとき

今だけでいいから泣かせて欲しい。
何も聞かないで泣かせて欲しい。
ただ、あなたの前で泣かせてください。

つらいこと悲しいことうれしいこと。
理由は別に何でもいい。
でも、今はただ泣かせてください。
それ以上のものは何も求めません。




泣きたいときに

泣きたいときに泣けないことが時にある
つらく苦しく気持ちが荒れる

そんなときビデオをみながら無理矢理にでも泣く

そんな涙でも
涙は不思議と気持ちを落ち着かせてくれる




泣きたい

泣きたい 泣きたい 泣きたい

別れ際に会う中傷
 
泣きたい 泣きたい 泣きたい

どんなにいい事積み上げたって

歩いていれば悪い日もある

最後に見るのが本性

 泣きたい 泣きたい 泣きたい

我に帰れば感傷




泣きたいときに

泣きたいときに 

僕たちに 涙なんか残っているんだろうか

そういえば

どこから裂けたのか 分からないくらい

止まらない痛みに

本当は泣きたいはずなのに

僕は笑っている

誰に笑っている?




泣きたい君へ

誰にだって泣きたいときがあるよね

そんな時、我慢しなくていいから泣いていいんだよ

泣くだけ泣いたら、また笑えばいいじゃない




注) "泣きたい"で検索
気になった言葉を抜粋しました

この言葉を紡ぎだした方々、有難うございます


 
 



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 11-14



「ねじまき鳥さん、正直に正直に言っちゃうと、私はときどき、ものすごく怖くなります。

夜中に目が覚めて、一人ぼっちで、誰からもどこからも、五百キロくらい離れていて、真っ暗で、どっちを見ても、先のことなんか全然わからなくて、本当に大声で叫びだしたいたいぐらいに、怖くなるのです。

・・・そういう時、私は自分がどこかに結びついているんだと考えるようにしています。

そして、結びついているものの名前をアタマの中で一生懸命並べていくんです。 」

 



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