「ママドントクライ」




心がついてからこっち、涙を流したことなんて二回しかない。本当さ。

一回は小学校6年の時。結構、本気で集めていた切手帳を、教室で盗まれちゃったときのことだ。今考えてみれば、使用済みの切手ばかりでケチな内容なんだけど、当時はまだ子供だったしね。本当にがっくり来て、自分が可哀相になって泣いちゃったんだな。

二回目は十七歳のときのことだ。いい年こいて、恥ずかしい話だけど。その時のことを話すよ。

ぼくの父親は救いようのないロクデナシでね。根っからの博打打ちなんだ。今時、珍しいと思われるかもしれないけど、本当さ。といってもヤクザ屋さんじゃないよ。一応カタギで、セールスマンをやってた。セールスするものは、その時どきで入れ替わり立ち代りするんだ。百貨辞典を売り歩いていることもあれば、ミシンを売っていたり、医学関係のビデオを病院に売りつけたり、まあ色々さ。

ぼくが中学の時には、インチキ洗剤をセールスして大もうけしたこともあった。これが、いわゆるネズミ講でね。けれど本当にウマイ話なんて世の中にはないのさ。結局、損をした会員たちが騒ぎ始めて、儲けた連中はオヤジを含めて世間から袋叩きにあって、もうケチョン、ケチョンだよ。その後、オヤジは競馬や競輪の違法仲介のノミ屋を始めるんだけど、そんな生活を繰り返していたおかげで、家の中はすっかり暗くなっちまった。

毎月末には借金返済を迫る電話がガンガン掛かってきたし、ヤクザ屋さんも取り立てにきたりさ。もう本当に参ったよ。それでもオヤジは博打を止めようとしなかった。そのうち麻雀に出かけるようになり、家にもあまり寄り付かなくなった。





ヤジが不在がちになり、稼ぎを入れなくなると、仕方なくお袋は給食センターみたいなところへ働きに出るようになった。家にはぼく一人だけがいるみたいな状況だ。

そんな毎日のなかで、ぼくの唯一の楽しみといったら、バイクに乗って当てもなく走り回るくらいのことだった。バイクといっても小型の80ccでさ。ヤマハのミニトレっての。高校二年のとき、一夏つぶして懸命にバイトして買ったのさ。青果市場から駅まで、トラックに積んだ桃を運ぶっていうバイトだった。

ありがたいことにお袋は、ぼくが自分で稼いだ金の使途については何も意見しなかった。ちょっと後ろめたかったけどさ。何しろ十七歳だったからね、ひとつくらい自分の楽しみがないと、気が狂いそうだったんだよ。

そして、高校三年の夏。ぼくはミニトレのシートにでかい箱をくくりつけて、お中元を配達するバイトをしていた。このバイトは桃運びに較べると、ペイも良かったし、何しろバイクにのることで金になるなんて夢みたいな仕事さ。

この夏家のほうは相変わらずでね。お袋は毎日朝から夜中まで給食センターだし、オヤジの奴は7月半ばから一度も姿をあらわさなかった。





月になって、ぼくは夏の間に稼いだ金をお袋に見せ、使ってくれと申し出た。別に親孝行気取ってるわけじゃないよ。いつもお袋が働いているのに、自分だけがミニ乗ってフラフラしてる後ろめたさがあったからさ。

でもお袋は純粋に親孝行と受け取ったらしくてね。大変な喜びようだった。赤ん坊みたいな笑顔でさ。あんなお袋みたの初めてだよ。ところがお袋の奴、さんざんにハシャイだ末にこう言うんだよ。「ありがとう。でもこのお金はあなたが使いなさい」ってさ。

これにはぼくも驚いたね。まったく予想外だったんで、しばらく唖然としちゃったよ。お袋はお金の入った封筒をぼくの手へ握らせて、うれしそうに何度もうなずきながら台所へ引っ込んじゃった。
そしていつも通りにぼくの夜食を作りながら、何を思ったか、
「今度の日曜日、二人でどこかへ遊びに行きましょうか」
そんなことを言うんだ。

ぼくは少々面食らった。だって格好悪いじゃないか。いい年こいてオカアサンと一緒なんてさ。だから最初は「よせやい」とか言って回避しようとしたんだけど、意外にもお袋は執拗だった。あんまり言うもんだから、
「そんなこと言ったって、どこ行くのさ」
と訊き返すと、しばらく考え込んだ後に、
「動物園がいいな」なんて子供みたいなこと言うんだ。

「あなたのほら、オートバイで行きましょうよ。後ろへ乗れるんでしょう?そうすればバス代だって浮くし」
「ミニトレに?お袋と二人乗りかよ!」
あまりの提案に、ぼくは大笑いしてしまった。ぼくはさんざん笑って、赤面し、何度も断わった。けれどお袋はどうしても動物園に行くって言い張るのさ。

考えてみれば、お袋は昔から動物が好きでさ、犬とかネコとかをいっぱい飼いたいっていつも言ってたんだ。だけどぼくの家は犬猫ご法度のアパートだしさ。しかたなく、お袋はインコや金魚を飼ってたんだ。

だから、まあ動物園に行きたがる気持ちもなんとなく分かるじゃないか。可哀相なんだよ。毎日毎日何の楽しみもなく給食センターで働いてさ、皿洗いのやりすぎで指紋がなくなっちゃうほど頑張ってるんだから。
「しょうがねぇなぁ」
だから最後には、ぼくのほうが折れたのさ。恥ずかしいのを我慢して、お袋の奴をちょっとだけ喜ばしてやろう。そう思ったんだ。




んな経緯があって、次の日曜日。ぼくとお袋は連れ立って動物園に出かけた。ホント恥ずかしくて死にそうだったよ。動物園に車での二人乗りも恥ずかしかったけど、弁当のほうがもっと照れたな。

辺りを見渡すと家族連れはたくさんいたけど、ぼくらみたいな組み合わせは他にはいなかった。なのにお袋の奴はウキウキしちゃってさ、「たまご焼きも食べなさいよ」とか「こっちがシャケで、こっちが梅干」とか大声で言うんだ。ぼくはわざとふさぎこんで、不機嫌な表情でもくもくと食った。そうでもしなきゃ、この気恥ずかしさに耐えられそうになかったのさ。

ところが昼飯を食い終わってお茶を飲む頃になると、今度はお袋のほうが、不意に黙りこんだんだよ。どうしたのかな、と横目で様子を窺うと、お袋はちょっと目を潤ませていた。そしてゆっくりした口調でこう言ったんだ。

「お父さんとね、私、離婚したのよ。7月に」
ぼくは飲んでいたお茶を止めて、お袋の横顔を見つめた。

「・・・これはね、男と女のことだから。分かってくれるわね。あなたになかなか言い出せなくて困ってたんだけど。平気よね。あなたもすっかり大人になって、お父さんの代わりに稼いだりしてくれるものね」
そこまで話すとお袋はぼろぼろ涙をこぼした。

「このあいだ、あなたがアルバイトしたお金を渡してくれたとき、本当にうれしかった。私、そんなこと全然考えていなかったから・・・。本当に、そんなこと全然考えていなかったの・・・」
お袋は一生懸命微笑もうとし、けれど上手くいかずに顔をくしゃくしゃにして泣いた。





くは何か言ってやりたくて仕方なかったけれど、一言も浮かんでこなかった。何ていうんだろう。お袋が自分の子供のように思えてきちゃったのさ。アルバイトで気楽に稼いだお金のことでこんなに感激するなんて。本当に良いことがずっとなかったから、この程度のことで泣いちゃうんだよ。

その後、ぼくらは黙って園内をまわった。その時の気持ち、うまく説明できないな。さっきまでは照れ臭くて仕方なかったのに、今度は逆に、誇らしいような気分になっていたのさ。要するにぼくは、お袋に連れられて、動物園にきたのではなく、お袋を動物園に連れてきたんだ。そういう気持ちになっていたんだよ。

ミニトレに跨り、エンジンをかける。サイドスタンドを外して、
「さあ、乗んなよ」
振り向いて、そう言う。
するとニ、三歩離れて立っていたお袋は、微笑んで小さくうなずいた。その様子が、妙に老け込んで見える。

「ああ、楽しかった」
お袋はぼくの腰に腕を回しながら、誰にともなくそう呟いた。ぼくは自分のベルトあたりで組み合わされているお袋の手を見た。皿洗いのやりすぎで、指紋もなくなり、ザラザラに荒れた手だ。

それを目にしたとたん、ぼくは声を放って泣き出したくなっちゃたんだよ。色んなことが申し訳なくて、お袋に謝りたくて、胸が詰まったんだ。ごめん、ごめん、って何度も胸の中で繰り返しているうちに、涙が流れて止まらなかった。

カッコ悪いよな。お袋を後ろに乗せて、ミニトレに跨ったまま、泣いているなんて。でもいいさ。ぼくのこと指差して笑う分には、いっこうに構わない。けれど、お袋のことを笑う奴はタダじゃおかない。これはぼくの大切なお袋だ。立派なお袋だ。誰にも文句なんか言わせない。

そんなふうにしてぼくは、十七歳の夏の終わりに心から泣いてしまったんだよ。




原田宗典「ママ、ドント、クライ」より




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