- 5 :大人になった名無しさん :04/02/09 18:50
- 小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
- あん時はミニ四駆を廊下で走らせて騒いでは、管理人さんによく怒られたもんだ。俺は改造が下手でいつも遅かった。
俺はどうしても1番になりたかったからそん中のやつに改造をお願いした。休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明け、それが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってきて4人揃ったが、後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
- そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたが、ワンワン泣いていた。
- 「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで、何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。
- 死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
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俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。
- 2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
- スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモを、やつの姉貴が渡してくれた。
メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。
- これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」
「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。
あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四。
今も部屋の机の上に置いている。
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