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失恋からの回復 | 彼が一番上にあったから辛かった・・・ |
親の気持ち | ある年齢を迎えて初めて悟ることがある。それは・・・ |
アメリカの日本人の印象 | 「日本には脚(あし)の形が悪い女性が多くないか。もしかして・・・ |
気障なナンパの仕方 | ガラガラの列車でも「この席、開いていますか?」と訊ねて座り、・・・ |
どうして人は死ぬのか | 生きているものは必ず死ぬ。会ったものは必ず別れる(「塩狩峠」) |
宇宙ヤバイ | まず広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。 |
世の病人や不具者 | もしこの世に、不具者がなかったら、人はやさしい心をもたずに終わるのじゃないだろうか(「塩狩峠」) |
失恋 | 昨日、振られました。 まだ信じられません。 |
女という生き物 | うん=いや。いや=うん。たぶん=だめ |
英文の読み方 | 英文は、前のほうから読むのである。 |
恋人を親友に取られたら | それはもう愛ではなく、意地ではないですか。執着ではないですか。 |
セックスは飽きる | 飽きないのは・・・ |
街の灯り | 「街の灯」の最後の有名なシーン、あれはハッピーエンドでなく悲劇だ・・・ |
愛とは疑わないこと | 「信じる」という言葉には疑う余地が残されている。 |
想い出のゲームソフト | 小学生の頃、僕は登校拒否児だった。 |
ドラえもん | なぜドラがカタカナでえもんがひらがななのか |
視聴率 | 関東なら、選ばれた600世帯の中の60世帯がみれば、10%の視聴率になる |
瀬戸内寂聴 | 自分が死ぬより愛する人が死ぬのは辛いこと。でも人間は「忘れる」ということを仏さまから頂くのです |
スタンダール「恋愛論」 | 「旅に出なさい」 |
お金のかからないpresent | 何があっても、どんなことでも、味方になってあげる |
お金のかからないプレゼント
愚痴を反論せずに聞いてやる(しかも真剣に) |
恋愛論
フランスの作家スタンダール。「恋愛論」。
恋人達は、本当は何もないのに、ありもしない美徳を自分の愛するものの中に見出してしまうものである。 だから、いつか我に返りその幻想に気づく。ある人は恋愛が瓦解する。しかし、ある人は、より強い愛の結晶を生み出す人もいる。 恋人達は、一時の熱に浮かされたような恋愛感情を経た後、必ず停滞期を迎える。そんなとき、自分でも説明のつかない行動をしてしまう場合がある。愚痴をこぼしたり、相手に嫉妬したり、失望したり、けなしたり、八つ当たりしたり。。 こうした不安定な時期も、通過せねばならないプロセスなのだろう。相手に冷たしてしまったり、訳もなくいらだったりして、思ってもいないことを口走る。そんな他愛の無い喧嘩は、普通につきあっていれば起こってしまうものである。 だが、致命的な言葉になってしまうこともある。相手に叫ばれてしまう場合だってある。なにもかもが嫌になってしまうのである。 「もう別れるわ。わたしが悪いのよ。理由は聞かないで」。 手がつけられない状態だ。彼女は本当の本心からこういっているのだろうか。別に他にに好きな人がいる様子はない。こういう時、この恋愛に終止符をうつべきなのだろうか。
スタンダールはこう言う。「旅に出なさい」。
それは、時間を置いて考えなさいという意味だろう。解釈を広ければ、その間に別の異性を知ってみなさいという意味なのかもしれない。 いずれにせよ、頭を冷やしてもう一度考えてみれば、相手がどんなに自分にとって必要な人間か(もしくは不必要な人か)改めて分かるというものである。 |
■愛するということは、相手が何をして欲しいのかを考えること。 自分の好きなものは相手も好き、そうじゃないの。間違いの多くは、自分がしたいことを相手に押し付けてそれで自分は愛したと思っているんですね。それがわかれば人間関係はスッとうまくいくんです。(愛について) ■今日会えただけど明日は分からない。愛情の出し惜しみをしないことですね。そんなケチケチしないで、今日、愛情のすべてを捧げてあげてくださいよ。 ■自分が死ぬより愛する人が死ぬのは辛いことですよね。でも人間は「忘れる」ということを仏さまから頂くのです。そうやって皆、乗り越えていくんですね。 ■親しい愛する人を亡くされた方、いるでしょう? あんなにいい人なのに、うちの息子はあんなにいい子だったのに、どうしてあんな死に方をしたんだろうと思っていらっしゃると思うの。 しかしそれはね、「定命」なんですね。それは逆らえないものなの。だから、その亡くなった人は定命を全うして死んだと思いなさい。これは初めから定命だったのだと。それから何であんなに苦しい思いをするのって思いますけど、それはその人が悪いことしたから罰にあたった、そんなことでは決してないのよ。 そうじゃなくて、人間はこういうふうに死ぬんだということをその人が示してくれているんだと思いなさい。そうしたら、納得するでしょう。人生には仕方の無いことがあるのね。 だから、みなさんもいつまでも生きていられると思わないで、もう明日はないと思って1日1日を精一杯生きてください。それが悔いの無い生き方だと思います。(定命について) ■自分の幸せだけを考えているだけでは本当の幸せではないんですね。今、一緒に地球に生きているすべての人々が、一人残らず幸せにならなければ、真の喜びというのは得られないのだと、この頃考えます。 |
視聴率
これを調べているのはビデオリサーチという会社です。この会社が、一般の家庭のテレビに特別な機械をとりつけて調べています。 たとえば関東地方だと、1600万世帯から600世帯を選び、その家庭に頼んで機械をとりつけています。ですから、ある番組を60世帯が見ていたら、視聴率は10%ということになります。 でも、調べる対象が少ないですから、やはり誤差はあります。たとえば『視聴率10%』という結果が出たら、実際には、『7.6%から12.4%の間の範囲のどれかであることが、100回のうち95回ある(確率95%)』ということになるのです。 広告を放送するというのは、放送時間のワクを売るということです。企業は商品を売るために、できるだけ多くの人に広告を見てもらいたいと考えます。そこで、視聴率が高い番組のワクだったら、高いお金でも払います。 このほかに、番組と番組の間に、短いコマーシャルが流れることもありますね。これは「スポット広告」といいます。 |
ドラえもん
なぜ、ドラえもんは"ドラ”がカタカナで、"えもん”がひらがなか、ご存知であろうか? 実はこんなエピソード゙があるそうだ。 ある日、ドラえもんは宅配便の受け取りのサインをすることになった。生まれて初めてのサインに、ドラえもんはどうせなら格好いいカタカナで自分の名前を書こうと思った。 しかし、"ドラ”まで書いた時点で続く"えもん”のカタカナがわからなくなってしまったのだ。そのため、残りをひらがなで書いたため"ドラえもん”というカタカナとひらがなが混ざった名前の表記になったそうだ。 |
想い出のゲームソフト
53 名前: NAME OVER 投稿日: 02/07/07 13:54 小学生の頃、僕は登校拒否児だった。 家から一歩も外に出られず、近所の公園で遊んでいる人達の声を聞きながら、毎日毎日ぼーっとしてた。特に理由がなくても突然カーっとなり、しばしば母親に八つ当たりをしてた。叩いたり、物を投げつけたり、家から追い出したりしていた。 あるとき、まだ起きて間もないパジャマ姿の母親にいつものごとく怒りをぶつけた。理由は無かったと思う。ただそのときは、いつもよりもしつこく「家から出てけ!」 と繰り返し言っていた記憶がある。叩きながら蹴りながら、玄関まで母親を追いやり、そして外へ。 「今からゲーム買ってこい。30分以内だからな」 僕は、母親を外に追い出して無茶な買い物を命じていた。30分というのは、近所にあったデパートで買い物するのに、早歩きじゃ帰って来れず走らねばならない、ちょうどギリギリの時間だった。僕はそれを知っていて、30分という制限をつけていたのだ。 「じゃあ今から行ってこいよ。よーいスタート!」 そう言ってチェーンをかけた玄関のドアの隙間から、母親の財布をなるべく遠くに投げた。 そのときに買いに行かせたのがファミコン本体とロードランナーだった。その日の僕は、パジャマ姿でデパートに行った母親の事など微塵も考えず、ただずっとロードランナーをしてた。 それからしばらくは、食事は毎回ゲームをやってる横に置かせ、ひたすらゲームに熱中していた。キャラが死んだときなど、近くに母親が居ようものなら「おまえのせいだ、馬鹿」とか言いながら無抵抗の母親に暴力を振るっていた。 僕が当時持っていたファミコンのソフトは、ほとんどがこんな感じで母親に買いに行かせたものだった。 今はもう普通の生活を送っている。 母親との関係もよく、冗談や皮肉などを言い合える仲だ。 しかしいまだに当時のことを謝れずにいる。上に書いた件以外にも数え切れないくらいの理不尽なことをしてきた。僕はそれら全てについて、覚えているかぎり一件一件謝りたいのだ。 2ch掲示板から |
愛とは疑わないことだ
疑うことと信じることは、表裏一体である。 しかし、「信じる」ということには疑う余地が残されている。あなたを「信じる」と言った瞬間、少し疑っているのだ。 疑う余地が残されていないものに対しては、我々は「知っている」という。例えば「火が熱いことを信じている」とはいわないだろう。 本当の愛の為には「信じる」でもまだ足りず、より強い信頼関係の為には、「疑わない」ことが必要なのだ。 野島伸司「世紀末の詩」から |
「あらすじ」(ネタバレ含む) 悲劇派 VS ハピーエンド派 ある夜、チャーリーは自殺しようとしていた酔っ払いの百万長者の男を助け、助けたお礼に彼からお金を貰う。これで盲目の少女から花を買い援助しようとした。 ところが、百万長者の男は朝、目が覚めシラフになるとチャーリーの事をスッカリ忘れていて彼を追い出し、ヨーロッパへ行ってしまう。そんな時、花売り娘が熱を出して寝込んでしまい、チャーリーは助けたい一心で掃除夫の仕事をはじめる。 娘の家を訪ねると、家賃滞納で立ち退き命令の文書が・・・。手っ取り早く大金を稼ごうとボクサーになるが、あえなく失敗。お金を工面しようと、街をさまようチャーリー。 そこで偶然、あの百万長者と出会う。またしても酔っ払った彼から1000ドルの大金を貰い、娘に家賃と目の治療代として渡す。 数ヶ月たち、チャーリーは、刑を終えて出所した。手術して目が見えるようになった娘は花屋を開いていた。だが娘はチャーリーが自分の恩人であることが分からない。 浮浪者姿のチャーリーを逆に哀れに思い、小銭を与えようとして手が触れた瞬間・・・。その感触で彼女は、はじめてチャーリーが恩人だったことにに気づく。 「あらすじ」終わり |
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■悲劇派の意見 |
■中間派の意見 |
■ハッピーエンド派の意見 ・あの映画の中のチャーリーの願いは、ただ、ひたすら花売り娘が幸せになること、そしてそのためにひたすら無償に尽くすこと、だったと思う。だからその意味ではラスト、彼の願いがかなったわけで、ハッピーエンドだと思う。 ただ、自分の正体を彼女に知られてしまったことは彼の願いからははずれてるから、残酷なハッピーエンドとは云える。 ・ハッピーエンドかどうかなんて次元の話ではないと思う。二人があの後結ばれたのかどうかなんて関係ないだろ。チャーリーは報酬を求めてない真の愛ある人。あのラストの笑顔は、ただ目が見えてくれて良かったという喜びだろう。だから本当に美しい顔なんだ。 その後の二人を現実的に想像するのは邪知ってもんだ。素直にチャーリーは愛しの可愛い人が目が見えるようになって喜んだ。あの子も乞食が助けてくれたのかと、がっかりはせず寧ろ感動するような本当に優しい人だろう。総合的にはハッピーエンドと言える。 ・彼女があしながおじさんのような紳士を慕ったのは金目当てでも顔がいいからでもないでしょう。それが想像と違っていたとしても、なんら失望する要素たりえないと思うのですよね。 金持ちでハンサムじゃなかったからといっていきなり幻滅を覚えるような、そんな下世話でリアルな女をチャップリンが描きたかったとは思えないし。この女の子の人間性をどうみるかには、観る人それぞれの価値観がかなり反映されるんでしょうね。 ・ハッピーエンドに決まってんだろアホ。 だからタイトルが「CITY LIGHTS」なんだよ。 街の中の希望の灯りだ。人の愛と優しさを訴えたんだよ。 女の子は複雑な表情? アホか。あの感動的なBGMを お前等聴いてんのか? 聴きながら見てるか? あの感動の 音楽を最後のシーンにつけてるのが全て。チャーリーの表情、 言葉、女の子の表情、言葉、全てに心打たれる。 ・それぞれのレスにそれぞれに人生経験が反映されていて面白いけど、何か忘れていませんか?というのはこの映画の公開当時のこと。その頃はそんなに複雑に解釈して映画見る人いなかったと思うよ。 ただ単純に、あぁ、彼女誰が助けてくれたか分かって良かったね(涙)で、ほんわか気分になって家に帰ったんだと思うし、チャップリンもそれ以上のことは求めていないんじゃない?勿論彼自身の人間洞察はそんな単純なものじゃないのは分かってるけどさ。 ・あのシーンでは私は、手を触れた瞬間にその人だと分かる少女の能力にまず驚きと感動。次に、目の前に立っているその男の乞食同然の姿を見て、事の重大さを一瞬にして悟った少女の表情。 (今まで自分を支えてくれていた物は、実は金持ちの道楽などではなく、自分の為に全てを失いボロボロになってもなお、やつれた笑顔を見せているこの貧しい男の尊い愛情だった事を知る) ここで最初からチャーリーの奮闘ぶりを見守ってきた観客としては、彼の想いが少女に届いたようで、それまでの苦労が一気に蘇ってきて泣けるんだと思う。 確かに単純ないわゆる「ハッピーエンド」とはちょっと違うような気もするけど、 少女の心がラストで初めて人の温かさ(街の灯)に包まれたという意味で、 きっとハッピーエンドなのかも。 ★女の子の表情は、恩人が理想と違っていた事に驚いているけども、それはがっかりしているんじゃなくて、目が見えた事によって人を見た目で判断してしまった自己嫌悪にも似た感情だと思う。 「ああ、あの人はルンペンなのね、お金をあげましょうよ。」という善意は目が見えるようになったから出来たことだけど、身なりは汚くても、その人の心が汚いとは限らない。 だからこそチャーリーの純粋な愛情が素晴らしく美しい、夜の街を照らす灯のように思えるんじゃないかな。 「You can see now?」(見えるようになった?)のダブルミーニングの意味は、チャーリーがルンペンだったという事実が判ったことへの意味も含んでいるけど、その後の彼の笑顔を見ていると、 「目が見えるようになって、幸せになっても 君は誰かを助けてあげられる優しい心を持ったままでいるんだね。」そんな意味を含んだ感じがする。 女の子は「Yes.I can see now」という答えと同時にチャーリーの手を強く握り直しているから、こう感じるのです。 「いろいろな物を見ることもできるようになりました。 貴方がどんな方なのかも。そしてどれだけ優しい方なのか 忘れかけていたもう一つの「眼」でも見ることもできましたわ。」と。 |
セックスを売り物にしてた私が言うのもなんだけど、 |
恋人を親友に取られたら
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まずズバリ断言するが、英文は、前のほうから読むのである。 英文は前のほうから読むのがあたりまえなのだ、とわかっている人は問題ない。しかし、この「前のほうから読む」ということの意味の重大性がピンとこないで、いったいお前は何を言いたいのだ、と思 った人は、やはり引きつづき私のこの文章を読まなければならない。日本文と同じく、英文もまた前のほうから読むのである、ということが骨身にしみてわかっている人も、私の言いたいことがなるほどもっともであると改めて共感していただくために、やはりこのあとを読んでほしい。 スラッシュ(ななめ切りの線)を入れる 長ったらしい英文はまず、ペンを片手にして初めのほうから、ところどころにスラッシュslash(ななめ切りの線)を入れていく。あらかじめ、英文をぶつ切りにしておくのである。そして文章の頭のほうから、そのぶつ切りのひと塊ずつを順に前の方から意味を取っていくのである。手前のほうの塊の意味を読み取らないうちには、その次に向かってはならない。すなわち、従来の英文読解のやり方のように、文章のおしりのほうから訳し上げてきて、ダラダラと前のほうに畳みかけて積み上げていくという読み方をしてはならないのだ。長い文章の初めの主語からおしまいの時間、場所についての副詞句までを、何度も目が行ったり来たりするという従来の技術は、ここらで捨て去られるべきである。 スラッシュの入れ方は、次のような要領ですることにする。 A successful relationship with your cleaning person/may be very difficult to achieve,/according to Ms. A,/author of the recent released book titled B,/who interviewed many pairs for the book/and found that/very few had/what she considered/a healthy relationship./ from "The Yuppie Handbook" 《訳》 家政婦さんとの人間関係をうまくやること/は、なかなかむずかしいことである/A女史によれば/彼女は,最近刊行されたBという書名の本の著者なのだが,/彼女は、その本を書くために、多くの人々にインタビューした。/そして彼女は、気づいた(発見した)のである。/ほとんどの人びとが、家政婦さんと良好な関係を築いていないということを。/ だいたい、一行につき一本の割合でスラッシュが入ると、そのひと塊ずつはかなり読みやすくなる。従って、この場合、自分の知らない単語が出てきても文章の前後から意味を推測するという技術は、その塊のなかで行われなければならないのであって、ダラダラと先のほうまで読んでいって、またふたたびあたふたとあと戻りしてきて何度も同じ文の上を往復するという愚かさを、ここらで止めなければならない。 |
七つの手順で長文をさばく このスラッシュの入れ方の手さばきは、全体を通して観察すると、まるで一尾の生ま魚をさばいておろすことに似ている。さばいて、三枚におろして、皿の上に盛りつける過程とそっくりだ。つまり、長文英文の読み方は、魚のさばき方の要領でやるとよいのである。 @まず、文の冒頭で、頭(主語)をつかまえる。そこにちょっと包丁を入れる。それから、文末のほうに回って「いつ・どこで」(時間・場所)という尻尾をポンと切り落としておく。 A次に、頭を切り落とす。すなわち、 It's……that の構文や、いちばん大切な主語と動詞を見つけておいて、バッサリと切り落とすのである。 Bその次に、内臓の処理をする。臓物を水で洗い出す要領でほとんど、関係代名詞に繋がる一文をえり分けて、食べられるものは食べられるように別の皿に盛っておくのである。この手さばきがなかなかむずかしい。だからもし、その魚がフグ(難解な英文)だったりしたら、卵巣の猛毒の腺を片づけそこなって、何とかやっつけたふりをしたものの、あとで誤訳の毒が全身に回って、完全に意味を取りちがえて死んでしまうということになる。 Cその次の不定詞の用法も、なかなか手ごわい。これは上身と背骨をうまく切り分ける技術に似ている。上手に三枚におろして、その不定詞(という名のもと動詞)と最初の動詞の繋がり具合が確認できないと、大変なことになる。この三枚おろしが正確にできなければ,結局英文は読めないのだ。 Dその他の、副詞や強調表現らしきものは,総て魚の小骨のようなものだから、あたりかまわずみんな骨抜きで抜いてしまってもいい。 Eそれから、仮定法や文中話法の would が出てきたら、これは雰囲気をやわらかくするための口語的な文体なのだから、そのままやわらかく処理することカミ肝腎である。ひときわよく切れるサシミ包丁に持ち替えて、たんねんに、ていねいに、切り身にしていくのである。 Fさて、最後の仕上げが盛りつけである。だいたい三行半の英文であれば、それを大皿の上に日本文の体裁につくり直して盛りつける。要するに、この時点で初めて、日本古来の(漢文の素読の伝統にも似た)「訳し上げ」の技術が要求されるのである。 この「訳し上げ」の技術を基本ができていない慣れないうちから振り回すから、たいていの場合は目もあてられないようなひどい誤訳をしてしまうのである。まるで、魚の頭(主語)のすぐあとに尻尾を繋ぎあわせるような結末になって、読み返してみても自分自身にとってすらぜんぜん意味が不明になっている。 以上の技術は、大学受験の長文英語の読解にもあてはまる、最高級の秘伝の大公開であるから,知るべき人は知って,おおいに感激していただきたい。 |
女と言う生き物 うん。=いや。 いや。=うん。 たぶん。=だめ。 私たちに必要よ。=私が欲しいの。 あなたが決めて。=答えはもう分かってるでしょ? 話し合いましょう。=文句があるのよ。 それでいいわよ。=私は不服よ。 この台所使いずらいわ。=新しい家が欲しいの。 私のこと愛してる?=買いたいものがあるの。 もうちょっとで準備できるんだけど。=言っとくけど, ずいぶん時間かかるわよ。 --------------------------------------- 男という生き物 ハラ減った。=ハラ減った。 眠い。=眠い。 疲れた。=疲れた。 うん。その髪型いいね。=前の方がよかったな。というかどうでもいいよ、そんなの。 その試着した服良く似合うよ。=なんでもいいから早く選んで、家に帰ろうよ。 映画でも見に行かない?=終わったらエッチしたい。 バンゴハンでもどう?=終わったらエッチしたい。 退屈だね。=エッチする? 愛してる。=エッチしよう。 俺も愛してるよ。=よし。言ったぞ。さあエッチしよう。 |
失恋
昨日、振られました。 まだ信じられません。 別れ話をする前はいつものように電話で話していたのに。 今日、車で移動中に彼の家のそばを通ったので、 彼が帰るであろう時間、場所にこっそり車を止めて 通るのを待ってました。 自分でもヤバイと思いつつ・・・ 結局彼が通るのを待たずに自分は帰ったのですが、 かなり病んでますよね・・ ついでに彼の会社の前も通りました。23時過ぎてたから 居るわけはないけど 。 一緒に通った道とか、食べに行ったお店とか、、、 すっごい切なかった。 ヤバイと自覚してはいますが、ストーカ手前でしょうか。 スーパーで買い物をしている時に彼が好きだった食べ物、 場所とか些細なキッカケだけど思い出すとツライです。 こういう気持ちになったときはありますか? 立ち直れるのかな・・・私・・・ (某掲示板より) |
「ぼくには君のような広やかさや、暖かさがないよ。君は何とも言えない暖かいいいものを持っているよ」 「そうかなぁ。だとしたら、それはふじ子のせいだよ。ぼくは小さい時から、ふじ子の足がかわいそうで、何よりもふじ子のことをしてやりたかった。菓子をもらってもふじ子にたくさんやりたくなる。外を歩いても、ふじ子には道のいい所を歩かせたくなる。ぼくが何かを買ってもらうよりも、ふじ子が先に買ってもらったほうが嬉しかったものだ。そんな風にいつの間になってしまったんだな。君だって、万一妹さんが、・・・街子さんと言ったっけ・・・体が不自由ならそうなるよ」 「そうかなあ」 自信なく信夫は答えた。 「そうだよ。考えてみると、永野君、今ふっと思いついたことだがね。 世の病人や、不具者というものは、人の心をやさしくするために、特別にあるのじゃないかねえ」 吉川は目を輝かせた。吉川の言うことをよく飲み込めずに、信夫がけげんそうな顔をした。 「そうだよ、永野君、ぼくはたった今まで、ただ単にふじ子を足の不自由な、かわいそうな者とだけ思っていたんだ。何でこんな不幸せに生まれついたんだろうと、ただただ、かわいそうに思っていたんだ。だが、ぼくたちは、病気で苦しんでいる人をみると、ああかわいそうだなあ、何とかして苦しみが和らがないものかと、同情するだろう。もしこの世に、病人や不具者がなかったら、人間は同情ということや、やさしい心をあまりもたずに終わるのじゃないだろうか。ふじ子のあの足も、そう思って考えると、ぼくの人間形成にずいぶん大きな影響を与えていることになるような気がするね。病人や、不具者は、人間の心にやさしい思いを育てるために、特別の使命を負ってこの世に生まれて来ているんじゃないだろうか」 「塩狩峠」より |
宇宙ヤバイ
ヤバイ。宇宙がヤバイ。まじでヤバイ。マジヤバイ。 宇宙ヤバイ。 まず広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。 広いとかっても、 「東京ドーム20個ぶんくらい?」 とか、もう、そういうレベルじゃない。 何しろ無限。スゲェ!なんか単位とか無いの。 何坪とか何haとかを超越してる。 しかも膨張してるらしい。ヤバイよ、膨張だよ。 だって普通は地球とか膨張しないじゃん。自分の部屋の廊下がだんだん伸びてったら困るじゃん。トイレとか超遠いとか困るっしょ。 通学路が伸びて、一年のときは徒歩10分だったのに、三年のときは自転車で二時間とか泣くっしょ。 だから地球とかは膨張しない。話のわかるヤツだ。 けど宇宙はヤバイ。そんなの気にしない。膨張しまくり。最も遠くから到達する光とか観測してもよくわかんないくらい遠い。ヤバすぎ。 無限っていったけど、もしかしたら有限かもしんない。 でも有限って事にすると 、 「じゃあ、宇宙の端の外側ってナニよ?」 って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。 あと超寒い。約1ケルビン。摂氏で言うと−272℃。ヤバイ。 寒すぎ。バナナで釘打つ暇もなく死ぬ。怖い。 それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。 億年とか平気で出てくる。億年て。小学生でも言わねぇよ、最近。 なんつっても宇宙は馬力が凄い。無限とか平気だし。 うちらなんて無限とか、たかだか積分計算で出てきただけで上手く扱えないから有限にしたり、f と置いてみたり、演算子使ったりするのに、 宇宙は全然平気。無限を無限のまま扱ってる。凄い。超ヤバイ。 とにかく貴様ら宇宙のヤバさをもっと知るべき。 そんなヤバイ宇宙に出て行ったハッブルとか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。 |
「おにいさま、人間ってどうして死ぬのですか」 「生きているから死ぬんや」 生きているから死ぬ.。なるほどそうかもしれない。だが信夫ははぐらかされたような気がした。 「生きているものなら、ずっと生きつづければいいじゃないですか」 「そりゃ、そうや。どうして生きつづけられんのやろと、俺もよう考えたもんや。信ちゃん、生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつえしゃじょうり)って知ってるか」 「先生に聞きました。生きているものは必ず死ぬ。会ったものは必ず別れるって」 父や母と、街子とだって、いつか別れてしまうことになるのかもしれない。そう思うと、信夫は生きていることは寂しいものだと思った。(会うということが、別れなら、むしろ誰にも会わない方がいい) 信夫は心の底がしんと寂しくなった。 「その通りや。信ちゃんの聞いた生者必滅とは、つまりな、生きているものは死ぬもんや、っていうことだけやな。なぜ死ぬんやなんてたぶん、考えても人間どもにはわからないことや。わかっているのは、俺もいつかは死ぬんやっていうことや」 そうだろうか。どうして死ぬのか、ほんとうに人間にはわからないのだろうか。 三浦綾子「塩狩峠」より |
古いアメリカの映画でこんな場面があったのを覚えている。 ヒロインがガラガラの列車に乗っている。そこへ男が現われる。男は車内を見渡し、美しい女性が座っているのを認めると、つかつかとそばに寄ってきて、 「この席開いていますか?」と訊ねる。 「ええ・・・」と女性が答え、 「じゃあ」と男が荷物をおろす。 女は車内を見渡すと、どこもかしこも空席だらけである。呆れ顔で男を見上げると、男は言う。 「いつもこの席にすわることにしているんです。幸運を掴むためのジンクスなんです」 「あら、そうですの?では、どうぞ」 女はバッグを持って立ち上がり、 「私はあちらの席に移りますから」 女が席を変えると、男もノコノコと後からついてくる。 「あら、幸運のジンクスはどうなりましたの?」 そして男はこう答えるのです。 「もう幸運をつかみましたから、あとは逃がさないことです」 |
数日前、ある中年アメリカ人男性と都内某所を訪問するため、JR線に同乗する必要ができた。一応大学は出ているが、あまり教養のあるおっさんではない。仮にデイヴとしておく。 デイヴがスローテンポな英語で私に聞いた。 デイヴ : 「日本には脚(あし)の形が悪い女性が多いな。何でだろう?」 オレ : 「え?そんなことないだろう。アメリカ人と変わらないと思うけど。」 よくよく注意して辺りをもう一度見直してみた。そして、我が発見に驚いた。確かにO脚とかX脚みたいな女性が老若を問わず目に付くのだ。言われてみると、あまりアメリカでは形の悪い脚は見かけなかった。それはともかく、その次にデイヴの発した言葉にはさすがの私もぶっ飛びそうになった。 デイヴ : 「昔、本で読んだことある。かつて日本であったらしいね、何か女性の足を拘束するようなことをして。。。あれを今の日本でもしてるってことだろうか?」 おいおい、デイヴ、そりゃ纏足(テンソク)のことだろうがい。日本じゃないっつーの。それに纏足でO脚とかX脚とかなるはずないやないか。 |
どんなに頭ではわかったつもりでいても結局は分かっていなかったんだと、ある年齢を迎えて初めて悟ることがある。まるで遺伝子の中に起動装置が埋められていたかのように。 親の気持というのがそれだ。親の年になって、親が自分についてその年齢ではこう考えていたのかと悟り、ひとは深く頷きあるいは秘かに涙するのである。 互いには恥ずかしくてそのことを語ることはなく、しかし子はその発見を心の底に秘めてようやくできる親への恩返しに喜びを覚える。それはまことにささやかだが、私たち人間が営々と続けてきた感謝の営みなのだ。 2003/10/26勝谷誠彦の××な日々。から |
「別れて一ヶ月がすぎて最近わかってきました。 付き合ってたころは自分にとって、 一番上にあったものだったから、(彼とのことが) それがなくなって、ものすごく寂しくなるんだなぁ。 自分を想ってくれる人はいないんじゃないかと思ってしまう。だから辛い。孤独感と絶望が襲ってくる。 でも最近サークルなどで一生懸命やってたら、辛くなくなってきた。彼の位置が少しずつ下がってきたからだと思う。 彼が一番上にあったから辛い。 だけど、付き合ってるころは一番上じゃないと楽しくない。 失恋して傷ついてる人たちは、結局その分精一杯恋愛してきた人だから、自信をもっていいとおもう。 落ち着いたころにまた新たな出会いは転がってるとおもうから」 |
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