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ミケコの言い分 | 「ネコだからって、みんながみんにゃ、気まぐれじゃにゃーいのですニャ」 |
無菌病室の人びと | 「きれいで、良い性格で、食が細い女性」というのが、白血病になる要素かもしれない |
言葉の大切さ | 「赤ん坊に声をかけないで育てたら、何語を話すか?」 |
小津安二郎 | これぐらいの品のいい映画を作る人がいないのよ |
世界の中心で、愛を叫ぶ | 朝、目覚めると泣いていた。いつものことだ。悲しいのかさえ、もうわからない。 |
学生街の殺人 | 「なんでもかんでも知ろうとしないことよ。そういう暴力もあるんだから・・・」 |
ロッケンローール!! | トムクルーズはちょっとしたことでたじろぐ。でもいよいよ本番の時間が近づいてくると・・・ |
男と女・結婚について | 女の人は好きな人が縦に並んでいる。男の人は横に並んでいる。 |
乙武くんVS2h | 匿名板「2ちゃんねる」において、僕は、これまでも何百回となく殺されている。 |
黒澤明の用心棒解説 | 二股かけてうまくいった男の話だけど、その二股かけられた方は、・・・ |
乙武くんの8マイル評 | 「清く正しい元気なオト君」像。僕の虚像と、現実の自分とのギャップに悩みました。 |
心理テスト | 足元を見ると、手鏡が落ちていました。そこになにが映っていますか? |
さよならブラックバード | 僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。彼女は重い障害をもった子供で・・・ |
ダンボ | ダンボは、サーカスにいる赤ん坊のゾウ。耳がやけに大きいゾウでした。 |
■マトリックス着想の由来 | 現在の日本人は大抵が、初めてセックスするまえにアダルトビデオを見る。そして・・・ |
−なぜクンフーか(matrix) | ダルマ大師が開いた少林寺では、拳法を修行とし、それを発展させた。清王朝は、少林寺は反政府分子とみなし・・・ |
−キルケゴール(matrix) | 「マトリックス」の世界の中でネオは絶えず二者択一を迫られる。 |
−「matrix」は反体制映画 | 「マトリックスとは体制だ」モーフィアスは宣言する。「体制こそが我々の敵だ」と。この体制とはズバリ、・・・ |
少しむかつくV6の歌 | Darling! Darling! いい、じゃない♪ |
手塚治虫の『幸福論』 | 「悪いことってなんです?悪ってなんです?誰がそんなこときめたんです?神様ですか? |
デッドゾーン | ベッドインすることが愛の証であるならば、それは幸せなケースです。でもそれが・・・ |
美しい女性の仕草とは? | 女性らしく見せるには四肢を交差させるとよい。 |
美しい女性の仕草とは?
女性らしくするということと男に媚びるとは意味が違う。一般的に女性らしさは優しさや穏やかさなど温和な印象を相手に与えるため、より良い人間性をアピールする上で有用である。 社会学者の上野千鶴子氏によると、女性らしく見せるには四肢を交差させるとよいらしい。つまり、左側にあるものを右手で取り、右側にあるものを左手でとるようにするのだ。ペンでも箸でもとにかく四肢を交差させるように使うとよい。頭の髪の毛に触れるときも右側の髪をわざわざ手を回して左手で触れるようにすればよいのだ。
もともと「女」と言う字体は手足を交差した姿勢を表す象形文字からきているという。だから男でも手足を交差させれば、体が曲がりしなやかな形状となり女性らしく見えてしまう。
もし、あなたが上司から目の前にある用紙を取ってくれと頼まれたなら、さりげなくその用紙から遠いほうの手で取ってあげれば自然に体が曲がることになり、女らしさのアピールをすることができるのである。
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デッドゾーン
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■悪の肯定論 「悪いことってなんです?悪ってなんです?誰がそんなこときめたんです?神様ですか?それとも地球が出来たときから決められていましたか?」 「それは人間の良心が決めるんだ」 「ほら、ごらんなさい!人間が自分で勝手に決めたんでしょう! たとえば、、誰かが犬をいじめたとする。すると、そんなに犬をいじめてはいけない、とすぐに怒られるでしょう?だけど牛やブタはどうです?人間は平気で殺すじゃありませんか? 戦争だってそうです。両方とも正義の戦いだっていってますよ。こっちは敵が悪い奴で、味方は正義だと思っているけれど、敵は敵で自分の方が正しいと思いこんでいる。そして結局は人殺しを平気でするじゃありませんか! 正しいこと、悪いことなんて、人間が勝手にでっち上げたもんで、そんなもん実際にはないんだ。生きるためには、誰がどんなことをしてもいいんですよ!」 手塚治虫『バンパイア』から |
■幸福論 「なぜ、おまえだけが死なないで、俺たち人間は死んでいくんだ。どうして、こう不公平なんだ」 「不公平ですって?あなたがたは何が望みなの?死なない力?それとも生きている幸福が欲しいの?」 「俺にはわかんねぇ。でもおまえさんぐらい死ななきゃ、幸福だろうよ!」 「あなたの足元をみてごらんなさい。虫がいるわね。それも生きているわ。たった半年しか生きていないのよ。カゲロウはもっと短いわ。親になってもたった3日の命よ。それでも不平はいいませんよ」 「虫けらになにが分かるもんか!」 「虫たちは、自然の決めた間、ちゃんと育ち、食べ、恋をし、卵を産んで満足して死んでいくのよ。人間は虫よりも魚よりも犬やネコよりも長生きだわ。その一生の間に生きている喜びを見つけられれば、それが幸福じゃないの?」 手塚治虫『火の鳥・黎明編』から |
■人間はなぜこの世にあるのか 「おまえが不幸なら、焼き殺された女奴隷たちは、もっと不幸じゃないか?ずっとたどってみるがいい。みんな不幸なのだ。この世に幸福な人間などありはしない!」 「みんな不幸・・・。なら、なんで人間はこの世にあるのだ?」 「木や草や、山や川がそこにあるように、人間もこの自然のなかにあるからには、ちゃんと意味があって生きているのだ。あらゆるものと繋がりをもって、その繋がりの中でおまえは大事な役目をしているのだよ」 「この俺がか?この俺に役目があるって?この役にもたたん俺が?」 「そうだ、もしおまえがこの世にいないならば、何かが狂ってしまう」 「あんたは不思議なことを言う・・・。俺はそんなこと、思ってもみなかった。じゃぁ俺は、これからどうやって生きていけばいい?」 「その川を見なさい。川は偉大だ。自然の流れのままにまかせて、何万年もずっと流れている。流れを早めようという欲もなければ、流れを変える力も出さない。すべて自然のままなのだ。しかも大きく美しい。そして・・・・よろこばれ、恵みを与えている。おまえも巨大だ。おまえの生き方次第で川のように偉大にもなれるだろうよ」 手塚治虫『ブッダ』から |
■命はなんのために 「いつもわたしは言っているね。この世のあらゆる生き物はみんな、深い絆で結ばれているんのだと。 人間だけではなく、犬も馬も牛も、トラも魚も鳥も、そして虫も。それから草も木も。命の源は繋がっているのだ。みんな兄弟で平等だ。おぼえておきなさい。 そして、みんな苦しみや悩みを抱えて生きている。もしあなたがたの親や兄弟の中にも餓えで苦しんでいたり、不幸が起こったりしたらどうなる? あなたの家はつぶれ、あなた自身にも不幸がくるでしょう。自分の不幸を、自分の苦しみを治すことだけを考えるのは心が狭いことだ。自分以外のみんなのことも考えてみなさい。 だれでもいい。人間でもほかのものでもいい。相手を助けなさい。苦しんでいれば、救ってやり、困っていれば力を貸してやりなさい。なぜなら、人間も獣も、虫も草木も、大自然という家の中の親兄弟だからです」 手塚治虫『ブッダ』から |
すこしムカツクV6の歌
Darling! Darling! いい Just night |
解説 だって、日本語英語で駄洒落ってるんですよ〜 Darling! Darling! いい Just night →Darling! Darling! いい、じゃない♪ Darling! Darling! What 感 eye →Darling! Darling! わかんない♪ Darling! Darling! night and day →Darling! Darling! 悩んで♪ Darling! Darling! More 終わんない →Darling! Darling! もう、終わんない♪ あげくのはてに Darling! Darling! どう? You know →Darling! Darling! どうゆーの♪ Darling! Darling! 意図、OK! →Darling! Darling! It's OK!! とかいっているんですよ。 歌を聴いているだけなら気がつかないけど 歌詞を見た日ににゃどうにも許せません。 先生!! どうしたらいいですカ(笑) |
Q:社会には、人と人との違い、いわゆる区別がありますが、おすぎさんにとってのお考えをお聞かせ下さい。 |
マトリックス
1.「マトリックス」着想の由来 |
2.なぜクンフーなのか |
3.キルケゴール |
4.「マトリックス」は反米・反体制映画である 「マトリックスとは体制(システム)だ」 1966に怒りを抱いて
都会の雑踏を歩きながらモーフィアスはネオに言う。 「サラリーマン、警察、教師、弁護士、大工、我々は彼らを救おうとしてるが、大抵の人はまだプラグを抜く段階ではない。みんな体制に依存するしかないから、必死にそれを守ろうとする」 そして駐車違反を取り締まる警官がこちらを向いた時、モーフィアスは宣言する。 「彼らが体制の一部である以上、みんな我々の敵だ」 そしてネオたちは警官たちは容赦なく皆殺しにする。 ********* 欧米や日本のシュミレーション社会は、実は「汗と泥にまみれた労働」「貧困」「暴力」という現実から成り立っている。 カフェでカプチーノを嗜むマダムは、そのコーヒー豆が貧しい国の幼い少女の血まみれの手で摘まれた事実を知らない。 マトリックスで人間に与えられる栄養は死体を溶かした液体である。グローバリゼーションもまた、貧しい国の奴隷たちの屍で先進国の無菌室の貴族達を培養している。それはマトリックスそのものだ。 マトリックスは実在する。 我々は何をすべきか。奴隷として生きながら、映画やゲームやアイドルやアニメやネットやマネーゲームや企業での出世に慰めを見出すか、それともシュミレーションの檻から飛び出して、現実の砂漠に歩み出して誰の真似でもない人生を生きるか、青いカプセルか赤いカプセルか。 人生は、一度きりだ。 映画秘宝 2003年N043 マトリックス砂漠の世界へようこそ(町山智弘) から抜粋加筆 |
きみは飛べる。
自分で飛べるんだ。
耳をひらいて、
それぇ!
耳をひろげろ!
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さよならブラックバード
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心理テスト
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その人とは、あなたの人生における敵をあらわしているそーです(うふ)
「汚いもの、まかり通ってほしくないものも混在しているのが、社会なんだ」 |
『ぼくは長いこと心底からおもしろいものを作ろうと思っていた。これはそういう想いを具現化したものなんだ。
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ある日、ホームページにこんなメールが届いた。 「東北地方に起こった大地震により、タレントの乙武さん(27)の家に火災が発生した。 誰もが自由に書き込みできる匿名掲示板「2ちゃんねる」において、僕は不思議と愛されているようで、これまでも何百回となく殺されている。だから、今回だって特に驚きはしない。いつものことだから。 「そんなの気にするなよ」 彼らの忠告はありがたいけれど、僕はあえて気にするようにしている。せっかくボロクソに書いてもらっているのに、無視するのはもったいないから。 読者やファンの人から送られてくるメールや手紙は、そのほとんどが僕を誉めそやすものだ。街を歩けば、「いつも観てますよ」「勇気をもらってます」。若い女の子にキャーと言われれば、やっぱり悪い気はしない。仕事先にはスタッフがいて、いつも気を遣ってもらっている。暑くないか。寒くはないか。のどが渇いてはいないか。黙っていても、快適な環境が自然と用意される。 若くして世に出てしまった僕に強く物が言える人がいないのは、僕にとって大きな不幸だと思っている。僕はそう強い人間ではないから、時折、このまま傲慢な人間になってしまわないだろうかと不安になることがある。そんなとき、僕はパソコンを開き、「お気に入り」のフォルダから「2ちゃんねる」を選び出す。僕を悪く言う人々の書き込みを読む。薬みたいなものかもしれない。それまで持っていた自信や自尊心といったものが一気に崩れ去り、代わりに謙虚な心が入り込む。泣きたくなることもある。でも、それくらいがちょうどいいと思っている。 彼らの文言は、あまりに心なく、的外れなものが多い。けれども、時に足元を見つめさせてくれるものもある。「あんな文才のないやつが」と書かれれば文章を磨くことに貪欲になれるし、「障害があること以外に何のウリもない」と指摘されればウリを作ろうと必死になれる。 匿名だからこそ好き勝手に書けるけれど、匿名だからこそ本心が出る。僕をよく思っていない人たちの存在を知り、意見を聞くことで、見たくない自分の姿が見えてくる。そこから目をそらすことの方がよっぽど簡単でラクなことだとはわかっているけれど……。 名誉毀損をちらつかせながら彼らを黙らせることは、確かにできるのかもしれない。でも、それでは単に彼らの口を閉ざしたに過ぎない。誹謗中傷する人々の気持ちを少しでも変えるよう努力する。それは、僕にとって意味のないことではない。 |
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ロッケンローール!!
FE:いま出版界のなかで、見城徹ほどパワフルで敵なしの男はいないと言わ れていますが…。 見城「僕は、人一倍不安や恐怖を感じるタイプなんですよ。しょっちゅう後ろ髪を引かれているし、小石にもつまづく。何をやるにもウジウジ悩んだりクヨクヨする男なんです。 7、8年前にトム・クルーズの仕事や私生活に密着して書かれた記事を雑誌で読んだことがあるんだけど、彼はいつもちょっとしたことでたじろぐんだそうです。例えば明日ベッドシーンがある。ものすごく憂欝で落ち込む。ロケ現場でもずっと無口で。でもいよいよ本番の時間が近づいてくると自分を吹っ切ったように、『ロッケンローーール!』と叫んで現場に入っていくんだって。 その気持ちがすごくよくわかるんだよね。以来、僕も一歩踏み出すときにはいつも心の中て『ロッケンローーール!』って叫んでますよ(笑)」 FE:でも、普段はそう見られないように工夫しているんじゃないですか? 見城「そんなことないよ。いつもミエミエに悩んで、最後は紙一重で前に行くというだけだから」 FE:幻冬舎という会社を作って以来、史上最速でミリオンセラーを6作も連発したり、3年目にいきなり12億円を叩いて62作の文庫本を送り出したり、郷ひろみの『ダディ』を常識外の初版50万部からスタートしたり……。どうして見城さんは毎回壁を突破できるんですか? 見城「そうしなければ何も始まらないと思うからじゃないかな。人は現状維持が一番楽なんですよ。でもそれでいたら満たされない自分がいる。寂しい自分がいるんですよ。だから、苦しくても、一歩前へ出る」 FE:それができる人は世の中に3%くらいしかいないんじゃないかと思いますよ。その他大勢はアクセルを踏めないまま、やがて死んでいく。でも見城さんは、彼らの琴線もわかるから出す本が売れるわけですよね。 見城「その二重性は持っていないとね…。密やかに生きて密やかに死んでいく、誠実に生きて誠実に死んでいく、無口に生きて無口に死んでいく…。そこには重い生の営みがある。そこをすごくよくわかっていながら、自分はポーンと一歩踏み出す。突破する。そうしなければ生きて行けない。 危険なものを見つけてそこへ行く。危険な道のランクがABCDとあれば、ウジウジ悩んだ末にAへ行く。それができない局面では、どこも突破しないでEを選ぶのかもしれない。AかEか。どちらにしてもミドルはない。その相矛盾する両方の振幅があって初めてマスを包摂できるんじゃないかと思いますよ」 |
FE:『大河の一滴』が文庫・単行本あわせて300万部を突破した理由は? 見城「人は必ず病気になるし、生まれたからには必ず老いる。肉親だろうと友人だろうと人は裏切る…。仕事は上手く行かない、恋は成就しない。それを前提として生き始めようじゃないかというのが『大河の一滴』の根本に流れているものなんです。 黙々と生きて黙々と死んでいった人たちはみな、それを静かに受け入れるんです。僕にとって尊敬すべき人たちというのは、そういう人たちなんですよ。人生の価値というのは、総理大臣だろうと田舎で黙々と生きた人だろうとみな同じだと思うんですよね。 最終的に人はひとりで死んでいく。それはすべての人間に対して平等じゃないですか。その時、笑って死ねるかどうか。それ以外は全部プロセスに過ぎない。自分の人生が成功か失敗か、死ぬ瞬間、自分自身が決めるわけです。その瞬間のために僕は今、戦っている」 FE:なぜそんなに寂しいんですか? 見城「だって人は必ず死ぬんだよ! もし死なないのなら、すべての問題は解決しちゃう。フラれたって全然寂しくないと思わない?1億年後には必ず恋は成就するだろう、一人くらいは(笑)。 時間の秘密というのはものすごく大きなことで、ものの哀れもせつなさも、感動はすべてそこから生まれてくる。時が経つことは誰も止められない。生病老死だよね。それを受け入れられるかどうかなんだけど、僕はダメなんですよ。生きている瞬間瞬間で自分を満たしてやらないと…。 哲学者や宗教家がいろんな生き甲斐を説くけれど、本当の生き甲斐なんてないんですよ。でもそれがないなんて言ってしまえばおしまいだから、一生懸命自分の中でその場その場の生き道を求める。宗教にきちんと入り込んで神と直結すれば、生涯寂しさを感じなくていいのかもしれないけど…」 FE:なぜ、そこにハマらないんですか? 見城「いろんな宗教を見たし、旧約聖書も新約聖書も全部読んだし、法華経も勉強したけど…そこに自分を埋められない。それよりもこれだと思った女を勝ち得てセックスするときのほうが埋められるんですよ(笑)。それも瞬間的だけどね(笑)。あなたは何が一番寂しさを埋められる?」 FE:足元にも及ばないですが、やはり仕事ですかね。 見城「仕事は大きな要素だね。でも、僕は仕事だけでも埋められないんだ」 FE:女ですか? 見城「自分を理解してくれる女は重要だね。男じゃダメなのよ。男が理解してくれてもどうしようもない。メディアの取材とかがドッと来るのも、一時は面白かったわけ。知らない人から『サインして下さい!』つて声掛けられたりしてね。虚栄心やナルシズムを満足させるところがあって、メディアに出ることによって寂しさを忘れられるようで楽しかったのね。 でも、今はそれもできるだけやめようと思って9割方断っているんです。結局、仕事も一瞬、一瞬のものでしかないんだよね。最近、ソニーマガジンズからコミック部門を引き取って幻冬舎コミックスという子会社を作ってさ。けっこう博打なんだけど、今はそれに気持ちが入っているんです。 それから、3年半かけて準備してきた『戦争論2』を50万部売って、半年で百方部まで伸ばしたいなという気持ちも強い。そういうことを絶えずやっていないと僕はダメなんですよ。ささやかに売れるだけじゃ、寂しさを埋め切ることができない…」 FE:若い頃からそんなに寂しいんですか? 見城「ずっと寂しい」 FE:周りに愛がなかったんですか? 見城「いや、そうじゃなくて、人間はつねに死に向かって生きているわけじゃない? 結局死ぬために生きている。それ以外は全てがごまかしですよ。何をやったって死という圧倒的な事実に向かっているわけで。 それを回避できるならいいよ。回避できないからすべては一時的なごまかしでしょ。だから根本的に寂しいわけです。愛があろうと仕事がうまくいこうと。だから僕にとっては、死をどのように受容するかが最大の問題なんです」 |
FE:「自殺」は見城さんにとってどういう位置付けになるんでしょうか? 見城「自殺できれば一番いいと思っている。でも今はまだ自分で自分の命を絶つことはできない。何度もそうしようと思うのね。ただその勇気がないだけなんだよ」 FE:見城さんが自殺すると、残された幻冬舎の方々が大変しゃないですか。 見城「そんなことは知ったこっちゃないよ(笑)。僕は僕のために会社をやっているわけで、彼らは彼らのためにこの会社にいるわけで、僕が死んだら誰かが何とかするかもしれないし、離れていくかもしれない。家族はいるとしても、それぞれの人生のなかで今ここを選び取っているだけでしょう。 だから僕は『辞める』というヤツは絶対に止めない。ものすごいエゴイストだから、この会社も見城徹という生き様の形だと思っているんです。僕の、のっぴきならない人生を生きるためにこういう会社になってしまったんです。 アンドレ・マルローの『王道』の中でテロリストの陳が死ぬ直前に放った台詞がカッコいいんだけどね…『死、死などない。俺だけが死んでいく』…まさにその通りで、俺だけが死んでいくんですよ。自分にとっては死でも、他の人にとっては死なんてないんです」 FE:なるほど。 見城「だから僕は、幻冬舎をやっていなかったら今ごろ飛行機の操縦席に座ってビルに突っ込んでいたかもしれない。 アラブ人の彼も、もしかしたら微笑みながら突っ込んだのかもしれない。それも彼自身の生き様なんだからいいじゃないかと思うよね。それは共同体の善悪や正義や真実なんていう、浮わついた言葉ではくくれないものでしょう。死ぬ理由が見つかれば僕は死にますよ。 ヘミングウェイが自分を撃った、三島由紀夫が腹を捌いた、奥平岡士が自分の足に爆弾を投げだというのは、だから僕にとって重いんです。60年安保のときに全学連が国会に突入して樺美智子という東大生が死んだ事件があったんだけど、その後彼女の日記が発見されて『人知れず微笑まん』という本になってね。 その本は、『最後に笑うものが一番良く笑うという。私も最後には人知れず微笑みたいものだ』という詩の1行で終わるんです。彼女は早過ぎる死の瞬間、笑えただけだろうかって考えるんです。 ホームレスでも大統領でもテロリストでも、みんな対等の人生を生きている。僕は最後に微笑んで死ぬためにダッシュしている。だから、すべての議論や人生論はどうでもいいことなんです」 FE:ただ、見城さんは少年の頃からずっと活字を愛していますよね。 見城「そうだね。いろいろ言ったけど、やっぱり活字をマスに売ることが、一番僕の寂しさを紛らわすことなのかもしれないね…」 FE:過去は引きずらない? 見城「引きずらないんだよねえ。自分を満たしてくれるものは、今、この瞬間にリスクがあるものじゃないとダメだから。 だから『薄氷は自分で薄くして踏め』という言葉にもなるし、『顰蹙は金を出してでも買え』『新しく出ていく者が無謀をやらなくて一体何が変わるだろうか』というコピーにも繋がるんです。 もし会社が倒産して一銭もなくなったとしても、また別の生き道を探すと思うよ。また違う僕らしい生き方になるはずだから…。表現者なのか宗教家なのか詐欺師なのかわからないけれど、僕は地べたからやると思いますよ。どうかろうと自分で死ねない限りは、すべて戦いですよ。生きて行くしかないんだから」 |
FE:見城さん自身、自分の好きなところと嫌いなところをひとつずつ挙げてください。 見城「好ぎなところ? そうね…臆病なところかな。細かいところまで考え詰めるから、不安に苛まれないまま夜を迎えることはあんまりないよね。 僕は臆病なんですよ。チキンハートだから無謀に行けるんです。いつもクヨクヨ者えているから、いろんなことを用意周到に埋めることもできるし、それがあるからターニングポイントで舵を逆に切ることができると思う」 FE:チキンハートの無謀者ですか。 見城「そうかもな。なんとも言えない快感があるんだよ。いっぱい最悪の状況を考え、不安を抱えるわけだから。その上で覚悟が決まる瞬間っていうのは気持ちがいい。悩みに悩んだ末で行っているから退却しないんです。もう行くしかない。行くと決めた瞬間にはスポーンと何かが抜ける。ゼロになってもいいって本当に思える」 FE:自分が嫌いなところは? 見城「やっぱり臆病なところですよ。好ぎなところと嫌いなところって、じつはコインの裏表だよね。僕は細かくて臆病なんです。ひとつもないがしろにできないんです。 たとえば23、4歳の社員がトイレ掃除のオバちゃんに『早く掃除終わらせてよ』と無愛想に言って、それを通りすがりに聞いたとする。そんなことすら、ないがしろにできない。そいつと1時間でも話し合っちゃうんです。『今のセリフはないだろう』って。でもそこでかかわったことに対してまた自己嫌悪に陥るんですよ。すると1日か2日は自分が使いものにならない。小さなことで落ち込んでしまう。 だから僕はパーティーには絶対に出ないと決めているんです。誰かに声をかけられたとき、他の人と話していて相手できないことってあるじゃないですか。その人に対して悪かったっていう思いをずっと引きずるんだよね。小さいこと、細かいことにいつも蹟いている。もう、やんなるくらいにね」 FE:今後、見城ワールドはどう進むんでしようね? 見城「ダッシュダッシュになっていくしかないと思う。もう肉体的にはチョーパン食らわせられない齢だけど、精神的なケンカはつづくでしょうね…。仕事と女しかありませんよ。あとはないもんね(笑)。 僕は生きていて何が嬉しいかと言うと、自分が仕掛けたものがマスに売れた後で『見城さんって素敵!』って好きな女が言ってくれる、それが一番いいんだよ! たった一人の女にそう言われたいためにやっているんです。それ以外は生きている寂しさを埋めようがない」 Webマガジン幻冬舎: オンリー・イエスタデーyori |
学生街の殺人
「じゃぁ、なんで俺に相談しないで勝手なことするんだ。凄く大事なことなのに」 「大切?」 「命にかかわる問題じゃないか」 「分かりやすいけど、そういうセリフは誰にでも吐けるものなのね。 多分彼女は、あなたには解決できないと思ったんでしょう」 「彼女の問題でもあるが、俺の問題でもあるんだ。 はっきりとした理由を知りたいだけなんだ。納得したいんだよ」 「なんでもかんでも知ろうとしないことよ。そういう暴力もあるんだから・・・」 |
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「いまは、何をしてるんだ?」 「自分では何かを探しているつもりだけど、自分でもまだわからない。 わざわざ何か俺にいいにきたのかい」 「いや、おまえがどう生きようが勝手だ。どう生きるべきなんて事は、ちょっと年を食っているからといって、話して聞かせられるものじゃない。自分でも満足にわかっとらんのだから」 「あんたでも、そうなのか」 「どんな人間でも一種類の人生しか経験できん。一種類しか知らんわけだ。それなのに他人の生き方をとやかくいうことは、傲慢というもんだ」 「道を間違ったらどうするんだい?」 「間違ったかどうかも、自分で決めること思うがな。間違いだと気づけば引き返せばいい。小さな過ちをいくつも繰り返しながら、一生というものは終わっていくものではないかな」 「中には大きなものもある」 「それは、ある。その場合でもその事実から目をそらしてはいかんだろう。償う気持ちを宝にして、その後のことにあたるべきだろうな。それでなくては生きていけん、たぶん、な」 (「学生街の殺人」東野圭吾) |
世界の中心で、愛を叫ぶ
朝、目覚めると泣いていた。いつものことだ。 悲しいのかさえ、もうわからない。涙と一緒に感情はどこかへ流れていった。しばらく布団の中でぼんやりしていると母がやってきて、「そろそろ起きなさい」と言った。 雪は降っていなかったが、道路は凍結して白くなっていた。 父が運転する車の助手席に、アキの父親が座った。アキの母親とぼくは後部座席に乗り込んだ。車が動き出した。運転席と助手席の男は雪の話ばかりしている。搭乗時間までに空港にたどり着けるだろうか。後部座席の二人は、ほどんどしゃべらなかった。 ぼくは車の窓から通り過ぎていく車を、ぼんやり眺めていた。 道の両端に広がる田畑は、見渡す限りの雪景色だった。アキの母親は遺骨の入った壷を膝に抱えている。美しい錦織の袋にくるまれた壷、その中にアキは本当にいるのだろうか。 ぼくは夢を見た。まだ元気だったころのアキの夢だ。夢の中で彼女は笑っている。 夢が現実で、現実が夢ならいいと思う。悲しいからではない。楽しい夢が叶い、そこから現実にもどってくる間に、跨ぎこさなければならない亀裂があり、涙を流さずにはそこを超えることができないからだ。 (Kyoichi Ktayama) |
このベストセラー小説を、「GO」(2001年)で各映画賞を総ナメにした若手の行定勲(ゆきさだ・いさお)が、脚本化し、監督した。舞台は架空の町だが、原作者が愛媛県出身であるため、愛媛と香川でロケ。主人公の住む町は、高松市の東にある庵治町に設定された。この80年代の面影を残す漁師町が、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。 原作との大きな違いは、ヒットの担い手であった柴咲演じる律子の存在が、大きくクローズアップされていることだ。朔太郎(大沢たかお)は失踪した婚約者、律子を追って、四国に飛ぶ。そこは彼の故郷だった。彼は故郷に帰り、白血病で死んでいった初恋の相手アキ(長澤まさみ)の幻影を見る。 これら現在と過去を結び、80年代を象徴する小道具が、ソニーの「ウォークマン」なのだ。彼は押入れから、この宝物を見つけ出す。2人は高校時代、恋愛日記ならぬ恋愛テープを交換して愛情を紡いでいたのだ。 映画は、現在と過去を交錯させながらストーリーを進めるが、雨の降る日、朔太郎はかつて2人が通っていた高校の体育館を訪れる。ふと見ると、舞台の上で幻のアキがピアノを弾いている。 彼女のとつとつと弾く調べが、時空を越えて、朔太郎の心に響いてくる。その曲はグノーの「アヴェ・マリア」なのだ。いうまでもなく、原曲は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の第1巻第1曲である。もともと、この曲は、クラヴィーアを弾く貴族の子弟の教育用にと、バッハが書き始めた練習曲のようなものだ。 この簡素な曲を、グノーはそのまま移調して伴奏部に使い、その上に旋律を乗せて歌曲にした。歌詞は、カトリック教会の祈祷文「アヴェ・マリア」だ。「アヴェ」とはラテン語で「めでたし 」の意味。聖母マリアを祝福する、万人に愛される曲をめざした、グノーの、いわばアイディア商品だったともいえる。 (MOSTRY CLASSIC より) 「世界の中心で、愛をさけぶ」メモ 映画のロケ地香川県庵治町→ここ ドラマ版ロケ地は静岡県松崎町→ ここ この映画の感想→ここ |
小津安二郎
■小津安二郎さんがいいのは、行儀のいいこと。 これぐらいの品のいい映画を作る人がいないのよ。「お父さん、行ってまいります」「そうか行っておいで」「お父さん、お大事に」「よし」。あるいは、みんな同窓会で集まるって会話するの。「君、若いとき、よく頑張ったな」「うん、昔、俺はな」。会話も上品なのね。 その上品さに西洋人はビックリする。日本人はこんなに上品なのかって。男ばっかりが5人、猥談が一つもない。それでもって「そうか、いこうか」「また、会うか」、なんて言うの。それは西洋人から見たら、驚くべきことなのね。 たとえば、「ねえ、あなた、どこへ行きますか」と言う。大阪出身のの溝口健二だったら、「あんた、どこ行くの」って言うでしょう。小津安二郎は違う。三味線の音なのね。「行ってきたか」「はい」「あったか」「ありましたよ」。こういう会話なのね。西洋人には絶対にない三味線の音なのね。 しかも、キャメラは全部下から撮っている。西洋人は下から撮ることは犯罪以外にないのね。それだけでビックリの上に、渦巻きの蚊取り線香でもビックリ。あんなにきれいなもので香取り線香なのかと思う。小津安二郎はその置き方がまたきれいだから。 西洋人にしたら、こんなきれいなものが置いてあって、障子と畳も背後にあって、ことさら美しいなと思うの。いま、日本の監督でそういうことをデリケートに考えてる監督はいない。 (Nagaharu Yodogawa) |
言葉の大切さ
■世の中には、とんでもない実験をしてしまう人がいる。 「赤ん坊にまったく声をかけないで育てたら、何語を話すのか?」という仮説に興味をもったドイツの大王フレデリック二世(1194〜1250)などが、その典型であろう。 彼は、乳母や養母に、「赤ん坊にオッパイをあげてもいいし、入浴させてもいい。しかし、言葉をかけることだけは絶対禁止だ」という命令をした。 これは大変興味ある実験だった。ところが実験は失敗。なぜかというと、この実験をさせられた赤ん坊が、皆死んでしまったからである。これは13世紀の歴史家、サリンべリが書き記したものだ。 赤ん坊は、十分な栄養と清潔な環境を与えられながらも、死んでいった。人間の言葉というものは不思議な力をもっているのである。言葉は人を育てるものなのだ。 ■子供にとって最もつらい仕打ちは、言葉で叱ることではない。 母親がどんなに声を荒げて怒っても、子供の心を壊してしまうことはない。本当につらい仕打ちというものは、無視することだ。 心理学データからみても、母親に小さい頃から煩雑に話し掛けられた子供ほど、 ・夜泣くが少ない ・病気にかからない ・身体的成長が早くなる などの良好な結果をもたらすことが分かっている。 しかも子供に話し掛けることは、子供にとってだけではなく、母親にとっても大切だ。煩雑に子供に話し掛ける母親ほど、子供に愛情を感じてくることが分かっているからである。 結論。 子供には、どんどん話かけること。すると子供は何の問題もなくすくすく育ち、それを見て母親も愛情を感じるのだ。言葉は、どちらにも必要なものなのである。 |
無菌病室の人びと
■はじめて出会った時の I 嬢は、「谷間の白百合」という言葉がぴったりの、清楚とした乙女だった。私と同じ年のはずだが、ずっと大人びて見えた。栗色の柔らかな髪、大きな瞳、高くすっとした鼻、形のよい唇をもった彼女は、造化の神の傑作といってもおかしくはなかった。どうして、こんなに素敵な女性が、白血病などという業病に罹ってしまったのだろう。 夏目雅子の例を引くまでもなく、「きれいで、色白で、皆から羨ましがれるような良い性格で、食が細い女性」というのが、この病気になる要素かもしれない、と私はひそかに考えている。 I 嬢の白血病は、その当時のレベルとしては、かなり過激なやり方によって、寛解(一時的なおること)に導入できた。再発治療の場合、寛解はほとんど期待できないので、普通は延命のため、ずっと弱い治療をするのである。抗白血病剤の副作用で髪が抜けたり、肝臓が悪くなったりはしたが、時がたつにつれすっかり元どうりになり、彼女は退院した。 ■4年後に悪夢はやってきた。白血病細胞は、彼女の頭のなかで、報復の時をじっと待っていたのだった。突然おこった激しい頭痛と視力障害のため彼女は入院していたが、髄液の中に、あのいまわしい「白血病細胞が検出されたのである。「髄膜白血病」と呼ばれる、白血病の晩期再発であった。 「先生が、男の人だったらよかったのに」 どういう意味なのかは、聞き返さなくてもわかっていた。22歳で発病し、おそらく「恋」をしたことがない彼女にとって、私が男性であったなら、きっと最も身近な異性として、恋に落ちていただろう。若い女性から見れば、私が青年医師で主治医ならば、恋の対象には十分すぎるほどの条件だったと思う。 残念ながら私は女性でレズビアンの趣味はなかった。でも、その時私は本当に男であったらよかったと、心から思った。男性だったら、彼女に恋の歓びや苦しみを教えてあげられたかもしれない。 人を愛することの悲しさを知ることで、人は優しくなれると、離婚したばかりの私は、よくわかっていた。 ■それから3年、彼女が白血病に罹って12年目に入ったある日、突然激しい頭痛と吐き気が、この無垢な女性を襲い、両目はまったく見えなくなってしまった。 何も悪いことをしていない彼女に、神はどうしてこんなひどい仕打ちをするのだろう。 天国に迎えるための試練だとしても、あんまりだ、と私はおもった。考えうる限りの治療を行ったが、結果は無残だった。日ごとに衰弱し、意識が薄れていく彼女を診るのは、わたしにとって、すごい苦痛だった。もちろん彼女の家族にとっても地獄の苦しみだったろう。 急性骨髄性白血病と彼女の戦いは、12年3ヶ月で終わった。享年34歳。眠るように「死」が訪れ、死に顔が穏やかな微笑みを浮かべていたことが、私にとっては救いであった。 ■私事になるが、11年つきあった同級生と結婚したのが、29歳のときだった。、原宿のマンションに新居を構え、甘い新婚生活をおくったのは、わずか数ヶ月だけで、すぐに破局がきた。夫の心が私より義母にあると知って、わたしは何度バルコニーから飛び降りようと思ったことだろう。 絶望の淵から私を引きもどしたのは、 I 嬢だった。彼女をなんとかしなければ、という思いが、私を破滅から救ったのである。私が明日彼女を診に行かなかったら、きっとがっかりするだろう。どんなに辛くても、私は生きて頑張るしかないのだ、と決意するには、しばらく時間が必要だった。 I 嬢の遺体を運ぶ霊柩車が、病院を出るとき、私は深く頭を下げた。 「ごめんなさい。そして、ありがとう」 心の中で、私はつぶやいた。10年以上の間、勇敢に白血病と闘い、一時は病魔に打ち勝ったばかりか、主治医の生命まで救ってくれた人への賞賛の呟きだった。 (「無菌病室の人びと」赤坂祝子)から |
気まぐれキャツト
よくネコは女性にたとえられ、どちらも気まぐれでわがままな生き物の代表として言われています。これはネコにとって、まったく心外な事なのだそうです。 「ネコだからって、みんながみんにゃ、気まぐれじゃにゃーいニャ。なかには、そんなキャットもいるから、誤解にゃれるんでしょうけど。あんな癇癪もちの人間の女と一緒にされたらこまりますわ。にゃりりん♪」 ご意見番の野良猫代表、ミケコ嬢はこう言うのです。 彼女が、そう言う気持ち、わたくしにはよーく分かります。 猫的に言わせれば、ミケコ嬢の言うように、のんびり癒し系ネコ、おとなしく従順なネコ、まことに気まぐれではないネコも、確かにおるのです。人間の女性に比べればとてもおとなしくて・・・・・・いや失礼。 うんにゃ、でも、です。言うことはきかないわ、すねるわ、甘えるわ、食べ物のこととなると目の色をかえるわ、気まぐれネコはいっぱいいるじゃないですか。 しかしミケコ嬢はこうおっしゃります。 『にゃにを言いますきゃ。人間こそ、“そこがいいのよ可愛いの”とか言って、むしろネコのそういう気まぐれなところを愛しているんじゃにゃーのですきゃ?あたしたちは飼う人間のレベルに合わせて振舞っているだけなのです、にゃりりりん♪』 ははぁ〜。ミケコ嬢の発言は、なんとなく説得力があります。野良猫ならではの生き残りの処世術でしょうか。それともわたしがネコに甘いのか。 んま、そういうことにしておきましょう。ミケコ嬢には逆らえません。 でも、どういうわけか、そういう気まぐれなネコほど美しく、しなやかで、神秘的な容貌を持っているのです。 えっ、ミケコ嬢はどうかって? ナワバリを超えた野良猫界のアイドル。とっても美猫なのです。 そうです。こまったことに、ミケコ嬢自身が、それはもう、そうとうな気まぐれキャツトなのです。あなたこそ、そのわがままぶりに気づきなされ、といいたいです。 にやり、 りん♪ |
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