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マリはタマだった マリは、私に飼われていたことなど、一度もなかったのだ
ママ・ドント・クライ 物心がついてからこっち、涙を流したことなんて二回しかない。本当さ
走れメロス 「あのぅ、『走れメロス』って恥ずかしくないですか?」
幸せになる方法 あなたが不幸なままで、ほかの誰かを幸せにしてあげることは不可能です
男性にモテる方法 男性が求めているのは、自分を導いてくれる・・・
夏を埋める 自分の理解の範囲外にある事件に遭遇したことはないだろうか
スチュワーデスの告白 機内で宇宙人に出会うことがある。
スティーヴィーワンダー 仕方ない。盗もう、と決意した。
のびたの結婚前夜 のび太くんは、人の幸福を願い、人の不幸を悲しむことのできる人間だ
こんな女に誰がした 女性というものは、無意識のうちに恋人と自分の父親を比較しているもの
仲人の選択 「新郎の父、遠藤周作とは長い付き合いですが、この男はまったく仕方のない男でありまして・・・・」
愛しつづけるのは難しい わたしは彼女に絶えず話し掛けた。「ぼくは、あなたのことを愛している。本当に愛しているんだよ」
お地蔵さん 「自分のためにしか祈れない人は、大損していると思いますよ。だって・・・
かわいそうなゾウ トンキーも、ワンリーも、だんだん痩せ細って元気がなくなっていきました。
末期がん 父が末期ガンで余命僅か。最近、担当の先生のこと、あんまり好きじゃない事に気がついた。
真実を味方につける 苦しみというのは、自分の評価を人にゆだねると発生します。



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真実を味方につける



■苦しみというのは、自分の評価を人にゆだねると発生します。本来、人は評価されるような、そんな惨めな存在ではありません。自分に対する評価は、自分にしかできないのです。それを人に任せるから自分の本意からはずれてしまうのです。

自分がなにかをしたとき、心の底から楽しく感じられたとか、忘我の境地で熱中できたとか、そういう自分の直感を信じて生きていれば、人生を誤ることはありません。自分が誇りを持てることをやり続けている、というたしかな手応え、つまり「私もうれしい、あなたもうれしい」という関係が成り立つことをしているという手応えこそ、自分を自己実現する方向に導いてくれる羅針盤になります。

■人を好きになるという感情もまた同じことです。愛されているかどうかよりも、相手をどれだけ愛しているかが重要ですし、「彼女のことが好きだ」ということこそ誰にも否定できない事実です、彼女に愛してもらいたいという、気持ちはわかりますが、恋愛の本来の姿は、片想いが原則です。たまたま両者のベクトルが一致したカップルが、愛を発展させることができるのです。

■自分の楽しいと感じることを実行する、という生き方をすると自分独自の哲学をつくることができます。そういう美学で生きるのですから、人生は自ずと喜びと感動の日々になります。こういう人にとっての人生の醍醐味は、出世することでも、お金持ちになることでもありません。人とどれだけ悦びが分かち合えたか、ということです。「悦びを分かち合う悦び」こそ「人生の宝」だと感じる人です。


「女は男のどこを見ているか」から




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末期がん



・・・以前も言ったように、父が末期ガンで余命僅か。

最近、担当の先生のこと、あんまり好きじゃない事に気がついた。

というのも、自信満々で余命の日数を言うんだよね。おまけに毎週話を聞くと、2週づつ父の余命は短くなっていく始末。
 
患者やその家族にとって、医者っていうのは、
"I can change your world, I'll be the sunrise in your universe"なんです(歌詞間違ってるかも)。
 
余計な気遣いはかえって残酷とでも思ってるのでしょうが、言い切られている家族はたまったもんじゃないです。
 
だって希望がまったく絶たれてしまうわけでしょう。

別に末期がん宣告をされたら、99%死ぬって患者の家族も覚悟はできてるハズ。今更「あんときそう言ったじゃねーか」って、訴えるようなことはしませんよ。

せめて一言、「人間の体なので良くなることもあるかもしれないですよ」と。

看護する方だって、その一言があれば、まだ精神的に少しは楽になれます。「余命なんてそう簡単に言うもんじゃない」と怒っていたわけが分かったよ。
 
だけど、医者の身にしたら、言い切ってしまったほうが、何かと仕事は楽なんでしょうね。これを読んでいる皆さんの友人、知人、愛人で、末期がん患者を扱うお医者さんがいたら、
 
「人の体っつーもんは分かんねもんさ」

と一言付け加えてくれるよう、頼んでおくんなせい。



(或る掲示板から抜粋)




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かわいそうなゾウ


野の動物園は桜の花ざかりです。

風に散る花、お日さまに輝いている花、その下にどっと人が押し寄せて、動物園は混みあっています。

先程から、長い鼻でラッパを吹き鳴らし、芸当を続けているゾウの檻(おり)の前も、動けない程の人だかりです。
 
そのにぎやかな広場から少し離れた所に、石のお墓が一つあります。気のつく人はあまりいませんが、動物園で死んだ動物たちをお奉りしたお墓です。いつも暖かそうに、お日さまの光を浴びています。

ある日、動物園の人が、その石のお墓をしみじみと撫でながら、かなしいゾウのお話を聞かせてくれました。


、動物園には三頭のゾウがいます。ずっと前にも、やはり三頭のゾウがいました。

名前を、ジョン、トンキー、ワンリーといいました。その頃、日本はアメリカと戦争をしていました。戦争がだんだん激しくなって、東京の町には朝も晩も爆弾が雨のように落とされました。
 
その爆弾が、もしも動物園に落ちたらどうなることでしょう。檻が壊されて、動物たちが町へあばれ出て、大変なことになります。

それで、軍隊の命令で、ライオンも、虎も、ヒョウも、クマも、大蛇も、毒薬を飲ませて殺したのです。


よいよ三頭のゾウも殺されることになりました。まず、ジョンから始めることになりました。

ジョンは、じゃがいもが大すきでした。

ですから,毒薬を入れたじゃがいもを、ふつうのじゃがいもに混ぜて食べさせました。けれども、利口なジョンは、毒薬の入ったじゃがいもを長い鼻で口までもっていくのですが、すぐにポンポンと投げ返してしまうのです。

しかたなく、毒薬を注射することになりました。馬に使うとても大きな注射の道具が支度されました。ところが、ゾウの体は大変皮が厚くて、太い針はどれもポキポキと折れてしまうのです。

しかたなく、食べるものを一つもやらずにいますと、かわいそうにジョンは十七日目に死にました。


いて、トンキーとワンリーの番です。

この二頭は、いつもかわいい目をみはった心のやさしいゾウでした。私たちはこの二頭をなんとかして助けたいので、仙台の動物園へ送ろうと考えました。

けれども、仙台にも爆弾が落とされて、町にゾウがあばれ出たらどうなることでしょう。そこで、やはり上野の動物園で殺すことになりました。毎日、餌をやらない日が続きました。
 
トンキーも、ワンリーも、だんだん痩せ細って元気がなくなっていきました。そのうちに、げっそりと痩せこけた顔に、あの小さな目がゴムまりのように、とび出してきました。耳ばかりが大きく見える、かなしい姿にかわりました。
 
今までどのゾウも、自分の子どものようにかわいがってきたゾウ係りの人は、「ああ、かわいそうに、かわいそうに」と通りの前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした。


る日、トンキーとワンリーが、ひょろひょろと体をおこして、ゾウ係りの前に進み出てきました。お互いに、ぐったりとした体を背中でもたれあって、芸当を始めたのです。

後ろ足で立ち上がりました。前足を上げて折り曲げました。鼻を高く、高く、上げて、バンザイをしました。

しなびきった体じゅうの力を振り絞って、よろけながら一生懸命です。芸当をすれば、元のように餌がもらえると思ったのでしょう。

ゾウ係りの人は、もう我慢できません。「ああ,ワンリーや、トンキーや」と、泣き声をあげて、餌のある小屋へ飛び込みました。走って、水を運んで来ました。餌をかかえてきて、ゾウの足もとへぶちまけました。


「さあ、食べろ!食べろ!飲んでくれ、飲んでおくれ」
と、ゾウの足に抱きすがりました。私たちは、みんな黙って、見ないふりをしていました。園長さんも、くちびるを噛締めて、じっと机の上ばかり見つめていました。

ゾウに餌をやってはいけないのです。水を飲ませてはならないのです。けれども、こうして1日でも長く生かしておけば、戦争も終わって助かるのではないかと、どの人も心の中で、神様に祈っていました。
 
けれども、トンキーも、ワンリーも、ついに動けなくなってしまいました。じっと体を横にしたまま、ますます美しく澄んでくる目で動物園の空に流れる雲を見つめているのが、やっとでした。
 
ついに、ワンリーもトンキーも死にました。どちらも、鉄の檻にもたれ、鼻を長くのばして、バンザイの芸当をしたまま、死んでしまいました。


「ゾウが死んだあ。ゾウが死んだあ」
ゾウ係りの人が叫びながら、事務所に飛び込んできました。

ゲンコツで机を叩いて泣き伏しました。私たちは、ゾウの檻に駆けつけました。どっと檻の中へ転がり込んで、痩せたゾウの体にすがりつきました。ゾウの頭をゆすぶりました。足を、鼻をなで回しました。
 
みんな、おいおいと声をあげて、泣きだしました。その上を、またも爆弾をつんだ敵の飛行機が、轟々と東京の空に攻め寄せてきました。どの人も、ゾウに抱きついたまま、
「戦争をやめろ!」「戦争をやめてくれ!やめてくれえ」
と、心の中で叫びました。

あとで調べますと、タライぐらいもある大きな胃袋は、一滴の水さえも入っていなかったのです。その三頭のぞうも、今は、このお墓の下に静かに眠っているのです


 
動物園の人は、目を潤ませて、話し終わりました。そして、吹雪のように、さくらの花びらが散り掛かってくる石のお墓を、じっと見つめて撫でていました。

(おわり)




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お地蔵さん



私はお気に入りのお地蔵さんに行き、お参りをしていました。私だけの聖なる時間を楽しんでいたその時です。背後からいきなり「何かお祈りしているの?」と話し掛けられました。びっくりして振り返ると、中年のおばさんが立っていました。

私は返答に困ってしまいました。私は、ただその場所が気に入っているからときどきお賽銭をあげているだけで、特別になにかを祈願するためにお参りをしているわけではないからです。

「いえ、ここが気に入っているから来ているだけなんです」

「でもずいぶん熱心にお祈りしていたね」

「はい、世の中みんなが楽しく生きられますように見守ってくださいね、とお地蔵様にお願いしていたんです」

「なにか宗教でもやっているの?」

「いいえ、何も・・・。私は気分がいいと、ここに来たくなるのです。でも何も願うことがないので、みんな楽しく暮らせますようにとお地蔵様に願うんです。するとなんだか楽しい気分になってくるんです」

「・・・・」

「もともとお祈りというものは、自分のために祈っても通じないんですよ。たとえば、試験に合格しますようにとか、宝くじが当たりますようにとかなんて祈っても絶対効きません。もし自分がお地蔵様だったら、そんな自分勝手なお願いをかなえてあげたいと思わないでしょ」

「そういわれてみれば、そうねぇ」

「自分のためにしか祈れない人は、大損していると思いますよ。だって、人の幸せを願う悦びや楽しさを味わったことがないんですから」

「なにか、特別な思想とか、もっているの?」

「いえ、何もないです。ただ経験的にそう感じるだけです。人は、人から幸せを願われないと、幸せになれません。だからせめて私だけは人の幸せを願いたいと思って、余裕のあるとき、ここに来ているのです」

「ふーん、がんばってね」
その女性はいたく納得して去っていきました。


「女は男のどこを見ているか」から



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愛しつづけるのは難しい



わたしは結婚してから十五年たつ。わたしたち夫婦にも隙間風が吹き始めたことがあった。二人の子供に手がかからなくなり、上の子が小学生になったころのことである。妻が多摩の小学校に異動となり、車で通うようになって、子供の保育園の送り迎えを彼女がするようになった。おかげで、わたしは送り迎えをやらなくてよくなった。

保育園の送り迎えというのは、朝、夕と時間が束縛され何をするにでもやりようがない。それから解放されたわたしは思わずホッと息をついた。職場からの帰り道に本屋に寄ったり、人にあったりした。なぜかそのときは、妻は保育園の送り迎えや買い物をしているのだということは、頭から抜け落ちていた。解放されたという気持ちだけがリアルだった。

わたしが解放感にひたっていたのも三ヶ月ぐらいだった。妻の起こした自動車事故が発端だった。自動車事故といってもガードレールに接触して保険の請求をする程度のものだったのだが、妻は「どこだったのか覚えていない」というのである。妻は本当に覚えてないようだった。それが何か変だなという始まりだった。

二学期に入ると、妻はみるみる元気を無くして行った。家と学校を往復するだけで何もしない。しゃべらないし、化粧もしない。家でボーっとしているだけである。顔色もひどく悪い。ちょうど田舎から母が上京してきて、「H子さんおかしいよ。どこか悪いんじゃないの」と言う。わたしは自分が解放感にひったっている間に、妻には大変な負担がかかってこうなってしまったと考えると、妻が可哀相で痛ましくてならなかった。

それでまず下の子の通っている保育園を家の近くに変えて、わたしが自転車で送り迎えすることにした。家事や雑事はできるだけわたしがやるようにした。妻の負担を軽くしてあげて、わたしは彼女に絶えず話し掛けた。
「ぼくは、あなたのことを愛している。本当に愛しているんだよ」
彼女が病気の間、これしか言わなかった。

妻は次第に良くなっていった。治っていく途中で彼女は言った。「あなたのことなんて、どうでもいいと思った。でも、そうじゃないってことがわかったわ」わたしは改めて自分が解放感にひたっていた時、妻がどんな思いをしていたか知った。わたしはその時、本当に妻をいとおしいと思った。

わたしたちはまた愛し合える夫婦になった。愛するというより、お互いを想い合えるようになったというのが正確かもしれない。妻は数ヶ月ですっかり元気になった。

この時は大変な思いをしたけれど、逆に妻の変調がわたしたちの愛を回復させてくれたともいえる。あのままのほほんと解放感にひたって、なにもせずにいたら、妻はわたしのことを「どうでもいい」と思うだけでなく、憎み始めたかもしれない。相手のことを想い合わなければ夫婦というこころの絆はほどけてしまうのだと思った。


梅香彰「哲学の本」から



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遠藤周作の「仲人は慎重に選べ」



長ったらしく、常識的に教訓めいたスピーチ。新郎のことより、新郎の会社の宣伝をするスピーチ。悲劇的な声をだして、新婦の学生時代を褒め称える女教師のスピーチ。これらはパターン化しており、「また・・・か」、とため息をつきたくなるものが多い。結婚式の披露宴のスピーチは1分以内にして欲しいものだ。

私の息子の披露宴には、仲人も最初のスピーチも友人の作家に頼んだ。仲人は三浦朱門、スピーチを阿川弘之にお願いしたのである。作家ならばくだらない説教スピーチや偽善的スピーチはしないだろうから、こちらも気恥ずかしい思いをしないと考えたからである。

ところがこれが大失敗であった。

まず仲人の三浦朱門は、新婦の身の上書きをみもせず、マイクの前でいきなり、新郎の父である私の悪口を言い始めた。
「新郎の父、遠藤周作はクワセものであります」
嫁側のお客のほとんどは堅気のまじめなかたたちである。こんなスピーチは初めてだったに違いない。

「新婦は、○○学園の卒業生で、この学校はうちの女房(曾野綾子)もでた学校ですから、よく知っていますが」
と身の上書きをめくって、突然
「うちの女房でもよくわかるように、この学校の卒業生にはバカが多いのです・・・・」

末席で私も女房も愕然とした。あとできくと、さすがの三浦朱門も、自分が、とんでもがないことを口にだしたことに気づたそうだ。瞬間彼の頭にカッと血が上り、新婦側の家族の紹介をするのもすっかり忘れ、
「新郎の父、遠藤周作とは長い付き合いですが、この男はまったく仕方のない男でありまして・・・・」
とあらぬことを言いつづけた。

次に最初のスピーチを頼んでおいた阿川弘之が立ち上がった。彼がこの日のスピーチのため一ヶ月ものあいだ想を練り、前もって聞かされていたから、私はたった今の三浦のあまりに無茶苦茶な挨拶の名誉回復を阿川がやってくれるものと期待した。

しかし彼がおもむろに封筒から取り出して読み始めたスピーチは、三浦のそれをはるかに上回る酷い内容だった。

「・・・驚いたのは、祝辞の内容に細かな指示を与えられたことであります。お願いするといいながら、一方でこれを喋れと指示するのは、常識からすれば、かなり無礼なことではないでしょうか。どのような指示を与えられたかと申しますと、『結婚式て、ホンマにえらい金がかかるもんやで。おかげで俺は、引き受けたくもない講演引き受けて、披露宴の費用稼ぎに街から街へ村から村へ、山から山へ、日本中飛び回っている。お前、スピーチに立ったら、皆さんのお飲みになるそのスープも、お食べになるそのロースとビーフも、デザートのアイスクリームに至るまで、遠藤周作の血と汗の結晶ですと、よう分かるようにはっきり言うてくれ』」

私はスミのほうでもうポカンと口を開けて友人の姿を見ていた。たしかにそれに似たような話は冗談として言った覚えがある。しかしまさか本式の披露宴でそれを披露するとは思わなかった。

息子の結婚に友人の文士に仲人をたのみ、スピーチを依頼したため、折角の披露宴はめちゃくちゃになってしまうとは思わなかった。

皆さん、どんな事が合っても、小説家を仲人にしてはいけません。小説家に披露宴のスピーチを頼んではいけません。


遠藤周作「眠れぬ夜に読む本」から




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こんな女に誰がした



私の研究室にはたくさんの女性が相談しにきます。相談の内容は、心が満たされない、さみしい、一人の男性では満足できない、セックスがいや、男と長続きしない、親友がいない、彼と一緒にいてもさみしい、浮気された、殴られた、別れたい、離婚したい、親に結婚を反対されている、、、など多岐にわたります。しかし、よく聞いてみると、皆同じで、要するに恋人(彼)との間に愛と信頼がない、という悩みなのです。

自分の恋愛に不満をもつ女性に共通していることは、やることが派手な人ほど、(たとえば、不倫やテレクラや援助交際などをする人ほど)、心は満たされていないということです。換言すれば、何十人との男性とセックス経験がある人ほどセックスに不満をもっている、ということです。つまり、男性不信が強い人ほど、セックス依存になっているということです。

***


娘と父親は、親子というよりも恋人に近い関係です。娘は幼少時、父親が男性であることを意識して好きになっている時期があるのです。

女性というものは、無意識のうちに恋人と自分の父親を比較しているものです。、父親に似ている人を女性は探しているのです。気がついている女性は、あまりいませんが、自分の父親が結婚相手を決めるときの基準になっているのです。

しかし、その父親がダメパパですと大問題です。なぜなら、ダメ男に魅力を感じてしまうからです。魅力を感じる男性と、結婚して幸せになれる男性が、ズレてしまう原因がこれです。

ダメパパと似た人と結婚してしまうのですから、自分の親の夫婦関係と、自分の夫婦関係とそっくりになってしまいます。母親と同じ悲しみを味わうことになるのです。たとえ、今、父親を毛嫌いしているとしても、女性の心の中では、しっかりと父親が理想の男性像になっていたことがあるのです。幼少時に父親に恋をしたからです。

皮肉なことに、当の女性は、意識の表面では父親と正反対の男性を選んだつもりになっています。でも、実際には、父親とダメなところがそっくりな男性を選んでいることが非常に多いのです。

自分では絶対に父親と違うタイプの人を選ぶと豪語している人ほど、なぜかそういう罠にはまってしまいます。


「女は男のどこを見ているか」から




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のび太の結婚前夜



女性にとっての最高の悦びは、いかに質の高い愛をもらえるか、ということです。女性が男性を見るとき、誰が純粋に自分の幸せを願ってくれる人か、誰が下心なしに親切にしてくれる人なのかをチェックしようとします。

要は、誰が一番高い愛を与えてくれるか、女性は考えているのです。だから、女性は悩むのです。プロポーズされたとき、もっといい男がいるのではないかと思い、「本当に彼でいいのだろうか」と不安になるのです。

女性にとっては、同じことをしても、そばにいる男性が違うと、そこで得られる悦びが何千倍にも違います。同じ食事をしても、同じ夕陽を見ても、そこで得られる悦びが何千倍も違うのです。だから女性は必死になって、一緒にいて楽しい男を探すのです。

たとえばA君とB君とそれぞれ同じところに旅行にいったとしましょう。それが、まったく同じツアーの旅行だったとしても、A君と行った場合は、B君より何万倍も楽しく気持ちのいい旅行になるのです。換言すると、十万円の旅行が何千万もの価値のある旅になったり、逆に、人が違えば千円程度のつまらない旅になったりするのです。

***


『ドラえもん』の主人公、のび太くんは、将来、しずかちゃんと結婚することになっています。しかし、のび太くんはあの通りの頼りない男性ですから、しずかちゃんは、結婚前夜に迷います。そして、彼女はお父さんの部屋にいき、聞くのです。

「お父さん、私の結婚はまちがっていたのかしら?」
すると、しずかちゃんのお父さんが答えます。

「いや、君の決断はまちがっていなかったと思うよ。なぜなら、のび太くんは、人の幸福を願い、人の不幸を悲しむことのできる人間だ。人間にとってそれが一番たいせつなことだからね」

お父さんは、のび太くんの給料が20万円だとしても、それは200万、2000万の給料を得ているのと同じ価値がある、といっているのです。20万円の旅行がのび太くんと一緒なら2000万もの価値があると評価しているのです。

しずかちゃんのお父さんは、のび太くんと結婚すれば、悦びと感動の人生になる、としずかちゃんに諭しているのです。



「女は男のどこを見ているか」から



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ワンダフル・ワンダー



グラミー賞会場であるLAのシュラインオーディトリアム。この中東のモスクを模した劇場の楽屋でスティーヴィーワンダーに独占インタビューが出来る確立は98%だ、というのが日本を出る前の、僕に伝えられた情報だった。

コーディネーターのイェンが「スティーヴィーは本番15分前の4時45分に客席に入る。会場入りはその20分前だから、その間にインタビューはOK」という情報を伝えてきた。カメラマンのダンとインタビュー場所を決め、カメラとVTRを据え待った。ところが予定の時間を過ぎても、スティーヴィーは楽屋口に姿を表さない。それどころか、客席に入っていなければならない4時45分になってもまだ来ないのである。

ついに時計は5時を打ち、オープニグアクトのヒューイ・アンド・ザニューズの演奏が始まってしまった。もはやインタビューなど出来る状況ではなかった。こりゃ、諦めだな、と思った僕は、楽屋を離れて共同インタビュー場に戻り、中継モニターを眺めることにした。

やがてモニターが、スティーヴィーの唄う「I JUST CALL TO SAY I LOVE YOU」を映し出した。いい歌だ。すごい歌唱力だ。歌が終わって、フランス人の記者を話をしているところへ、イェンが駆けつけてきた。顔色が変わっていた。頬が真っ赤になっていた。

「すぐ来て!スティーヴィーが、次のセッションの出番までの20分の間に5分間なら時間をあげるといったのよ!」




ダンがすばやい動作でビデオカメラを三脚からとりだし、ADのステーブが中継ケーブルを巻いて肩に担ぎ、僕はハンドマイクを引っこぬいて、皆がカールルイスよりはやく走り、スティーヴィーの楽屋に向かった。

そうして1分後には、僕はスティーヴィーと握手をしていた。彼は握手した手を、そのまま僕の手首まで伸ばし、2日前に我が家で飼い猫に引っ掻かれた傷のかさぶたを探り当てて「へぇ、君も猫を飼っているの?」と言った。その一言で、今までの苦労や心配やストレスが全部吹っ飛んだ。この人は、思っていた通り、良い人なんだと分かって、とにかく嬉しかった。

僕はスティーヴィーの肘に手を添えてソファに座らせ、インタビューを始めた。自分で声が上ずっているのが嫌というほど分かった。

だけれど、僕にはもう一つやらなければならないことがあった。日本を出る前に、当時僕のやっていたTBSのラジオの深夜放送で「スティーヴィーにあったら、彼が持っているなにかを視聴者プレゼントとして貰ってきます」と公言してしまっていたからだ。

だが彼はノミネートされた3部門のうち2つを既に逃してしまっている。この情況で「僕のやっているラジオ番組のために何かプレゼントをください」とはとても切り出せない。



仕方ない。盗もう、と決意した。

彼に迷惑が掛からないようなものを、この楽屋から、かっぱらおう。マイクを突き出し、質問をしながら、僕は楽屋中を見まわした。失礼だけれど、相手が目が見えないのを幸いに、そういうことをした。

衣装をかける棚が眼に入った。スティーヴィーが着ている白いタキシードがかけてあったと思われる赤いプラステックのハンガーがあった。これだ!おそらくは彼がタキシードをかけて自宅から持ってきたと思われるハンガー。きっと日本の視聴者が喜んでくれるだろう、馬鹿馬鹿しいけど、だからこそ価値の或る代物。

僕はインタビューをしながら、左手を背後に伸ばした。事情を知らないダンが、カメラのファインダーから目を離して、ビックリした顔で僕を見た。声は出さずに黙れ!と合図した。

体をこれ以上捩れないという位、不自然にひねって、さらに手を伸ばす。ハンガーに手が触れた。今しかない。インタビューが終われば、マネージャーを初めとする大勢の人がこの部屋に入ってきてしまう。そうなればもう盗むチャンスはない。そっとハンガーを持ち上げる。カタン、と小さな音がして心臓が口元まで飛び上がってくる。



しかし、スティーヴィーは気がつかないようであった。ハンガーを手元に寄せようと無理な姿勢のままあいづちをうつ僕の言葉に、体の位置が代わったのを察し、ちょっと顔の角度を曲げただけだった。

僕は彼にとってグラミー賞がどういう意味を持ったアワードなのかを、質問し、それに答えてくれている間にハンガーは僕の膝の上に乗っていた。

5分の約束が10分を超えたとき、マネージャーが扉をノックし、ハンガーは僕のジャケットの下、背中の部分に納まっていた。インタビューは終わり、みんなが部屋に入ってきた。

僕はステーヴィーに感謝の言葉を告げ、もう一度握手を求めた。スティーヴィーは温かい手で僕の手のひらを包み込みながら、耳元に顔を寄せて小さな声でささやいた。

「そのハンガー、もっと欲しければ、JCペニーで一本98セントで売っているからね」


景山民夫「世間はスラップステック」から





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スチュワーデスの告白



私が新人の頃の話です。ボーディング中に、ビジネスマンが手招きするので行ってみると、
「まごころありますか」
と、いうではありませんか。驚いたのなんの、固まってしまった。すると、
「まごころだよ、まごころ」
と繰り返す。どう切り抜けるべきか、頭をフル回転させた結果、
「まごころは、私の胸の中のございます」
自分の胸に手を当てながら笑顔でそう答えた。しかし、お客さんは怪訝な様子で顔をしかめている。
「私なりにまごころをもちまして精一杯おもてなしをさせて頂きます」
こうも付け加えて窺ったところ、いきなり吹き出して、
「君、そのまごころじゃないよ。僕が言っているのは、雑誌の名前。まごころという雑誌があるんだよ」
「・・・。ま、まごころは、ございません」
周りのお客さんも失笑していた。私だけが、依然硬直したまま、笑っていなかった。汗




機内で宇宙人に出会うことがある。宇宙人をはイヤホンを上下さかさまにつけちゃっているお客さんのことです。まじめな顔をして、頭のてっぺんからコードをだらりとさせているのは、すっごくおもしろい。視界をさえぎるのか、しょっちゅうコードを後ろにやろうとするさまは、一昔前のラーメンを食べるワンレングスの女性みたい。吹き出しそうになるのを堪えるのが大変。

また、後ろ側につけている人もいる。左右の耳からくるコードの合流地点が頭の真後ろにくるわけだ。それで不快そうにしているから、
「お医者さんみたいに、こうするといいいですよ」
ちゃんと指摘してあげます。必殺の接客用語「お医者さんみたいに」を使うのです。

さらに、不思議なことがあるものです。本当に不思議に思えてならないのですが、イヤホンをまっすぐに地面と平行につけているお客さんもいるのです!視界の中心に線が一本できるわけなんですが、嫌じゃないのかしら?・・・・これは謎です。観察してみたのだけど、ちょっとでも下がってくるとわざわざちゃんと直すのよね。・・・・。何で?




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ろしいとか、悲しいとか、不愉快だとかそういう言葉では言い表せない妙な気分。自分の理解の範囲外にある事件に遭遇したことはないだろうか。ぼくの場合は一度だけある。大学へ通っていた頃の話だ。

夏休みに入る前日だったと思う。ぼくは珍しく教室にいた。老教授の講義をききながら、扇子替りにノートで顔を扇いでいると、背中をつつかれた。

Sという女子学生だった。挨拶を交わす程度の仲なので、ちょっと意外な感じがしてぼくは、
「なんだよ」
と半ば警戒した声で訊いた。
「明日、暇?」
「明日、どうして?」

「バイトを頼みたいの。力仕事らしくて。でもペイはすごくいいのよ」
「何で俺に?」
「体が大きくて、逞しい人がいいんだって」
「へんなことされるんじゃないだろうな」
「バカね、違うわよ」
「なら考えてもいいよ」
「じゃ、授業の後で」

そんな経緯で、授業の後、彼女と話し合った。
「雇い主は私の伯父なの。昨日急に電話があって、男の子を一人紹介してくれないかって」
「で、何をすればいいの」
「それが良くわからないの。庭をいじって欲しいっていってたから、なにか重いものを動かすのかも。とにかくね、3時間ぐらいで、5万円なんだって」
「冗談だろ」

五万円といえば、ぼくの一か月分の仕送りと同じ額だった。
「本当よ、金持ちなの」
「やる、死んでもやる」

これは本当に悪くないバイトだぞとぼくは思った。





日、ぼくとSは、都内でも高級住宅街のある駅で待ち合わせをした。
改札口にたっていると、わけもなく腹立たしい気分になった。そこは選ばれた人だけが住む街だった。

五分ほど遅れた電車でSは来た。7月の日差しの中、ぼくらは並んで歩き出した。なかなか話題が見つからなかったのは、彼女が美しかったからかもしれない。

「こういう街は苦手だな」
ようやく口にした話題はそんなことだった。
「そう?変わってるのね」
「大分、歩くのか?」
「ううん、すぐよ。あらもう見えるわ」

彼女が指差した先には小さな森が見えた。そしてその森の中に、洋館の屋根らしきものが覗いていた。

「広いな。公園みたいじゃないか」
実際その敷地は小学校の校庭ほどもあった。門の前に立つと、うっそうと繁った林の数十メートル先に洋館が見えた。
「いったい、どういう商売をすればこんな家が買えるんだ」
「伯父さん、バイク屋の親父よ」
「嘘つけ」
「本当よ。日本中に50店舗位チェーン店があるのよ」

Sは鉄の門を開け、先に入っていった。ぼくはおどおどと後に続きながら、
「悪党だな。間違いない。バイクを盗んじゃ、売り払っているんだろ」
「かもね。でも私には優しいのよ。子供がいないせいかもしれないけど」

林を抜ける間中、せみしぐれがぼくらの頭上に降り注いだ。洋館が見えてくる。かなり大きな建物だ。

林が切れたところから芝生が広がり、そのの先にタイルを敷いたテラス。ブールサイドでよく見かけるパラソルがあって、その影の下にSの伯父らしき人物が腰掛けていた。




「伯父様。連れてきたわよ」
Sはその人物に向かって駆け出した。彼は腰掛けたまま、Sを迎え、うれしそうに、やあ、といった。年の頃は、55,6といったところか。

「どうも」
ぼくは我ながら不器用に挨拶し、パラソルの中に入っていった。

「彼、恐がっているのよ。アルバイトの内容も分からなくて」
Sの伯父は鷹揚にうなずき、それは失敬したと言った。

「なに。簡単なことだよ。そこに穴を掘ってもらいたいんだ」
彼の指は芝生のほぼ中央を差していた。

「穴、ですか」
「そう。そこにあるスコップで穴を掘るだけだ。そうだな・・・・横1メートル、縦二メートル。深さは1メートル半あればいい」
「それで5万円ですか?」
「なんだそんなことなの?」
Sもさすがに意外だったらしく、素っ頓狂な声を上げた。
「じゃあ私が掘ってあげたのに」
「おまえも手伝いなさい。ちゃんとバイト料は二人分だすから」

「そんな穴、一体なんに使うんです?」
ぼくの問いかけに、彼は困惑したような笑みを漏らした。
「それは掘ったあと教えてあげよう」

まったく奇妙なバイトだった。7月の太陽が照りつける中、ぼくとSは必死で穴を掘った。二十分ほどでSが音を上げた。スコップを放り出し、伯父のいるパラソルの方へ歩き出した。

「休んでろよ。俺は終わらせてから休む」
ぼくはそう言った。とにかく、こんな気味の悪いバイトは早く終わらせてしまいたかった。




くはただ黙々と、土を掘った。一時間もしないうちに、指定された大きさの穴が掘れた。ぼくは額の汗を拭いながら、
「これでいいですか」
と訊いた。日に焼けたのか、肩や背中がひりひりする。

Sの伯父は満足そうにうなずき、大変結構だと答えた。そしてゆっくりと立ち上がり、洋館の脇にあるガレージへ消えた。

その後ろ姿を見送りながらぼくはパラソルの影に入り、Sの隣のデッキチェアに腰掛けた。ぼくはSが持ってきたコーラを一気に飲み干した。すっかり温くなっていたが美味かった。

と、ガレージからSの伯父がバイクを押して現われた。ぴかぴかのCBフォアだ。彼はガレージ脇で力を溜めるように姿勢を低くし、それから勢いをつけて芝生の上を小走りにそのバイクを押してきた。

「あっ」
ぼくの隣でSが叫ぶのと同時に、CBフォアはぼくらの掘った穴に転落していた。Sの伯父は穴の脇に立って、肩で息をしている。
不思議な光景だった。

「さあ、今度は埋めてくれ」
やがて彼はぼくらに背をむけたまま、そう言った。その言い方には、有無を言わせない調子があった。

「どうして、そんな・・・・?」
Sが訊くと彼は首を振り、
「いいから埋めてくれ」
そう呟きながら、ガレージへ消えた。




局、その後ぼくらは二人してCBフォアを埋めたのだが、あの時ほど言葉では言い表せない妙な気分を味わった経験はない。

もちろんバイト料は言われたとおりの額を受け取った。CBフォアを埋め終えた後、Sの伯父から夕食でもどうかと持ちかけられたが、ぼくもSも断わった。一刻も早くその場を立ち去りたかった。

しかしそれから三ヶ月ほどして、ぼくはもう一度"言葉で言い表せない妙な気分"を味わうことになった。

「伯父が亡くなったの」
とSから告げられたのだ。訊けば癌だったという。
「多分、前から知っていたんだと思うわ。あの時も・・・」

Sはそういって悲しそうな瞳でぼくを見た。

そう、多分Sの伯父もぼくと同じく"言葉で言い表せない妙な気分"だったのだろう。そういう気分がずぅっと長い間続いた末に亡くなったんだろう。

そんな風にぼくは思った。



原田宗典「夏を埋める」から






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男性にモテる方法



世の中の女性の多くは男性について勘違いしていることが一つあります。

男性は理想の女性像を尋ねられると、たいてい優しい人、女らしい人と答えます。そうすると女性はそれを間に受けて、優しくすれば男性から好かれ、女性らしくおしとやかにすればもてるんだと勘違いしてしまうのです。

ところが実際に男性が、優しくて女らしいと思っている女性は、誰だと思いますか?

それは自分のお母さんです。自分が間違ったことをしたときはそれが間違いだと教えてくれたり、言うことを聞かないと叱ってくれたり、おこづかいを使いすぎると叱ってくれたり、そういう人を優しくて、女らしい女性と言っているのです。

結婚をすると、男性は自分の奥さんをお母さんと呼んだり、ママと呼んだり、おこづかいをねだったりします。だから、あなたが、本当に男性からもてたいと思ったらお母さんになったつもりで、愛情を持って彼の悪いところや、いけないところをドンドン注意してあげてください。本当はそんな女性を男性は、待っているのです。

ところがたいていの女性は、好きな男性の前に行くと、まったく正反対のことをしてしまいます。だから、好きな人から好かれないのです。逆に嫌いな人には、今言ったようなことを知らないうちにしてしまい、嫌いな人からますます好かれるという結果を生んでしまうのです。


一見もてそうな女性でもなかなか結婚できなかったり、つきあっても長続きしないでなんとなくフラれてしまう人がいます。そういう人はデートのときどこへ行きたいのと聞くと、「どこでもいい」、何を食べたいのと聞くと「何でも良い」と答えることが多いものです。

当人はおとなしくって、かわいい女性を気取っているのかもしれませんが、男性にとってこんな始末の悪い女性はありません。初めの1回はそれでいいでしょうが、二回も三回もでは、本当に男性は困ってしまうのです。

なぜなら、男性はいつも遊んでいるわけではありません。仕事で忙しかったりして精根尽き果てて休日を迎えるのです。そんなにたくさんのデートコースやお店を知っているわけではないのです。

男性が求めているのは、自分を導いてくれるお母さんなのです。せめて自分の食べたいもの、自分の行きたいところぐらいはっきりさせてください。

もてない女性が目指しているらしい女性らしい女性とは男性から見たら、ただのお荷物なのです。


『ヘンな人が書いた成功法則』
―斉藤一人





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幸せになる方法



キリストが弟子たちに話した言葉の中で、一番難解といわれているのが、
「持てる者にはさらに与えられる。ない物からはさらに奪われる」
という言葉です。

この言葉を簡単にすれば、
「豊かさを持っている人間にはさらに与えられ、豊かさのない人間には、たった一つしかないものまでも奪われる」
ということです。

豊かさのない人は、どんなに才能があったとしても、生きているうちに決して認められることはありません。

画家のゴッホが良い例でしょう。彼は非常に才能豊かな画家でした。しかし、彼は豊かな心で絵を描きはしませんでした。苦しんで、苦しんで、苦しみながら、描きつづけていたのです。苦しんでいる人間が描いた絵というものは、その絵を描いた本人に、豊かさをもたらしてはくれないのです。

だから、彼は、生きているうちは誰からも認められませんでした。豊かにもなれませんでした。


人間は苦しんではいけないのです。
あなたは苦しんではいけないのです。

あなたが苦しむことによって、あなたのその苦しみから、新たな苦しみが生まれるのです。

この世の中でまず自分の幸せについて考えてみてください。

あなたが不幸なままで、ほかの誰かを幸せにしてあげることは不可能です。まず、あなたが幸せになることです。それで、ほかの誰かが幸せになるのです。

人間は、他人を不幸にするための努力をする必要はありません。人を幸せにする努力が先なのです。

幸せなあなたが人を幸せにできたとき、あなたの幸せは倍になります。人の役に立つのが楽しくて、毎日楽しくてしょうがなくなるのです。



『ヘンな人が書いた成功法則』
―斉藤一人


→参) 幸せの考えかた

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「あのぅ、『走れメロス』って恥ずかしくないですか?」

バーの止まり木の僕の隣の男が言った。身も知らない男である。僕は、先刻から顔なじみのバーテンダーや、この店で知り合いになった数人の客達と、"恥ずかしい話"をしていた。

例えば、青森出身のある歌手が、まだ売れない頃に上野の喫茶店でウェイターのアルバイトをしていて、お客がウィンナーコーヒーを注文したんだそうだ。ところが、彼の知識の中にはウィンナーコーヒーという代物がなかったんだな。で、しばし考えて彼は近所の肉屋に走ってウィンナーソーセージをね、それもパック入りの奴さ、買ってきて、コーヒーに添えて出したんだって。

なるほど、そりゃ恥ずかしいな。同じような話で岐阜の田舎から上京したばかりの男がね、ほらあの漫画家のあいつのことさ、あいつがさ、高円寺あたりに下宿して近所のラーメン屋で三度の食事の殆どをすませてたそうなんだけど、壁に貼ってある品書きの中で、どうしても理解できないのがあったわけですよ。それは"餃子"という文字だったんだけどね。約二週間、彼は悩んだというね。しかし、彼はその未知の食べ物を口にしようと、ついにある決意をして、ラーメン屋のカウンターにつくやいなや言ったのだそうだ。
「あのサメコ定食ひとつ」

うーむ、それも恥ずかしいな。あと、ホラ、僕の友人で放送作家のTなんかは、裕次郎や小林旭の映画のファンだったんだけど、それは中学生の頃なんだけどさ、近所の中学の生徒と喧嘩するはめになってサ、決闘状を送ったまでは良かったんだけど、決闘の場所に親父の背広着込んで、ついでに兄貴のギター背負って登場しちゃったエピソードなんかも実にどうも恥ずかしいな。

いや本当は僕もやったことがあるんだ。小学六年の頃、山梨の甲府にいてね、もう嫌で嫌で仕方がなかったんだ。東京に帰りたくてね。それで六年の三学期に父親がまた転勤になって東京に帰れたんだけど、卒業式だけは甲府の小学校にでなきゃならなくってね。でも東京に戻って3ヶ月暮らしたあとだから、もう絶対にあいつらなんかと同化したくない。そこで、一人で汽車に乗って日帰りで甲府に行くのに、兄貴のトレンチコートと叔父さんのソフト帽をかぶっていっちゃったんだ。小学校六年生がトレンチにソフトだぜ。

あはは。そりゃ恥ずかしいや。背伸びをしているのを後から振り返ると恥ずかしいわけだ。たしかに明治時代の洋装がどうにも恥ずかしいし、60年代のアイビールックというのも、今にしてみれば相当に恥ずかしいぜ。でも、エコールドパリの時代のレオナルドフジタは恥ずかしくないね。

そうなるとね、40歳過ぎの編集者がいった。自分の内なるものをさらけ出すときに、それが確固たる信念に基づいているかによって、恥ずかしさというものは決するんじゃないか。

いやそれは違うよ、と僕。その確固たる信念がそいつのひとりよがりだったら、こりゃもう、このうえなく、恥ずかしいんだもの。

そこで、ふと皆の会話が途切れた。酒場の中に妙な静けさが漂った。バーテンダーが、カセットテープまで終わってしまっているのに気づいて、ひっくり返そうとイジェクトボタンに手を伸ばしたときに、今まで一言もきかずにカウンターの隅で水割りのグラスを口に運んでいた男が言ったのだ。

「あのぅ、『走れメロス』って恥ずかしくないですか?」

絶妙のタイミングだった。ううむ『走れメロス』は、そういわれてみると実に恥ずかしい。純文学というものが、そもそも相当恥ずかしいのだが、『走れメロス』は、それの上をいっている。太宰治という人間よりも、もっと恥ずかしい。教科書にのっているということも恥ずかしい。それを読んで感動しそうになった中学生の自分も恥ずかしい。



景山民夫「世間はスラップスティック」から




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心がついてからこっち、涙を流したことなんて二回しかない。本当さ。

一回は小学校6年の時。結構、本気で集めていた切手帳を、教室で盗まれちゃったときのことだ。今考えてみれば、使用済みの切手ばかりでケチな内容なんだけど、当時はまだ子供だったしね。本当にがっくり来て、自分が可哀相になって泣いちゃったんだな。

二回目は十七歳のときのことだ。いい年こいて、恥ずかしい話だけど。その時のことを話すよ。

ぼくの父親は救いようのないロクデナシでね。根っからの博打打ちなんだ。今時、珍しいと思われるかもしれないけど、本当さ。といってもヤクザ屋さんじゃないよ。一応カタギで、セールスマンをやってた。セールスするものは、その時どきで入れ替わり立ち代りするんだ。百貨辞典を売り歩いていることもあれば、ミシンを売っていたり、医学関係のビデオを病院に売りつけたり、まあ色々さ。

ぼくが中学の時には、インチキ洗剤をセールスして大もうけしたこともあった。これが、いわゆるネズミ講でね。けれど本当にウマイ話なんて世の中にはないのさ。結局、損をした会員たちが騒ぎ始めて、儲けた連中はオヤジを含めて世間から袋叩きにあって、もうケチョン、ケチョンだよ。その後、オヤジは競馬や競輪の違法仲介のノミ屋を始めるんだけど、そんな生活を繰り返していたおかげで、家の中はすっかり暗くなっちまった。

毎月末には借金返済を迫る電話がガンガン掛かってきたし、ヤクザ屋さんも取り立てにきたりさ。もう本当に参ったよ。それでもオヤジは博打を止めようとしなかった。そのうち麻雀に出かけるようになり、家にもあまり寄り付かなくなった。





ヤジが不在がちになり、稼ぎを入れなくなると、仕方なくお袋は給食センターみたいなところへ働きに出るようになった。家にはぼく一人だけがいるみたいな状況だ。そんな毎日のなかで、ぼくの唯一の楽しみといったら、バイクに乗って当てもなく走り回るくらいのことだった。バイクといっても小型の80ccでさ。ヤマハのミニトレっての。高校二年のとき、一夏つぶして懸命にバイトして買ったのさ。青果市場から駅まで、トラックに積んだ桃を運ぶっていうバイトだった。

ありがたいことにお袋は、ぼくが自分で稼いだ金の使途については何も意見しなかった。ちょっと後ろめたかったけどさ。何しろ十七歳だったからね、ひとつくらい自分の楽しみがないと、気が狂いそうだったんだよ。

そして、高校三年の夏。ぼくはミニトレのシートにでかい箱をくくりつけて、お中元を配達するバイトをしていた。このバイトは桃運びに較べると、ペイも良かったし、何しろバイクにのることで金になるなんて夢みたいな仕事さ。

この夏家のほうは相変わらずでね。お袋は毎日朝から夜中まで給食センターだし、オヤジの奴は7月半ばから一度も姿をあらわさなかった。





月になって、ぼくは夏の間に稼いだ金をお袋に見せ、使ってくれと申し出た。別に親孝行気取ってるわけじゃないよ。いつもお袋が働いているのに、自分だけがミニ乗ってフラフラしてる後ろめたさがあったからさ。

でもお袋は純粋に親孝行と受け取ったらしくてね。大変な喜びようだった。赤ん坊みたいな笑顔でさ。あんなお袋みたの初めてだよ。ところがお袋の奴、さんざんにハシャイだ末にこう言うんだよ。「ありがとう。でもこのお金はあなたが使いなさい」ってさ。

これにはぼくも驚いたね。まったく予想外だったんで、しばらく唖然としちゃったよ。お袋はお金の入った封筒をぼくの手へ握らせて、うれしそうに何度もうなずきながら台所へ引っ込んじゃった。
そしていつも通りにぼくの夜食を作りながら、何を思ったか、
「今度の日曜日、二人でどこかへ遊びに行きましょうか」
そんなことを言うんだ。

ぼくは少々面食らった。だって格好悪いじゃないか。いい年こいてオカアサンと一緒なんてさ。だから最初は「よせやい」とか言って回避しようとしたんだけど、意外にもお袋は執拗だった。あんまり言うもんだから、
「そんなこと言ったって、どこ行くのさ」
と訊き返すと、しばらく考え込んだ後に、
「動物園がいいな」なんて子供みたいなこと言うんだ。
「あなたのほら、オートバイで行きましょうよ。後ろへ乗れるんでしょう?そうすればバス代だって浮くし」
「ミニトレに?お袋と二人乗りかよ!」
あまりの提案に、ぼくは大笑いしてしまった。ぼくはさんざん笑って、赤面し、何度も断わった。けれどお袋はどうしても動物園に行くって言い張るのさ。

考えてみれば、お袋は昔から動物が好きでさ、犬とかネコとかをいっぱい飼いたいっていつも言ってたんだ。だけどぼくの家は犬猫ご法度のアパートだしさ。しかたなく、お袋はインコや金魚を飼ってたんだ。

だから、まあ動物園に行きたがる気持ちもなんとなく分かるじゃないか。可哀相なんだよ。毎日毎日何の楽しみもなく給食センターで働いてさ、皿洗いのやりすぎで指紋がなくなっちゃうほど頑張ってるんだから。
「しょうがねぇなぁ」
だから最後には、ぼくのほうが折れたのさ。恥ずかしいのを我慢して、お袋の奴をちょっとだけ喜ばしてやろう。そう思ったんだ。




んな経緯があって、次の日曜日。ぼくとお袋は連れ立って動物園に出かけた。ホント恥ずかしくて死にそうだったよ。動物園に車での二人乗りも恥ずかしかったけど、弁当のほうがもっと照れたな。

辺りを見渡すと家族連れはたくさんいたけど、ぼくらみたいな組み合わせは他にはいなかった。なのにお袋の奴はウキウキしちゃってさ、「たまご焼きも食べなさいよ」とか「こっちがシャケで、こっちが梅干」とか大声で言うんだ。ぼくはわざとふさぎこんで、不機嫌な表情でもくもくと食った。そうでもしなきゃ、この気恥ずかしさに耐えられそうになかったのさ。

ところが昼飯を食い終わってお茶を飲む頃になると、今度はお袋のほうが、不意に黙りこんだんだよ。どうしたのかな、と横目で様子を窺うと、お袋はちょっと目を潤ませていた。そしてゆっくりした口調でこう言ったんだ。

「お父さんとね、私、離婚したのよ。7月に」
ぼくは飲んでいたお茶を止めて、お袋の横顔を見つめた。
「・・・これはね、男と女のことだから。分かってくれるわね。あなたになかなか言い出せなくて困ってたんだけど。平気よね。あなたもすっかり大人になって、お父さんの代わりに稼いだりしてくれるものね」
そこまで話すとお袋はぼろぼろ涙をこぼした。

「このあいだあなたがアルバイトしたお金を渡してくれたとき、本当にうれしかった。私、そんなこと全然考えていなかったから・・・。本当に、そんなこと全然考えていなかったの」
お袋は一生懸命微笑もうとし、けれど上手くいかずに顔をくしゃくしゃにして泣いた。





くは何か言ってやりたくて仕方なかったけれど、一言も浮かんでこなかった。何ていうんだろう。お袋が自分の子供のように思えてきちゃったのさ。アルバイトで気楽に稼いだお金のことでこんなに感激するなんて。本当に良いことがずうっとなかったから、この程度のことで泣いちゃうんだよ。

その後、ぼくらは黙って園内をまわった。その時の気持ち、うまく説明できないな。さっきまでは照れ臭くて仕方なかったのに、今度は逆に、誇らしいような気分になっていたのさ。要するにぼくは、お袋に連れられて、動物園にきたのではなく、お袋を動物園に連れてきたんだ。そういう気持ちになっていたんだよ。

ミニトレに跨り、エンジンをかける。サイドスタンドを外して、
「さあ、乗んなよ」
振り向いて、そう言う。するとニ、三歩離れて立っていたお袋は、微笑んで小さくうなずいた。その様子が、妙に老け込んで見える。
「ああ、楽しかった」
お袋はぼくの腰に腕を回しながら、誰にともなくそう呟いた。ぼくは自分のベルトあたりで組み合わされているお袋の手を見た。皿洗いのやりすぎで、指紋もなくなり、ザラザラに荒れた手だ。

それを目にしたとたん、ぼくは声を放って泣き出したくなっちゃたんだよ。色んなことが申し訳なくて、お袋に謝りたくて、胸が詰まったんだ。ごめん、ごめん、って何度も胸の中で繰り返しているうちに、涙が流れて止まらなかった。

カッコ悪いよな。お袋を後ろに乗せて、ミニトレに跨ったまま、泣いているなんて。でもいいさ。ぼくのこと指差して笑う分には、いっこうに構わない。けれど、お袋のことを笑う奴はタダじゃおかない。これはぼくの大切なお袋だ。立派なお袋だ。誰にも文句なんか言わせない。

そんなふうにしてぼくは、十七歳の夏の終わりに心から泣いてしまったんだよ。




原田宗典「ママ、ドント、クライ」より



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私事で恐縮だが、私は昔、マリというネコを飼っていた。

そのころ学生だった私は、狭いアパート暮らしでネコを飼うどころではなかったが、ある日どこからともなく窓の下に現われたネコがあんまり可愛いので部屋に入れてみた。そのネコはそのまま部屋にいつき、いつの間にかマリという名前になった。

夜遅く部屋に入ってみると、たいていマリは私を待っていたし、いないときでも、彼女はじきに台所の窓から戻ってきてニャアニャアと鳴いた。「やっぱり、私がいないと寂しいのね」。私はそれがネコだとはいえ、頼られる相手ができたことでなんとなくいい気分になり、かいがいしくネコ用の缶詰を買い集めたりもしたのである。

ところが、マリを飼い出して半年もたったある秋の夕方、私は「ん?」という光景に出くわしたのである。アパートから百メートルと離れていない肉屋にメンチカツを買いに行った私は、店の奥でマリが座布団の上にちんまりと丸まっているのを目撃したのだ。

「あれぇ。マリ。マリじゃないの!おまえ、なにをしているの。こんなところで」。私は思わずマリに声をかけたが、ピクリとも反応せず、「あたしは、ずっと昔から、ここんちのネコですけど」という態度でそっぽを向いている。

それで勘違いしたのかな、良く似ているけど違うネコなんだな、と思い直し、帰りかけた私に肉屋のおじさんがニコニコしながら声をかけてきた。「このネコ、マリっていうの?うちじゃ、タマって、呼んでるんだよ」

「タ、タマァ・・・」

そうなのだ。マリは、タマさんなのであった。その上あとで分かったことだが、タマさんの本名はルルちゃんという、ネコだったのである。さて、ここで一挙に結論を急ごう。私はマリを飼っているつもりが、マリは私に飼われていなかったのである。

マリはもともと近くのある家でルルという名で飼われていたネコだった。しかし、ルルは、縛られるのがとってもいやな性分だった。ルルの買主がいくら引き止めても「あたしの好きにいたします」と家出を繰り返し、或るときは、タマ、或るときはマリになっていたりしていたのだ。

マリは、自分の好きなときに好きな場所を見つけ、勝手にそこで暮らしていただけのこと。私に飼われていたことなど、一度もなかったのである。

まったくなんというネコであろうか。われわれ人間どもをたぶらかし、愛情をしぼり取っておいて、飽きるとさっさとよそへいく。いきっぱなしならまだしも、気が変わると何食わぬ顔をして戻ってきて、この上なくチャーミングに鳴いてみせるのである。これではジゴロか悪女と同じではないか。

現に肉屋の一件があった翌日もマリは涼しい顔で私の部屋に戻り、さっさとコタツにもぐりこんできたのだ。さて、そのあとみんながどうしたかというと、別に何もしたわけではない。相変わらず、肉屋にはタマさんがいて、本宅にはルルちゃんがいる、というだけのこと。なにも変わらないのである。それで我々人間は十分楽しかったのだ。



岸田優さんのエッセイから




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公園のベンチで座っていると、ガザガザ、妙な音がした。見回すと、後ろにダンボールの箱があり、音はそこからしたようだ。

ガザガザ・・・箱が小さく揺れる。
中を覗くと、小さな子犬が震えていた。

『どうしたの』
子犬はただ震えている。声一つ上げない。
『捨てられたの?』
このやせこけた犬はずっとここに置かれていたのだろう。箱の中には、犬の糞とからからになったパンのようなものが置いてある。

思わず抱きかかえようとしたとき、ふと、小さい頃の記憶がよみがえった。
「どうせ飼えないなら、やさしくしちゃだめよ。犬が期待しちゃうからね」
いつか誰かに言われた言葉だ。アユは手を止めた。
『ごめんね。私も大人に、金で飼われているからね・・・・』

子犬は潤んだ瞳で、震えながらアユを見つめている。吼える様子は全くない。そうする力もないほど弱っているのだろうか。

ダンボールに「パオ」と書いてあった。
『パオ・・・これ、あんたの名前?』

呼びかけても見つめるだけ。
『パオ!・・・吼えなきゃ、誰も気がつかないよ!わかる?』
力なくシッポを振るだけだった。
『ごめんね、パオ。元気でね』
心配だったが、今のアユに飼えるはずもなかった。

その時・・・・

ガサッと音がして、振り向くとパオが最後の力を振り絞るように、ダンボールから顔を出している。パオの開いた口を見た瞬間、
『あっ!』
思わずアユは叫んだ。舌が切れている。ナイフで切り落とされたように、途中から半分なくなっている。吼えなかったのではない。吼えることが出来なかったのだ。


「アユの物語」 より






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