おとうさん、ごめんね・・・



タイトル:お父さんゴメンネ

お父さんが亡くなって一年半が経ったんだね・・・
月日が経つのはあっという間だね。

お父さんが体調の変化を感じた時には
もう病気はかなり進行してたね。
なんでもっと早く気がついてあげなかったんだろう。
この一年半自分を責め続けたよ。

最初に診てもらった個人病院では「糖尿病」と
診断されて、一生懸命食事療法と運動をしていたね。
でも症状は悪化していくばかりだった。
二度目に訪れた大学病院ですい臓がんだと
わかったんだ。
「どうして誤診したの!」って
始めの病院の医者を恨んだよ。


時間が経っていくと、お父さんの声が、ぬくもりが、
だんだんとなくなっていく。
もっと一緒に時間を過ごしたかった。

でも、もうたちなおらないと。
子供も生まれたから。
頑張るよ、お父さん。

旅行 小樽 思い出 母


re:わかります

私も父を7年前に亡くしました。いまだに立ち直れていません。
結婚して子供もできたというのに・・・・。
私の子供を抱っこして欲しかった。

私は反抗期が長く、高校生の3年間はほとんど口を聞いたことがありませんでした。反抗期が終わっても、なんとなく照れくさくてほとんど口をきいたことはありませんでした。

体調が悪いのに病院にいかず、ずっと隠していた父。

ある日黄疸が出て病院へいくと、
「癌です。余命1ヶ月です。入院するなり自宅へ帰るなり、
好きなようにしてください。」
と見放された。

でも父は入院しても自分が癌だとはしらず
「俺は癌じゃなくてよかった。すぐに退院できる。」と、
見舞い客に話していた。

母と私はそのたびに廊下で泣いていました。

父と母は駆け落ちだったため、それはそれは苦労して私を育ててくれました。家を借りるお金がなかったので、私は車の中で育てられたそうです。

亡くなるときも素直に「お父さん」と言うことが出来ませんでした。

お父さん、ごめんなさい。
育ててくれてありがとう。いつか会いにいきます。
その時まで待っていてください。


re:涙がでました

読んでいて涙が出ました。

昨年父を直腸癌で亡くし、この間1周忌を迎えました。
疲れやすくなったと話していて間もなく、病気が悪化し病院へ行くと即入院。病気が判明し1ヵ月半で逝ってしまいました。
家族誰も体調の変化に気付いてあげれなくて悔やみました。

海や山が大好きだった父。
早く家に戻って出掛けたいと話していた表情を思い出すと今でも涙が出てきます。孫達をとてもかわいがってくれた父。

お父さん、今年男の子の孫が増えるよ…。
私ももう悲しまず、頑張っていきます。
大きくなったら優しいおじいちゃんだったよと子供達に伝えます。



re:便乗させてください

辛いですよね。

私の父もちょうど1年半前に亡くなりました。
C型肝炎でした。ずっと30年近く病気と闘ってきて、
それでもまだあと数年は大丈夫だろうと思っていたのに・・・

最後は突然悪化という感じで、入院して2ヶ月弱で亡くなりました。

便乗させてもらったのは、私も父の死に責任を感じているから。

当時、父が助かる可能性が数%残されていて、
それは生体肝移植というものでした。
ドナーになり得るのは血液型の関係で私だけでした。

私は父のためなら、と思ったのですが、子供が1歳と小さかったこともあり、母や夫に反対され、泣く泣く諦めてしまったのです。

今でも「もしあの時移植していたら父は元気に笑って普通の生活をおくっていたかもしれない」と思うと、心が痛みます。

助けてあげられなくてごめんね。
いつか会いにいくから、その時まで待っててね。



re:私も。お父さんごめんね

お父さんごめんね。
私、お父さんに心配かけてばかりいたね。

毎朝、駅まで送ってもらっていたね。
遅くなったら迎えに来てもらっていたね。
私のこと命がけで愛してくれていたのに。
自分勝手な行動ばっかり。
孫をだっこさせてあげられなくてごめんね。
嫌いだなんて言ってごめんね。

本当はね、大好きだったんた。
お父さんの一杯の愛情に安心しきって好き放題していたの。

突然の事故でなくなって、最後の電話の会話が今でも頭に残っている。今でもお父さんが死んだなんて信じられないよ。
私とバージンロード歩くの夢だったのに。かなえてあげられなくてごめんね。

父さん、私、お父さんの子供でよかった。
愛情を一杯くれて育ててくれありがとう。
お父さんに似ているって言われるのすごくいやだったけど、
今はそういわれるとうれしいよ。

ありがとうお父さん。
でもね時々会いたいって思うの・・・



re:私も。お父さんごめんね

私も2年半前に父を亡くしました。

とっても元気だった父、私も何故父の病気に早く気づいてあげなかったんだろうと後悔しています。

父は足に違和感を持ちながら何年も過ごしていました。
…悪性黒色腫だなんて…
思いもよらない青天の霹靂でした。
痛くもかゆくもなく過ごしていたらしいです。

大学病院で手術をし成功し転移もないって主治医は言ったのに。
退院間近になって肝転移がわかって…
その場で本人に余命を告知した未熟な医者。
悔しくて悔しくてしかたがありません。

泣いてもわめいても父は帰ってきません。
父の最期のメール
「この世で父娘だったことに感謝しましょう。」
この言葉を大事に大事にしながらいつまでも父の娘で居たいと思っています。



re:私もいいですか

私も一昨年、父を膀胱癌で亡くしました。

その年はちょうど娘が産まれた年で、
娘は4ヶ月の人見知り真っ最中でした。
でも父は娘が泣きじゃくってても、
しっかり抱っこして可愛がってくれました。

父が亡くなった瞬間は人目もはばからず、大泣きしました。
いまだに実家に帰ると父がいるような錯覚がします。
私も今新しい命を宿しました。

父はもう抱っこできませんが、きっと天国から優しい眼差しで見てくれていると思います。泣きながらこの文章打っているので、滅茶苦茶な文でゴメンナサイ。



re:いつもそばにいます

私の父も10年前突然倒れ、そのままずっと植物状態のまま一度も意識を取戻すことなく逝きました。

花嫁姿も孫もみせてあげられなかった。
子供が大好きな父で、親戚の子供たちが集まると必ずプレゼントを用意したり、飢えで苦しんでいる子供達をテレビでみると、いつも心を痛めているような父でした。

孫を抱かせてあげたら、本当に喜んだだろうなって思います。
あれもしたかった、これもしたかった、もっと親孝行してあげればよかった、と後悔ばかり。

でも、なぜか亡くなってからの父のほうが、身近に感じるんです。
いつもそばにいてくれる気がするんです。

毎日精一杯生きていれば、一日一日とお父様に会える日に近づいていく・・・・。私はそう思って毎日生きています。

いつか会えるその日に、一生懸命生きてきたよと報告できるように、そう心に思いながら生きています。


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