血液専門医を救ったもの



■はじめて出会った時の I 嬢は、私と同じ年のはずだが、ずっと大人びて見えた。

栗色の髪、大きな瞳、高くすっとした鼻、形のよい唇をもった彼女は、造化の神の傑作といってもおかしくはなかった。どうして、こんなに素敵な女性が、白血病などという業病に罹ってしまったのだろう、と思ったが夏目雅子嬢の例をひくまでもなく、「きれいで、色白で、皆から羨ましがられるような良い性格で、食が細い女性」というがのこの病気になる要素かもしれないと、私はひそかに考えている。

I 嬢の白血病は、その当時のレベルとしては、かなり過激なやり方によって、寛解(一時的なおること)に導入できた。抗白血病剤の副作用で髪が抜けたり、肝臓が悪くなったりはしたが、時がたつにつれすっかり元どうりになり、彼女は退院した。


■4年後に悪夢はやってきた。白血病細胞は、彼女の頭のなかで、報復の時をじっと待っていたのだった。髄液の中に、あのいまわしい「白血病細胞が検出されたのである。「髄膜白血病」と呼ばれる、白血病の晩期再発であった。

「先生が、男の人だったらよかったのに」

どういう意味なのかは、聞き返さなくてもわかっていた。22歳で発病し、おそらく「恋」をしたことがない彼女にとって、私が男性であったなら、きっと最も身近な異性として、恋に落ちていただろう。

残念ながら私は女性でレズビアンの趣味はなかった。でも、その時私は本当に男であったらよかったと、心から思った。男性だったら、彼女に恋の歓びや苦しみを教えてあげられたかもしれない。

人を愛することの悲しさを知ることで、人は優しくなれると、離婚したばかりの私は、よくわかっていた。


■それから3年、彼女が白血病に罹って12年目に入ったある日、突然激しい頭痛と吐き気が、この無垢な女性を襲い、両目はまったく見えなくなってしまった。

何も悪いことをしていない彼女に、神はどうしてこんなひどい仕打ちをするのだろう。天国に迎えるための試練だとしても、あんまりだ、と私はおもった。

考えうる限りの治療を行ったが、結果は無残だった。日ごとに衰弱し、意識が薄れていく彼女を診るのは、わたしにとって、すごい苦痛だった。もちろん彼女の家族にとっても地獄の苦しみだったろう。

急性骨髄性白血病と彼女の戦いは、12年3ヶ月で終わった。享年34歳。眠るように「死」が訪れ、死に顔が穏やかな微笑みを浮かべていたことが、私にとっては救いであった。


■私事になるが、11年つきあった同級生と結婚したのが、29歳のときだった。

原宿のマンションに新居を構え、甘い新婚生活をおくったのは、わずか数ヶ月だけで、すぐに破局がきた。夫の心が私より義母にあると知って、わたしは何度バルコニーから飛び降りようと思ったことだろう。

絶望の淵から私を引きもどしたのは、 I 嬢だった。彼女をなんとかしなければ、という思いが、私を破滅から救ったのである。

私が明日彼女を診に行かなかったら、きっとがっかりするだろう。どんなに辛くても、私は生きて頑張るしかないのだ、と決意するには、しばらく時間が必要だった。

I 嬢の遺体を運ぶ霊柩車が、病院を出るとき、私は深く頭を下げた。

「ごめんなさい。そして、ありがとう」

心の中で、私はつぶやいた。10年以上の間、勇敢に白血病と闘い、一時は病魔に打ち勝ったばかりか、主治医の生命まで救ってくれた人への賞賛の呟きだった。


(1996年「無菌病室の人びと」赤坂祝子)から抜粋

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